第16話 離別



「お前らそこを動くな!!」


 突然坑道に響いた怒号に、ターシャたちは驚いて声の聞こえた方向を振り向く。


 まるで真夏の太陽を直視したかのような眩しいライトの光が三人の目を晦ませ、光の主の姿を確認することはできない。ライトの光は三つ並んでいて、持ち主が三人いことがわかった。


「な、なに……?」

「な、なんだお前ら!」

「……」


 突然の状況を理解できないターシャだったが、声の主から明らかな敵意を感じたイゴールは悪態をつきながらも相手を威嚇した。


 ラナは、ライトの眩しさから腕で眼前を隠していたが、この相手が何者であるかを理解したかのように黙っていた。


 やがて、ライトの光はじわじわとターシャたちの元へ近づく。


「ち、近付くなよ!お前らこの間ラナを襲った奴等だろ!」


 普段は比較的冷静なイゴールだったが、この時は声を張り上げてライトの主を威嚇した。同行者がナフトライトが使える者とはいえ、ひとりの男として、同行者の少女を守らなければ、という意識が彼を突き動かしていた。


 しかしながら、イゴールの威嚇など意に介すことなく、襲撃者は接近する。


(お、おれがなんとかしなきゃならいんだ……ターシャとラナを守らないと!)


 イゴールは遂に決断し、襲撃者の行く手を阻もうとライトの主を目掛けて駆け出した。


「このっ……!!うぐっ!?」

「イ、イゴール!」


 ライトの主に無闇に飛び込んでいったイゴールは、呆気なく鳩尾に膝を入れられその場に蹲った。崩れ落ちる幼馴染の姿を目の当たりにしたターシャは、悲鳴のように彼の名前を叫んだ。


 蹲るイゴールなど無視して、襲撃者はいよいよターシャとラナの前に立ちはだかった。


「ど、どうしよう……!」

「大丈夫。私が行く」

「え……ラナ?」

「ターシャはイゴールを」


 ラナは、眉毛をハの字にして狼狽えるターシャを制し、逆に細い眉毛を吊り上げて襲撃者の前に歩み進んだ。


「ヴァレンティノフ同志がサルグラードでお待ちです。」

「やっぱり父さんの差し金だったのね……この間みたいに車に押し込まないの?」

「先日は大変なご無礼を。しかしこの場では、他にも人がいるので」


 ライトを持った男は、蹲り呻き声を上げるイゴールと、しゃがみこんで寄り添うターシャを一瞥した。


「イゴール、イゴールだいじょうぶ?」

「うぅぅ…………」


 そんな二人に、襲撃者のうち二人が近づき、一人がターシャのおさげ髪を鷲掴みにして引き寄せると、ライトの光を顔や全身に当てる。


「な、なんですか!――痛い痛い!やめて!引っ張らないで!」

「やっぱ思ったとおり上玉だ。班長!コイツ土産にしません?ヴァレンティノフ同志もお喜びになりますよ?」


 ターシャを捕まえた男は、ラナと話していた班長と呼ばれた男に呼びかける。襲撃者たちのやり取りを見たラナが声を上げ、幼馴染を捕らえられたイゴールも痛みを堪え、声を振り絞った。


「やめて!必要なのは私のはずよ!ターシャとイゴールは関係ない!」

「くっ……クソッ……!ターシャを……離せ!!」


 イゴールは立ち上がり、ターシャを捕まえていた男に飛びかかった。突然の攻撃を受け、男はターシャのおさげ髪を離したが、バランスを保てず倒れ込んだ。


「ガキがナメやがって!」


 男はイゴールを握り拳で殴打した。下らない仲違いから同世代と殴り合ったときや、父親に殴られたときとは比べ物にならない衝撃が彼を襲い、硬い岩の地面に全身を打ち付けた。


「女の前だからって調子乗ってんじゃねえや!」


 ターシャを捕まえていた男ともう一人の男は、倒れ込んだイゴールを蹴飛ばしはじめた。鳩尾や柔らかい腹に爪先が何度も蹴り込まれ、声にならない悲鳴を上げる。


「ぐっ……がはっ……!!」


 執拗な暴力から、何とか身を守ろうと抵抗していたイゴールだったが、やがて血の泡を吐きだして動かなくなった。


「イゴール……!やめて!!もうイゴールに乱暴しないで!!しんじゃう!!」


 ターシャはイゴールの傍に駆け寄ると、彼を庇うように覆い被さり男たちに懇願する。そんな光景を見たラナは声を荒げた。


「私は行くって言ってるでしょ!!もうその二人は放っておいてよ!!」

「いいんですね?それでは行きましょう、おい」


 ラナと対峙していた男は、イゴールを痛めつけていた男たちを呼ぶ。ラナは、蹲るターシャとイゴールを一瞥し、男の後を追おうとした。


 そんなラナを、ターシャが呼び止めた。


「ラナ……?行くってどこへ行くの……?」

「帰るのよ。サルグラードへ……」

「そ、そんな急にどうして!いやだよ!」

「仕方ないことよ。私には私が居なきゃいけない場所があるの」

「居なきゃいけない場所って……ラナはずっとズロポラツクで、お友達で――

「いい加減鬱陶しいのよ!!」

「え……」


 ラナは両手でターシャの胸倉を掴み、自分へと引き寄せる。向かい合う蒼い瞳と栗色の瞳は、どちらも今にも零れ落ちる程の涙が湛えられていた。


「大体さ、あんたがバカみたいな冒険なんて始めたからこんなことになってんのよ!全部あんたのせいでしょ!イゴールだって……あんたにこんなとこ連れてこられなかったら痛めつけられることもなかった!何なのよ朝から晩まで良い子ぶって!あんたも結局サルグラードの奴らと同じなのよ!!」

「わたし……そんな……うぅ」

「私はあんたみたいなのが一番嫌いなのよ。ずっと。」

「ラナ……やだ……ぅ……あぁ……」

「うっざ」


 ラナにまくし立てられた挙げ句、思いがけない痛烈な言葉を投げつけられたターシャは、瞳からボロボロと涙を溢れさせ嗚咽を漏らしはじめた。ラナはターシャを突き放すと、坑道の出口へ向かい始めた男の後ろを歩き始めた。


 ターシャはその場で膝立ちになり涙を流し続ける。幼馴染と友達との最高の思い出を築いた場所は、今や人生で最悪の思い出の場所に変わり果てた。


(どうしてこんなことになったの……?ラナのいうとおり、全部わたしがわるいの……?)


「う……」


 そのとき、聞き慣れた幼馴染のうめき声が耳に飛び込んだ。


「……イゴール?」

「ターシャ……おまえいいのかよ……ラナは友達じゃないのかよ……げほっ」

「イゴール!痛いでしょ、しゃべっちゃだめだよ!」

「助けてやれよ……」


 イゴールはそう言うと、肩で息をして黙ってしまった。


(そうだ……わたしいつもみんなに助けてもらってばかり。今度は誰かを助けなきゃいけないんだ……!)


 泣いていたターシャは、イゴールの一言で忘れかけていた勇気を取り戻した。


(でもどうやって……イゴールは動けないし、大人三人なんて、わたしなんかすぐに……)


「あ……」


 そのとき、ふと外套のポケットのあたりが一瞬熱くなった気がした。ターシャはポケットに手を入れると、すべすべに磨かれた“魔法の石”――ナフトライトがそこにあった。


 しかし、ナフトライトを使い炎を出しても、炎を使い、立ち去るラナを引き止める手段が思いつなかない。


(どうしよう、ナフトライトはあるのに!物語の中だったらこんなときに……)


 ターシャはナフトライトを握りしめたまま、以前読んだ物語の中で主人公の窮地を救ったドラゴンの存在を思い出していた。


 こんなときわたしたちを助けてくれるドラゴンがいたら、どうかラナを連れ戻すためにわたしたちに力を貸して――


 そんなことを思いながら、とにかく今は男たちとラナの行く手を阻もうと、ナフトライトを握った右手を彼らに向ける。


「……つめたい」


 そのとき、虫の息だったイゴールがふと足元に冷たさを感じで口を開いた。


 気づけば、坑道の湖の水がザブザブと音を立てながら激しく波打ち溢れ出してきた。

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