第7話 帰還
はらはらと晩冬の雪が舞う山道を、石を持った後から急速に疲労し足元もおぼつかなくなったターシャを支えながら、イゴールが下ってゆく。やがて、行く先に往路で渡った石橋が見え始めた。
「ほら、橋が見えてきたぞ」
「うん、がんばる……」
石橋のたもとに着いた頃、遠くからエンジンの音が近づいてきたことにイゴールが気付いた。カーブの向こうから、この国で最も普及しているボンネットつきの小型トラックが姿を現す。
イゴールは道端の石橋の欄干にターシャを座らせ、大きく手を振り道路に飛び出した。運転手が目を丸くして驚くのが見え、トラックは進行方向の左に避ける形で急停止した。トラックが止まりきれないと感じたイゴールは咄嗟に左側に避け、そのままバランスを崩し橋の手前の雪解けの泥水に倒れ込んだ。
髭を蓄えた運転手がトラックから飛び降り、泥水に汚れたイゴールの胸ぐらを掴み怒鳴りつける。
「ヤイ!危ねえだろクソガキ!!」
「す、すみません!友達と遊んでたんですが急に体調崩しちゃって……街の近くまで乗せてもらうことはできませんか?」
「知るか!歩いて帰りやがれ!」
「女の子なんです、ターシャ……友達だけでもお願いします……」
「なに、そいつを最初に言え!」
困り顔のイゴールの訴えにより、橋の欄干に座り込んでいる少女に気付いた運転手は、ターシャに近づき、嬢ちゃん大丈夫かと優しく声をかけた。同年代の少女より小柄なターシャを丸太でも担ぐかのように持ち上げ、トラックの助手席に座らせ自分も運転席につく。続いてイゴールも助手席に乗り込み、トラックは街へ向けて山道を下り始めた。
トラックのキャビンのベンチ状のシートに、左ハンドルの運転席から運転手、ターシャ、イゴールが並んで座る。
イゴールがターシャの様子に目をやると、顔色は少しづつ普段通りに戻り始めていることに、少しだけ安心できた。ターシャは先ほど急速に襲われた疲労感からか静かに寝息を立て、頭をイゴールにもたせていた。
「すみません、本当に助かります。ありがとうございます」
「女が困ってるなら助けるのが男さ。もし、お前一人だったら置き去りにしてたがな!」
イゴールは恐る恐る運転手に感謝を伝えと、先程イゴールを怒鳴りつけた運転手は、髭面の下に笑顔を浮かべて答えた。
「しかしお前さんたちあんな所で一体ナニしてたんだ?さては逢引の最中だったな?嬢ちゃんこんなにクタクタにしちまうなんて、兄ちゃん相当ヤるんだな、ハッハッハ!」
運転手が前を見ながら意味ありげな冗談を飛ばしたが、明かりがなくなった状況でターシャに起こった不思議な現象を頼り切っていたことや、運転手の女が困ってたら助けるのが男という言葉から感じる不甲斐なさに、自身に対して苛立ち感じていた。やがてトラックは牧草地を抜け、灰色のアパートが立ち並ぶ市街地に入ってゆく。
「この辺でいいか?」
トラックは、灰色のアパートが立ち並ぶ住宅地で停車した。本当に助かりました、とイゴールが運転手に礼を告げ、相変わらず頭をもたせたままのターシャの身体を揺さぶる。
「ターシャ、ターシャ起きろ」
「ん……イゴール?あれ?何で?だ、誰??」
ターシャがゆっくりと瞼を開くと、状況が掴めないのか青い大きな瞳で左右を見渡す。見慣れた幼馴染の顔と初めて見る髭面に挟まれていることに気付いたターシャは、一層混乱した。
「じゃあな二人共、もう無茶はするなよ。お幸せにな!」
髭面の運転手が窓をあけ二人に声をかけると、トラックは煤を吐きながら走り去った。見慣れた街並み。ありふれた日曜の光景。二人の初めての冒険は、思いもよらぬ発見とともに、急速に終わりを見ることになった。
「ターシャ、もう大丈夫なのか?」
「うん、さっきはすごく疲れたんだけどもう大丈夫。どうしてあんなに疲れちゃったのかな……」
「まさか……その石のせいなのか?」
「わかんないけど、もう一回やってみればわかるかも」
「いや、ここじゃちょっとまずいな……」
急速な疲労と石との因果関係を明らかにしようと、握ったままの石を掲げるターシャだったが、多くの人が行き交う住宅地で、突然手元から火を上げる少女がいると目立たないはずもなく、騒ぎになることを避けたいイゴールがターシャを制する。何よりこの石が安全な物質なのかものかもわからないため、第三者に危害が及ぶ懸念も含まれていた。
手にした者の思考と呼応し、相応の反応を起こす石。
そんな物語に出てくるような不可思議な物体を思いがけず手にすることになり、直後に体調不良に見舞われたターシャだったが、心の中では不安や心配よりも、とんでもない大発見に胸を躍らせていた。
「この石、まだ火を出せたりするのかな……他にも何か使えるかも!」
「ターシャ、この石のことは誰にも言わないでおこう」
「どうして?せっかく見つけたのに」
「おれの知ってる限り、握って念じただけで現象を起こす石なんて聞いたことがない。そんな石をおれたちが持ってるとわかったら大騒ぎになって、いつもみたいに学校に行ったり少年団の活動に出られなくなるかもしれない。だからさ、この石のことは二人で秘密にしよう。な?」
「そっか……でもこの石が原因でイゴールとか他の友達と遊べなくなったり、この街から離れなきゃいけなくなったりしたら、嫌だな」
自身の大発見を表ざたにすることのリスクを示されたターシャは、少し残念そうな表情を浮かべていた。そんな様子を見たイゴールは、はにかみながらターシャに言葉をかけた。
「んじゃ、とりあえず帰って反省会でもするか!」
「あっ、勝手に決めちゃだめ!冒険団長はわたし!」
すっかりいつもの調子に戻った二人は、街中の同世代の少年少女のように、じゃれ合いながらその場を離れた。帰ると言ったイゴールだったが、まずいつものようにターシャの家にお邪魔し、泥だらけの姿をターシャの母に驚かれた。
「とにかくお風呂入りなさい」
ターシャの母に促され、イゴールは浴室を借りる。泥だらけになった外套は、さすがに手に負えず玄関先に放置された。ターシャはいつものように台所で母を手伝い、美味しそうな香りを立てながらこの日の夕食が出来上がった。
イゴールが入浴を終えると、いつもの3人の夕食となった。ターシャとイゴールはかつてないペースで、ターシャの母が作った料理をかき込む。あっという間にスープ鍋の中身は半分を切り、ふかしたジャガイモの山は、すでに皿の上から消え去っていた。
「あんたたち今日はどうしたのさ……?」
「うん、なんかものすごくお腹空いちゃった」
「いやあ、おばさんの料理がいつも以上に美味しいんですよ」
「それにしても食べ過ぎでしょ。それにあんな泥だらけになって、少年団で何してたの?」
何をしていたのかというターシャの母の問いかけに、二人は食事の手が止まる。止めろと言われた坑道に言ったとは答えられるはずもなく、そのまま互いに視線だけ合わせる。
「えっと……その……石!歩道の石を拾ってたの!」
「はあ?」
「そ、そうなんです!道路に石があると小さい子やお年寄りが躓いて危ないので、石を拾ってどかそうという活動だったんです!」
「そう!イゴール夢中になって拾うもんだから、水たまりに転んじゃったんだよね!」
「いやあ少年団員として人民に奉仕することに夢中になってて!あ、スープおかわりしてもいいですか!」
二人は慌てて、今日の行動を取り繕う。ターシャの母は怪訝そうな顔を浮かべたが、すぐに何かを察したようにニヤリと笑うと、それ以上追及することをやめた。
イゴールが泥だらけの外套を持って帰宅していったあと、ターシャは食器を片付けるのを手伝うと、この日の疲れを癒し汗を流すため、浴室へ向かった。
壁に取り付けられたシャワーの蛇口から、たっぷりの温かい湯が降り注ぎ、浴室内は水蒸気に満たされる。ターシャはいつもそうするように、シャワーを浴びながらその日の出来事を振り返っていた。
(今日は楽しかったな……わたしの初めての冒険。イゴール、外套汚して怒られてるのかな。坑道の中の水、すごく綺麗だった。最後は急に疲れちゃって残念だったけど、あの不思議な石を見つけられたのは本当にうれしいな、また冒険してみたいな。そしてまた秘密の何か……)
ふと、ターシャはシャワーの蛇口をひねり湯を止めた。初夏の豊かに実った小麦畑を思わせる金色の髪から滴り落ちた水滴が、冬の静寂のなかの雪原のような白い肌を滑り落ちる。
「秘密……か。わたしとイゴールしか知らない秘密。ちょっと嬉しいな」
誰となく呟くと、ターシャはバスタオルを手に取り浴室を離れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます