未完成な空
澄鈴
1
「君は、死にたいって思ったことある?」
席を立った彼に話しかけられたのは、
朝、寝ているふりをして時間をつぶしている時だった。
教室には誰もいない。ということは、私が話しかけられたということだ。
彼は私が寝ているふりをしているということを分かっているのだろうか。
それとも、本当に寝ていると思って、誰でもいいから話を聞いてほしかったのだろうか。
答えるべきか迷っていた。
「……寝てる、か。僕は、死にたいな」
彼は教室から出ようとした。
「思ったこと、あるけど。それがどうかしたの?」
つい、言葉を発してしまった。
そっと身体を起こし、彼の方を向く。
彼は固まって動かない。顔が強張っている。
「なんだその顔、あんたが訊いてきたんでしょ。なに、病んでるの?」
かなり強い言い方になってしまった。
彼はとても困ったような顔をして、なんでもない、と力なく笑った。
「なんでもなくないでしょ。クラスの王子様が死にたいなんて」
彼はクラスでとても人気があり、誰からも好かれている。
優等生で真面目で顔もいい。彼は周囲から親しみを込めて『王子様』と呼ばれている。
だからこそ、なんで友達も居ず、いつも一人ぼっちの私にそれを言ったのか、
そんな人気のある人が死にたいなんて思うのか、私には理解ができなかった。
「本当に何でもないんだ。ごめんね、僕は大丈夫だからさっきの事は忘れて」
彼は教室から、私から逃げようとした。
思わず彼の手を掴んだ。
ムカついた。
どこが私の逆鱗に触れたか判らないが、とてつもなく腹が立った。
いつもニコニコしている王子様に、優等生をずっとしている王子様に、大丈夫ではないはずなのに大丈夫と嘘をつく彼に、そんな思いを抱えている彼が相談できる相手がいないことに、
そして何より、何もできない自分に。
とてつもなく腹が立った。
「大丈夫って言ってる人は大体、大丈夫じゃないんだよ。
ねえ、あんたに何があったかは分からない。けど私から見てあんたはすごく優しい人だ。
私がそんなに信用できない?誰かに聞いてほしくて声に出したんだろ?吐き出したいんだろ。藁にも縋りたい思いだったんだろ。だったら最後まで聞かせて。
どうせ私には話聞くことぐらいしかできない」
言った。あとは彼がどうするか、これ以上は何もない。
「だって、そんな」
彼の目にだんだん涙が溜まってきて、溢れて、溢れて、
決壊した。
「僕はそんな、みんなに好かれるような人間なんかじゃないんだ。もっと、ずっと汚くて、君が言ってくれたような優しい人間じゃない。
優等生だって言われるけど、そんなの、周りに言われるからそうしなくちゃいけないみたいでそうしているだけで、本当はもっと怠けたい。
僕がいい子でいれば大人は喜ぶから。認められたような気がするから。
みんな素の僕じゃなくて優等生の僕を必要としているから。
みんな僕の事を王子様なんて言うけど、それは本当の僕じゃない。普通に接してほしい。
みんなと一緒にふざけて、笑って、でもそれができなくて、だから、どうしようもなくて」
死にたいんだ。
彼はそう言った。今まで優等生を頑張って演じてきた人の切実なSOSだと思った。
周りから期待されて、それに応えなくちゃいけないなんて、そんなの、
「苦しい……な」
ただただそう思った。
今、私にできることは一つだけだ。
「ねえ、一時間目サボらない?」
そう言い、泣いている彼の手を引いた。
連れてきた場所は、私のお気に入りの場所、屋上だ。こんなところ優等生は入ったことないだろう。それに授業をサボるなんてありえないことだろうし。
「こんな所、初めて入ったよ。大丈夫なの?怒られちゃうんじゃ?」
「あんたは根が真面目なんだね。大丈夫。誰も来ないし誰にも見られない。授業休んだ分の事も気にしなくていい。私が連れ出したんだ、私のせいにすればいい」
彼はふっと笑い、そっか、ありがとう。と言った。
その笑顔が素敵だなと思う。
二人でフェンスにもたれかかり、座る。
「よく今まで頑張ったね。今までずっと無理してたんだね。
話してくれてありがとう。
これからは、無理しなくていい。嫌になったら私を使ってサボってもいい。
逃げていいんだよ。あんたはみんなと一緒。生きててくれて、ありがとうね」
口から出た言葉はもちろん本心で。
少しでも彼に伝わるように丁寧に目を見て話す。
再び彼の目から涙が溢れ出すが、咎める者はここにはいない。
また泣かせてしまった。
でも、彼の顔は晴れやかで、嬉し泣きなんだと分かった。
少し落ち着いた彼を見てティッシュを差し出す。
「あ……ありがとう」
少し恥ずかしそうに遠慮がちに受け取り目元を拭う仕草はとても絵になる。
「ところで君も、死にたいって思ったことあるって言ってたけど……」
少しだけ憑き物が取れた彼に顔をのぞき込まれながら問われる。
「そこ突っ込む?……まあ私のは大したことじゃないよ」
「それでも聞かせて欲しい。僕はずっと苦しかった。でも君が力になってくれた、僕だって君の力になりたいよ」
真剣な眼差しを向けられると、彼になら話してもいいのかもしれないと思ってしまう。
「……私さ、何かつらいことがある訳じゃないんだ。友達は居ないしずっと一人だけど、別に無視されてるわけじゃない。ある程度話せる人もいる。
それにあんたみたいに優等生やってた訳じゃない。苦しいことなんてなんもないの。
でもさ、時々、時々ね?私は誰にも期待なんかされてなくて、必要とされてなくて、居場所なんて何処にもないんじゃないかって思うんだ」
こんなに自分のことを話すのは初めてだった。それにこんなに真剣に聞いてくれる人がいたことも。
「それに得意なこととか何もなくて、何やっても中途半端で上手くいかなくて、自分に自信も持てなくて。
自分で勝手にしんどくなってさ、死にたいなーって漠然と思ったりするの。私なんて恵まれてるのにさ、こんなこと思うなんて最低だよね」
「そんなことないよ!最低なんかじゃない。
死にたいってさ、思ってもいいんだって思う。僕がそう思ってるからじゃなくて、苦しいとか、つらいとか、そういう感情ってすごく大切でちゃんとつらいって自覚しないと、吐き出さないともっと苦しくなるって、
君が話を聞いてくれたから思えたんだ。」
だから君にも生きてほしい、と彼は私の目を見て言った。
「そっか、ありがとう。……なんか私が励まされちゃった」
遠くでチャイムが鳴った。
私は立ち上がって背伸びをする。
見上げた空は雲ひとつない青空だった。
「戻ろうか」
彼も立ち上がり背伸びをした。
「あ、ひこうき雲」
彼が指さした先のひこうき雲は真っ直ぐな線を描き、すぐに消えていった。
「明日はきっと晴れるね」
未完成な私たちだから、たくさん悩む。でも今はそれでいい。
私は教室へ戻る彼の背中に向かって数分前に彼が言ったあの台詞を言った。
「ねえ、あんたは生きたいって思ったことある?」
未完成な空 澄鈴 @s-mile
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