第10話 ラナ


 「まず“魔法の石”、それはナフトライトという鉱物なんだ。それはラナはもう知っているね」


 老人は、テーブルの向かい側に座るターシャとイゴールに、持ち主の思考を具現化させる“魔法の石”――ナフトライトの存在について語り始めた。


「ナフトライト?」

「初めて聞いた名前の鉱物ですね」


 聞きなれぬ単語に、ターシャとイゴールは首を傾げる。


「無理もない。ナフトライトはこの国が今の体制に替わる以前から、ナフトカの最高機密だった。そして、君たちが見てきたように、ナフトライトは見てきた人間の思考を具現化することができるんだ」

「そんな鉱物が存在するなんて……でも現にターシャやラナは握っただけで炎を出してたし、うーん……」


 イゴールは、数日前から幼馴染やクラスメイトが起こしてきた現象を思い返し、頭を抱えて唸る。蒸気機関の発明以降、発達した科学技術が普及した世界で生まれ育ち、たしなむ程度とはいえ電子工作も行うイゴールからすると、人間の思考だけで現象を起こすナフトライトの科学的な根拠を求めるのは相応だった。


「あ、でもわたしは炎を出せたんですが、イゴールが握っても何も起きなかったんです。それって……」


 頭を抱え唸るイゴールを横目に、ターシャが老人に問いかけた。


「ああ、ナフトライトは全ての人間に反応して現象を起こすのではないんだ。元々は王族や、一部の限られた者だけがその力を使うことができたんだ」

「それじゃあわたしやラナは特別なんですね!ちょっとうれしいな!」

「……別に。私は何も特別じゃないわ」


 ターシャは嬉しそうにラナに笑顔を向けたが、ラナは退屈そうに茶を啜っていた。それでも、ニコニコと青い瞳を輝かせ見つめてくるターシャに気付いて、ラナはぼそっと呟くだけだった。


「えっと、前の体制のときの王様と一族は、革命のときに処刑されてしまったと聞いたことがあるんですが……」


 イゴールは、歴史の授業や両親から聞かされた、23年前の革命の際に起きたことを思い出し、老人に質問を投げかけた。ターシャやラナが、ナフトライトの力を使えるということは、王族か、それ意外の何か特別な立ち位置の人間だったということになる点を気にしていた。


「ああ、うちは王政時代にナフトライトの加工を担っていたんだ。ナフトライトが使える者でも、その精度を上げてやればより強い力を発揮することができる。なぜうちの家系がナフトライトを使えるかは本当にわからなかったが……ラナは私の娘の娘になる孫だ。だからナフトライトが使える血が流れている」


 老人は立ち上がり、暖炉の上にいくつか置かれた赤茶色の石をいくつか手に取り、テーブルの上に置く。石は綺麗に磨かれ光沢を放ち、その表面暖炉の中で燃え盛る火や室内の家具を映している。そして、その石をターシャが覗き込んだ。


「すごく綺麗!わたしのもこんな風に綺麗にできますか?」

「わしはもう長いこと石は加工してないが……どれ、ちょっと見せてごらん。うん、これなら久しぶりにちょっとやってみてもいいかもしれないな」

「わあ、お願いしてもいいですか!」


 ターシャが右手に握っていたナフトライトを差し出すと、老人はそれを受け取り様々な方向から石の状態を確認した。老人は石の加工を承諾すると、ターシャは嬉しそうに両手を合わせた。そして、相変わらず退屈そうなラナに向き直る。


「ラナの持ってるナフトライトも見たいな」

「私のは……簡単に人に見せられるようなものじゃないのよ……」

「え~、せっかく同じ力が使えるんだから見せてくれてもいいのに」

「見せたくないって言ってんの!とにかくこの石とか力のことはここだけの話にして!っていうか早く帰ってよね、邪魔なのよ!!おじいちゃんもいつまでも二人に付き合ってないで!!」


 食い下がるターシャに、ラナは苛立ちを覚えたのか語気を強めると。ターシャは驚いたあと残念そうに肩を落とした。老人は待ちなさいとラナに声を声をかけたが、無視して自分の部屋へと向かい、乱暴に扉を閉める音が聞こえた。見かねたイゴールがターシャに声をかける。


「まあ、あれだよ。人には何でも知られたくないことがあるんだよ。多分ラナが持ってるナフトライトは特別……ナフトライトそのものが特別ってのとは違う何かなんだ」

「でもあんなに怒らなくてもいいのに……わたし、ラナと友達になれたらって思っただけなのにな……」


 ターシャは耳を赤く染めて目に涙を貯めこみ、今にもその涙を零しそうだった。老人は、ばつが悪そうにターシャの傍に寄ると、皺だらけの手をターシャの頭に乗せた。


「ラナが悪いことをしたね、あとでよく言っておくから。でもラナの持ってるナフトライトは……あの子の母親、私の娘の形見でね。人に触らせたくなかったんだろう。酌んでやってくれ」

「え、じゃあラナのお母さんは……」

「ああ。3年前にね」

「そうだったんですか……ごめんなさい。でもわたしもちょっと無理やりすぎました」


 ターシャは事が想像以上に複雑だったことを知ると、泣き出しそうなのを堪えながら謝罪した。老人がいいんだ、とターシャを慰めると、居心地が悪さと外がだいぶ暗くなっていたことに気付いたイゴールがフォローする。


「あ、もうこんな時間じゃん。ターシャ、今日はそろそろ帰ろうぜ」

「う、うん……あの、本当にごめんなさい」

「ああ、もうこのことはいいから……ナフトライトは今夜にでも加工しておいてあげるから、いつでも取りにおいで」

「はい、よろしくお願いします」


 ターシャとイゴールは、外套を着こみ通学鞄を手に取ると玄関口へ向かう。お邪魔しました、と老人に頭を下げると、老人は二人に語る。


「その、ラナは母親を亡くしてからすっかり塞ぎ込んでしまってね。父親は健在なんだが、どうも折り合いが悪くてそれで苦しんでいたんだ。それでわしがこっちに来るよう手紙を出して、昨日こっちに着いたばかりなんだ。あんな調子だが、根は悪い子じゃない。どうか良くしてやってくれないか?」


 老人の口から語られるラナの家庭事情は、とてもお茶請けの雑談にすることは憚られるものだった。しかし、良くしてやってくれ、という言葉にターシャは少し元気づけられたのか、少し笑顔になり答えた。


「はい、今日はちょっと失敗しちゃったけど……わたしラナとお友達になりたいです。だから明日はもうちょっと頑張ってみます。ね、イゴール?」

「お、おう。そうだな……」


 ターシャの決意に同調を求められたイゴールは、少し戸惑い気味に答える。老人はだまって頷くと、夕闇の中を去ってゆく二人の背中を見送った。



 薄暗い部屋には、古びたベッドと机があるだけだった。大きなトランクが床に開いたまま放置され、ベッドの上ではラナが母親の形見――磨かれたナフトライトを握りしめ、うつ伏せになり枕を涙で濡らす。そして、この日学校で妙に懐いてきた上に、新たな家にまで押しかけてきた挙句に自分と同じ秘密を持っているターシャのことを思い返していた。


「私だってあんな風になれたら……どうしてあんなこと……」


 ラナは、この国を牛耳る一党独裁政党の幹部党員の娘に生まれ、物心つく前から様々な人間に接触を受けてきた。だがそれはラナ自身に対する興味ではなく、ラナをダシにしてこの国の特権階級に取り入ろうとすることが目的の者ばかりだった。結果的に、それはラナに近づく者をむやみに寄せ付けさせない防衛本能を植え付け、時として人を傷つける態度を露わにしてしまうものだった。


 しかしこの日、素性も知らないラナに友達になりたいと接近してきたターシャは、不純な動機から接触してきたわけでないことは明らかだった。祖父の助けもあってたどり着いた新天地で、ようやく本当の友達ができるチャンスを自ら潰してしまった。自分を何も変えることができず、ターシャを突っぱねてしまった。そんな自分自身の態度や性格に、ラナはひどく自己嫌悪に陥っていた。


「母さん……私なんでこうなったの……」


 ラナは目を瞑り、母の形見のナフトライトを握りしめる。そしてその手に炎が灯ることはなく、ラナは部屋の暗闇に沈んでいった。

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