第3話 煙巻き少女


「父と私たち……私と母は、理由があって私が十三歳の時から別居してるんです」


 目の前に現れた私より少し下らしい女性は、石さん――キャンディに似た顔を少しだけ雲らせた。


「そうだったんですか」


 なるほど、色々あったのならあえて言わないというのもうなずける。


「別に仲が悪いわけじゃないんです。ただ私と母がアメリカで暮らすことになって、父が日本で探偵を続けた……ただそれだけのことなんです」


 私はぐっと胸が詰まった。仕事を変えて娘さんたちと暮らすより、石さんは探偵社の方を選んだのだ。石さんに今も頼り切っている私としては、行ったらいいとは正直言えない。石さんが家族の話をしなかったのは、私が意見を言いづらいだろうと慮ったからかもしれない。



「……で、その御友人っていうのはどんな方?」


「向こうにいた時にSNSで知り合って、「自分も近々日本に戻るから会わない?」って言われたのが最初です」


「ふうん……どんな話題をきっかけに知りあったの?」


「私の専攻している分野に彼女が興味を持って、コメントしてくれたのが最初です。私は植物全般、彼女は菌類と地表類の研究をしているらしくて」


「チヒョウ類?」


「苔とかそういうものです。名前は『多草花菜たくさかな』。アカウント名は『フローラ』で、私はずっとフローラと呼んでいました」


 翠はそう言うと、携帯のフォトを私に見せた。翠と肩を並べて微笑んでいる女性は、華やかな翠とは対照的にはかなげな雰囲気の高校生みたいな女の子だった。


「この子が、石亀さんが転倒した直後に、姿を消したんですね?」


「はい。調査して欲しいと思っているわけではないのですが、どういった理由が考えられるか探偵さんの意見をうかがってみたくて……」


「そうですね、元々素性を明かしづらいような事情があって、何かの理由でつきあいを控えなければならなくなったとか……」


「他には?」


「あまり考えたくはないのですが、何か目的があってあなたとお父さんに近づいたか……」


「目的? どんな?」


「わかりません。ですからこの憶測は、胸にとどめておいた方がいいかもしれません」


「そうですね……そうします」


 翠は目を伏せため息をつくと、「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。


                 ※


「えっ、テディが交通事故に?」


 所用から事務所に戻った私は、蒼ざめた顔の古森から耳を疑うような報告を受けた。


「はい。交差点で女の子を助けようとして車に引っ掛けられたようです」


「なんてことなの、あのテディが……わかったわ。それでテディの容体はどうなの?」


「一応、病院には行ったようですが、骨折はしてないみたいです。本人もすぐ退院できると言ってます」


「とにかく、上司としてはすぐに行って本人の顔を見ないと駄目ね。どこの病院かわかる?」


「はい、わかります」


 ――なんてことなの。ほんの数日前に石さんが怪我をしたばっかりなのに。


 私はテディが運ばれた病院の名を聞き取ると、簡単な支度をしてオフィスを飛びだした。


                ※


「ふがいないですね、まったく」


 病室のベッドで私を迎えた荻原は、自嘲気味の口調で言った。


「一体、何があったの?女の子を助けようとしたっていうことは聞いてるけど」


「まあ、簡単に言えばそうです。信号が青になって中学生くらいの女の子が渡り始めた途端、急に信号が点滅もせず赤になったんです。

 それで思わず機械の中に「手を出し」ちまったんですが、青に戻るどころか出鱈目に点滅し始めましてね。そこへミニバンが左折してきたんで、飛びだしたら身体を掠めちまった……というわけです」


「それで、女の子は?」


 私が最も気になっていたことを尋ねると、なぜか荻原は「それが」と言葉を濁した。


「運転手は真っ先に俺のところに来て「大丈夫ですか?」と聞いたんですが、俺が「私よりあの女の子は?」というと「女の子?」と怪訝そうな顔をしたんです。それで立ちあがって車の周囲を見るとなんと女の子の姿が影も形もなかったんです」


「まさか……消えたって言うの?」


「運転手に「女の子が轢かれそうだったから助けようとした」って言ったら、「実はあなたとぶつかる直前、私も一瞬女の子のような影を見た」って言うんですよ」


「なんだか、急に怪談じみた話になってきたわね」


「運転手と二人で最後に女の子を見たあたりをあらためたんですがね。排水溝があるだけで結局、女の子は見つかりませんでした。まさか地面に吸い込まれたとも思えませんし……」

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