第13話 夜道

 次の日の放課後、ターシャとイゴール、そして新しい友達――ラナの3人は、連れ立ってターシャの暮らすアパートへ向かった。


 無機質な灰色のアパートが立ち並ぶ住宅地の一棟にたどり着く。ターシャはここだよ、とアパート指差した。


「お母さんただいま!」

「こんにちわ、おじゃまします」

「おかえり二人とも。あら、お友達?」


 ターシャとイゴールは、いつものようにターシャの母に帰宅を告げる。出迎えたターシャの母は、いつもの二人の後ろの少女の姿に気付いた。


「はじめまして、ラナ・ヴァレンティノヴナです。転校してきたばかりですがターシャさんにとても良くしてもらってます、ありがとうございます」


 ラナは、初めて顔を合わせたターシャの母に丁寧に挨拶をする。その姿は、彼女が育った環境の良さ、逆を見れば厳格さを滲ませていた。そんなラナをみて、ターシャの母も丁寧に挨拶を返した。


「へぇ〜、こんな上品な子がうちのターシャと友達になってくれるなんてね。こんな娘ですが、どうぞよろしくお願いします」

「お母さんこんなのって何よ~」

「そうですよ、ラナなんて昨日まではもう痛ったい!


 母の言い回しに抗議するターシャに同調し、イゴールは昨日までのラナの態度を伝えようとするも、ラナは通学鞄でイゴールを引っ叩いて黙らせた。



 ターシャとラナはベッドに並んで腰かけていた。イゴールはベッドの下から木箱を取り出し、ラジオの本体に電線を接続し、窓を開け簡易なアンテナを外に出す。決して広くないターシャの自室は、少年少女3人でも随分と窮屈に感じられた。


「それで?秘密って何なの?」

「それはね~、もうすぐわかるよ」


 イゴールは窓の外のアンテナに電線をつなぎ終えると、いいぞ、とターシャに合図を出し、二人の隣に腰掛けた。ターシャはベッドのに適当に置かれていた毛布を取り上げ、自分とラナとイゴールの頭から被った。毛布の中の暗闇が、どこか甘酸っぱい花や、新しい石鹸のようなにおいに包まれた。


「な、なにすんのよ!」

「しーっ、もうすぐ始まるから」


 ターシャが手に持っていた懐中電灯のスイッチを入れると、薄明りの中で3人の顔が浮かび上がった。そして、イゴールが手に持ったラジオの電源を入れツマミを調整すると、ザーザーという音の中から少しづつ音声が聞き取れるようになる。


『……春の冒…………の冒険、……話』


「これ、隣の国のラジオドラマね。これがターシャの秘密?たしかにこの国じゃ大ぴらにはできないわよね」


 ラナの問いかけに、薄明りの中ターシャは得意げな表情で答える。


「そう!わたしお話とか物語読むの好きで、たまたまイゴールが作ったラジオで聞けたんだ。お母さんにも内緒だけどね」

「へぇ。これイゴールが作ったんだ……すごいな」

「ちょっとした工作だったらな、本当に偶然電波拾えただけだよ」


 3人はラジオドラマを聞き終えると、毛布をどかした。同じ時間でも、先週よりも少しだけやわらいだ部屋の暗さが、いよいよ春が近づいていることを感じさせた。


「結構面白そうな話だったわね。私は途中からだったからわかってない部分もあるけど」

「ふふ、今度ちゃんとあらすじ教えてあげるね、あ、でもラジオのことは誰にも言わないでね」

「言わないわよ。お礼にターシャにも私の秘密を教えてあげるわ」

「本当?どんな!?」


 ラナはそう言うと、ポケットから小さなナフトライトの石を取り出した。綺麗に形を整えられ、磨かれた赤茶色の石。先日ターシャが見たいと言ったものの、そのときはラナの中の戸惑いもあり見せることのできなかった、彼女の母親の形見だった。ラジオ一式を片付け終えたイゴールも、ラナの手のひらのなかのナフトライトを覗き込んだ。


「これ、私のナフトライト。母さんの形見」

「あ、ラナのお母さんの……」

「そう。私の母さんもナフトライトが使えてね。それも秘密ではあったんだけど……」

「そっか。でもラナがお母さんの形見を見せてくれて、わたしうれしいな」


 ターシャはラナの手のひらにそっと自分の手を乗せた。ラナのナフトライトは、なにか小さな生き物のような、温かさを感じさせた。


「ラナのナフトライト、なんかちょっと温かい気がする。きっとお母さんが天国でもラナのことを想ってくれてるからだよ」

「そうかしら、私はいつも持ってるから何も感じないけど……」

「ううん。ちゃんとラナのお母さんの温もりが残ってるよ、このナフトライト」

「……」


 ラナは、ターシャの言っていることが少しだけわかるような気がした。幼い頃、二人の秘密だと握らせてくれたナフトライトと母の手の温かさを思い出すと、だんだんと目頭が熱くなってきた。


「……」

「だいじょうぶ?」

「うん、ありがとうターシャ」


 笑顔のラナの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。



 その日は、ラナも含めた4人で夕食の食卓を囲んだ。いつものようにターシャはキッチンに呼ばれ、ラナは私も手伝います、と少女は二人でキッチンへ向かった。


「いや〜、ラナちゃんキッチンの仕事もこなせるなんて大したものだわ。きっとお母様の育て方が良かったのね」


 夕食後、茶を囲んだ席でターシャの母が感心していた。ラナの母親は既に他界していることを知っているターシャが何かを言いかけたが、ラナが制して口を開いた。


「とんでもないです。私の母は他界しましたが……本当に母とキッチンに立ったようで楽しかったです。それにターシャさんも充分キッチンの仕事ができて、お母様の育て方が素晴らしいかと思います」


 ラナの母親に関する事実を知り、バツの悪そうなターシャの母だったがその様子を見てラナがフォローする。


「お母様、よろしければ、たまにキッチンを手伝わせてもらっていいですか?」

「もちろんよ!まるで娘が二人いるみたいで……うれしいわ。また手伝いに来て!」

「う、うん、また遊びに来てね」


 ターシャの母は二つ返事でラナの願いを歓迎した。ターシャも笑顔で歓迎したが、その表情にはどこか少し淋しげな雰囲気を漂わせていた。


 そんなターシャを見て、イゴールとラナは顔を合わせ怪訝に思う。しかしイゴールを見たラナは、ふと思い出したように口を開いた。


「それに引き換えイゴールはさっきから何もしてないわよね……?」

「おれだってやる気がないわけじゃ……」

「イゴールはキッチンは危ないんだよ。お皿は全部割れちゃうし放っておいたら指もなくなっちゃうからね!」

「なるほど」


 イゴールがキッチンに入らない理由を、ターシャはいつものような笑顔で語り、ラナは繰り広げられるであろう見るに堪えない光景を想像し納得した。



 すっかり暗くなった頃、ラナはターシャの自宅を後にした。ラナは一人で帰れると主張したが、昨日ラナが襲撃を受けたことを知るターシャとイゴールは、新たな友達が再度の襲撃を受けても対応できるよう、ラナが身を寄せる彼女の祖父宅までエスコートすることにした。


 そして、このときターシャはある計画を思いついていた。母に知られないようにこの計画をラナとイゴールに伝えるチャンスということもあり、私も行こうか?という母を何とか制してラナに同行していた。


 街灯が整備され立ち並ぶアパートの窓から漏れる各家庭の灯りや、晴れた夜空に輝く月明かりも手伝って、ラナとイゴールが並んで歩く夜道は思いの外明るいものだった。


「本当に一人で帰れるのに……」

「昨日みたいなことがあったからな、何人かでいたほうが」

「そうだよ、ラナがまた危ない目に遭わないようにしっかり守らないと!」

「まあ普通に考えたら、この中じゃターシャが一番襲いやすそうなんだけどな」

「本当ね」

「えっ?なんでなんで?」


 イゴールとラナは、3人の中で最も身長が低いターシャを見て頷く。そして、夜道を歩きながら、ターシャが提案した。


「そうそう、実はさっきちょっと考えたことがあるの!」

「なんだよ?」

「えっとね、ラナもお友達になったことだし、あの坑道に今度は3人で行ってみたいなって!」

「また行くのかよ……」

「おじいちゃんが言ってた坑道ね。ナフトライトを採掘していたっていう」

「そう!ラナもナフトライトが使えるんだし、せっかくだから皆で行ってみようよ!」


 ターシャは初めて坑道を訪れた日のように、瞳をキラキラと輝かせ二人を誘った。晩冬の澄んだ夜空に浮かぶ月が、大きな青い瞳に反射して、一段と瞳を輝かせていた。


「そうね……私もナフトライトを持ってる以上は興味あるわね。この石が生まれた場所、行ってみたいわ」

「……」


 ラナは落ち着いた様子でありながらも、興味深いとターシャの提案に同意した。ターシャは黙っているイゴールの顔をニコニコと覗き込んで、反応を伺った。


「……わかったわかった。行くよ、また坑道に行こう。いつにするんだ?」

「じゃあ決まりね!ラナも!」

「もちろんよ」

「やったあ!また冒険の始まりだ!」


 ターシャは、融けかけた雪が冷やされ凍りつつあった道を跳ねて喜んだ。そして、凍った地面に着地した途端に、足を滑らせ盛大に転倒した。


「いったぁ……」

「……ブッ!」

「……ふ、ふふっ!くっくっく」

「笑わないでよう!」


 転倒したターシャを見て、イゴールとラナが吹き出した。笑いあう3人の少年少女を、月が明るく照らしていた。

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