第8話 転校生

 翌日、灰色のアパートが立ち並ぶいつもの通学路。今日もターシャとイゴールは揃って学校への道を進んでいた。ターシャはいつも通り、こげ茶色のエプロンドレスの制服の上に外套を纏っていたが、イゴールは制服の紺色のジャケットのままだった。


「やっぱり怒られちゃった?」

「ああ、もう一生外套を着るなって引っ叩かれたよ……クリーニングには出してくれるって言ってたけど」

「そっか……わたしのせいで、ごめんね」

「もうすぐ春だし、なんとか辛抱するよっヘックシ!」


 昨夜ターシャが心配していたとおり、外套を泥に汚したイゴールは帰宅後、母親に怒られていた。晩冬とはいえ、まだまだ通学時間帯の冷え込みは防寒具なしでは厳しいもので、その寒さに思わずイゴールはくしゃみをする。


「暖めてあげようか?」


 ターシャは意地悪そうに笑みを浮かべながら、ポケットから石……昨日の冒険で見つけた、人の思考に反応し現象を起こす石を取り出した。


「持ってきたのかよ……使うなよ。また倒れちまうぞ」

「大丈夫。大事なものは持っていたいの」


 その石が起こす現実離れした現象を目の当たりにした二人は、その存在が明らかになることで騒ぎが起きるのを防ぐため、二人の秘密にすることで同意していた。しかしながら、その特異な存在はターシャの好奇心を掻き立てるばかりで、その石を外套のポケットに忍ばせていた。


 

 二人は教室に到着すると、クラスメイトの男女の賑やかな騒ぎ声が聞こえる……はずだった。この日のクラスメイト達は、一様に数名のグループで集まりひそひそと小声で何かを話し込んでいた。


「おはよ、どうしたの?」


 ターシャは仲の良い女子生徒のグループに近づき声をかける。女子生徒らは、おはようとターシャに挨拶を返すと、会話のグループに加わるようターシャに促した。


「何かあったの?」

「それがね、今日転校生が来るらしいの」

「えっ、今頃になって?」

「そう。なんか変じゃない?」


 この国の教育制度では、学校の年度は10月を区切りにするシステムが取られていた。生徒の転出転入も、そのタイミングで行われるのが通例になっていたが、年度の半分の4月にもなっていないこの時期に、転入生が現れることは極めて異例だった。ターシャとは別の、男子生徒のグループに加わり同じような内容の会話をしていたイゴールも、訝しんで良からぬ想像を膨らませていた。


「こんな時期に転校してくるなんて普通じゃないな」

「おお、やっぱりイゴールもそう思ったろ?」

「俺、孤児院の子を洗脳してスパイにして学校に送り込んで、生徒の会話なんかを人民保安省に報告させてるって噂聞いたことあるぞ」

「怖いな……しばらくは下手に会話しないほうがいいかも……」


 さまざまな憶測が飛び交う中、始業のベルが校内に鳴り響き、各教室ではホームルームが始まろうとしていた。ターシャとイゴールの担任が現れると、その後ろを一人の見慣れない女子生徒が続いていた。担任が教壇に立つと、女子生徒がその横に並ぶ。


「みなさんホームルームを始めますよ。まず今日は皆さんの新しいクラスメイトを紹介します」


 女子生徒は、栗色の髪を右側にサイドポニーテールの形にまとめ、髪色と同じ色の瞳をもった目はアーモンド形に吊り上がっている。細い眉毛と併せて、気の強そうな、とっつき辛そうな第一印象を持っていたが、自席のターシャは青く丸い瞳を輝かせ、興味津々で彼女の姿を見つめていた。


「ラナ・ヴァレンティノヴナです。よろしく。サルグラードから来ました」


 女子生徒は、無表情でラナと自己紹介し、転入前の居住地――この国の首都であるサルグラードの名を挙げた。


(サルグラードから……?こんな田舎に何しに……?)

(やっぱり人民保安省とか……?)


 教室内の生徒がひそひそと話すのが聞こえ、ラナは少し眉をひそめたように見えた。静かにざわつく教室の様子を見て、担任が口を開く。


「静かに。ヴァレンティノヴナさんはご家庭の都合で、本日からこのクラスに転入することになりました。皆さん仲良くするように。席は……そこ。あなたの同じ髪色の子、イゴール・ステファノヴィッチ君の隣へ」

「マジか」


 空席になっていた自分の隣席に得体の知れない転校生が着席することが明らかになり、明らかに動揺した様子を見せるイゴールだったが、ラナはそんなイゴールを気に留めることなく、教師に示されたイゴールの隣の空席に着席した。イゴールは助けを求めるようにターシャの席の方向を向いたが、ターシャはニコニコと微笑みながらイゴールの方向を見ているだけだった。


「や、やあ……」


 イゴールがぎこちなく声をかけると、ラナは一瞬イゴールの方を見る。しかしすぐにフン、と鼻をならし、教壇の方へ向き直ってしまった。


(なんだよコイツ……)


 ラナの素っ気ない態度に不貞腐れたイゴールは、頬杖をついて彼女と逆側に身体を向け、授業の内容も頭に入らぬまま時間をやり過ごした。休み時間になると、ラナに興味を持った何人かの生徒が彼女に声をかけたが、殆ど彼女は相手にすることなくある者は肩を落としながら、またある者は憤りながら彼女の元から立ち去っていた。そんな中、自己紹介のときから興味深々だったターシャが近づき、ラナに声をかけた。


「ラナちゃん、」


 名前を呼ばれたラナはターシャを無視しようと机に突っ伏していたが、直後にハッと何かに気付いたようなしぐさのあと、ターシャの方を向いて栗色の瞳で見つめる。


「なによ」

「その……みんなラナちゃんに興味あって、お話してみたいと思ってるから。全然緊張しなくていいんだよ」

「別に私と話しても面白い所なんてないわよ。それにあんたたちの雑談のネタにされたくはないの」

「そんなことないよ。ラナちゃんすごくかわいいし、サルグラードのお話とかも聞きたいな。あ、わたしナターシャ・ユリエヴナ。みんなはターシャって呼ぶからよろしくね」


 果敢に食い下がるターシャに若干の鬱陶しさを滲ませたラナだったが、続いて口を開いたのは、先ほどからのラナの態度に不貞腐れ机に突っ伏していたイゴールだった。


「ターシャ、そんなのほっとけよ。話したくないって言ってんだからさ。それに“密告”されるかもしれないぞ」

「イゴール、やめなよ。折角隣の席になったんだから……それにラナは“密告”なんてしないもんね?ね?」

「“密告”する奴が“密告”しますなんて言わねぇだろ」

「とにかくイゴールも機嫌直してよ。それにまだ全然お話してないのに決めつけちゃダメだよ」


 相変わらず面白くなさそうなラナを挟んで会話を続けるターシャとイゴールに耐えられなくなったのか、ラナが口を開く。


「あんたたち付き合ってんの?いちゃつくなら私を間に挟むのはやめて」

「なっ、なに言って、」

「そんなんじゃないよ、幼馴染なの。小さい時から一緒なんだ」

「ふうん……そう」


 ラナはそれっきり黙ってしまい、その日はイゴールはもちろん、ターシャもラナに声をかけることはしなかった。


 

 午後、終業ベルが鳴ると、生徒らが賑やかに校舎から躍り出ていた。その中には、この日突然転校してきたラナの姿があった。ラナは一人足早に学校を離れたが、その100mほど後方をコソコソとついてゆくターシャとイゴールの姿があった。


「あのさ、何であんなの尾行するんだよ。ターシャ一人でやってくれよ」

「だってラナ全然お話してくれないから……それに今の時期に転校してくるなんて、きっと何か秘密があるんだよ」

「人民保安省だったらどうするんだよ」

「そうだったらちょっとこわいけど……」


 イゴールは、この国ではこの世の終わりより恐ろしいと考えられている公的機関の名を挙げて、ターシャを脅す。ターシャの笑顔は若干ひきつったが、曲がり角に消えてゆくラナを追うことはやめなかった。やがて、ラナは広い公園へと足を進めてゆく。同じようなアパートが立ち並ぶ街には、こうした広い公園が計画的に設置されていた。茂みに隠れながら、ターシャとイゴールが追跡する。


「公園だね」

「ああ、帰り道なんだろ」

「こうしてこっそりついていくのも冒険みたいだね!」

「……」


 晩冬の公園には残雪が少なくなかったが、歩道を外れれば所々芝生も見え始め、春が近づていることを感じさせた。しかし、所々設置されたベンチは融けかけた雪で濡れているものが多く、人民の憩いの場として機能するにはまだ早いのか、時折通行人が現れる以外は人の気配は少なかった。ラナは公園の中心部にある広い池の前で立ち止まり、追跡していたターシャとイゴールは、適当な木陰に身を潜めラナを見守る。


「どうしたんだろ?」

「さあな」

「あ、なんか手に持ってるよ」

「なんだろう、なんか石みたいな……」


 ラナは、外套のポケットから何かを取り出して右手に握りしめていた。辺りを見回し、人気がないことを確認すると、右手の握りこぶしを身体の前、池の方向に差し出す。



 その瞬間、ラナの手元が光を放った。ボウ、と音を立てオレンジ色の炎の球が飛び出す。炎の球は池の上を目にも止まらぬ速さで飛翔し、水面に落ちて消えてゆく。



 常識では考えられない現象を起こしたラナはふっと息をつく。手元の何かを暫く見つめ、それを外套のポケットにしまうと、再び公園の歩道を歩き始める。


 木陰から、池に火弾を放ったラナの姿を目の当たりにしたターシャとイゴールは、言葉を失い立ちすくんでいた。


 その光景は、昨日二人が秘密にした、炎を出現させる石と酷似した現象だった。ターシャは、外套のポケットに手をやり、昨日手に入れた不思議な石を震えながら握りしめた。

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