第4話 旅立ち

 次の日の放課後、ターシャの部屋にはいつもの二人の姿があった。狭いベッドの上で、前日老人から託された古地図を挟んで向かい合い座っている。


「それじゃあね、この地図にある鉱山の場所。ここに行ってみよう。行くのは次の日曜ね!」

「やっぱり本当に行くんだな……」

「今更怖気づいてるの?これだけ条件がそろったんだよ?これは運命なんだよ!」

「ああ。わかってるよ。男に二言は無いからな」


 ターシャは自信満々だったが、イゴールは少し自信なさげだった。とはいえ行くと言ってしまった以上、年頃の男として後に引くわけにもいかなかった。そして、前日に老人から言われたことを振り返る。


「けどさ、あのおじいさん何でこの地図のこと人に言うなって言ったんだろうな。そんなに重要なものなら、何でさっき会ったばかりのおれらに渡したんだ?」

「わたしの冒険に対する熱意が伝わったから託してくれたに違いないよ!それに人に見せるなってことはこの地図には何かすごい秘密があるんだよ、きっと!」


 得意げに答えるターシャだったが、イゴールにはいまいち腑に落ちない点があった。しかし、老人の発言や古地図の疑問点を今更思案したところで、ターシャを止められる見込みは少ないことは、幼い頃から多くの行動を共にしてきたイゴールには容易く想像がついた。そして今までになく心を躍らせるターシャの姿が、これまで見てきた幼馴染の姿とは明らかに異なる自信に満ちた冒険家のような姿に、深く考えることを諦めた。


「そうだな……!ここまで来て引き返せるもんか!やってやろう、“魔法の石”が本当にあるのか確かめてやろう!」

「そう来なくっちゃ!じゃあ必要な物を決めて準備しよう!」


 二人は意気揚々と冒険のミーティングを始めた。必要な道具や食料を洗い出し、目的地への所要時間や人目につかないように行動するために早朝に集合すること、目的地に辿りつかなかった場合の冒険を継続するか否かや、万が一の事態が起きた場合の対応を話し合った。


 日曜日の早朝、灰色の街はいつもより風が強く吹いていたが、白み始めた空にはほとんど雲は見えなかった。待ち合わせ場所の、日曜ということもあってか、殆ど人気のない街の広場に現れたのは、意外にもイゴールだった。程なくして、彼の姿をみつけたターシャが白い息を吐き手を振りながら広場に現れる。


「おはよう!イゴールの方が先に来てるなんてちょっとびっくり」

「おはよう、来てないもんだから怖気づいてやっぱりやめましたって言い出すのかと思ったよ」

「なによそれ、冒険団長が怖気づいてたら話にならないでしょ」

「いつから団長になったんだか。さ、人目に付く前に出発しようぜ」


 普段通りに冗談を言い合いながら、早速街の南側の山へ向けて歩き始める。


 季節柄外套こそ欠かせないが、二人は、この国の少年少女がほとんど義務的に加入する少年団の制服・イゴールはいつも通りの紺色のジャケットとズボン姿、ターシャは通学時のエプロンドレスの制服ではなく、イゴールと同じような紺色のジャケットにひざ丈のスカートを着用していた。


「なんとか誤魔化せたか?」

「うん、少年団の活動があるって言って出てきたよ。これならちょっと遅くなったり、汚れても変に思われないよね」


 そして、ターシャは背負った、必要以上に膨らんだ背嚢を示して続ける。


「それに、ランタンとかロープとか持って行っても怪しまれないし。まあ勝手に持ってきたんだけど」

「おれは包帯とか消毒薬を持ち出すの大変だったよ、多分見つからずに持ち出せたけどな」


 二人は住宅地を抜け、牧草地を過ぎて山道に入ってゆく。太陽も顔を出し、残雪が融けた水を滴り落とし始める頃には、街を一望できる高台にたどり着いた。旅立ちを祝福するかのように透き通った青空の下に広がる住み慣れた街の景色は、日常を逸脱した行動をしていること実感させた。


 高地の空気は冷たいが、降り注ぐ晩冬の日差しが歩き続ける二人を暖める。雪解けでぬかるみ、あるいは日陰の残雪で複雑な路面状況の山道は、まだ若く体力気力も充分な二人が考えていたより歩きづらいものだった。歩きどおしで蓄積した疲労が、この先の行動に支障を及ぼすことを考慮し、ひとまず小休止をとることにした。二人は背嚢を降ろし外套を脱ぎながら、道端の手ごろな岩に腰掛ける。


「あー、暑いんだか寒いんだかわかんないよ。もうすぐ春だね」

「そうだな、結構歩いてきたよな。あとどのくらいだ?」


 イゴールが尋ね、ターシャが地図を広げ現在地を確認する。しかし、地図そのものの古さと目印になる建造物や建造物も乏しく、実際に自分たちが地図上のどの地点にいるのか判然としなかった。この重大な事実に気付き思わず顔を見合わせた二人だったが、このような躓きで冒険を終わらせるわけにはいくまいとターシャが立ち上がり力説する。


「と、とにかくまだ目的地は先!地図によれば鉱山への道は川を渡ってすぐ右に折れるみたいだし、まだ川なんて渡ってないから歩き続ければ大丈夫よ!それに街の南側から山に分け入る道はこの道だけだよ!」


「やれやれ本当に大丈夫なんだか。まあ確かに川は渡ってなかったし、もう少し進んでみるか」

「異議なし!出発!」


 ターシャの根拠に乏しい自信に若干呆れながら、イゴールは冒険を継続することに同意して立ち上がる。二人は、残雪とぬかるみの山道を再び歩き出した。先ほどまで雲も疎らだった青空は、いつの間にか薄く雲がかかり、時折灰色の雲の塊が目に見える速さで流れてゆく。半ば遠足気分で山道を登ってゆく二人とは対照的に、山の天気は下り坂に向かっているようだった。


 二人が歩き始めてしばらくすると、意外なほど呆気なく小川に掛かる古い石橋が目の前に現れた。石橋を渡り、右に折れる車一台が通れる程の細道を地図通りに進んだ。川沿いの細道は少しずつ高度を上げ、雪解け水で濁った小川が眼下に流れる。


「落ちたくないな」


 イゴールが見たままの感想を呟く。細道は日当たりが悪く残雪が残されていたが、不思議なことに思いの外歩き辛いということはなかった。しばらくして、前を歩き続けていたターシャが突然駆け出し、イゴールが後を追う。


「どうしたんだよ!?」

「この先が開けてる!」


 やがてターシャは立ち止まり、前方を指差し満面の笑みを浮かべながらイゴールに向き直った。指差した先は広場になり、片側の斜面には適当な板材が立て掛けられた一角が見えた。二人はその一角に近づく。板材の隙間を覗き込むと、中には漆黒の闇が続いているのが見えた。


「ここかな?」

「ここ……だろうな。手間の広場が作業スペースだったのかな」

「本当に来ちゃった……お母さんも昔来たのかな」

「帰るか?」

「まさか」


 坑道の入口はあまりにも素っ気なかった。周囲に鉱山の遺構らしい構造物は見当たらず、広場に溶けかけた残雪が広がるばかりだった。物音ひとつしない広場で、動くものはターシャとイゴールだけだった。


「入れるのかな……?」

「待って!入口に罠が仕掛けられてるかも!」

「ターシャは本の読みすぎだろ」

「盛り上がるでしょ?」

 

 イゴールが板材に手をやると、残雪の上に板材が倒れ、坑道の入り口が姿を現す。光が差し込み目視できる部分は素掘りの岩肌が露出し、地面にはかつてトロッコが往来していたであろう、赤く錆びた2条のレールが並ぶ。その先は、終わりの見えない闇が続いていた。


 その存在を知り、初めての冒険場所に選んだ坑道にいよいよたどり着いた。二人はその闇の暗さに息を呑み沈黙する。ターシャが背嚢からランタンを取り出し、マッチを擦り火を灯し、沈黙を破った。


「行こう、“魔法の石”を見つけに!」


 小さな灯りと小さな二人の影が、深い暗闇に吸い込まれてゆく。坑道の入口から小さな灯りが視認できなくなる頃、灰色の空から、はらはらと白い雪が舞い降りはじめた。


 暗闇に消えてゆく彼女らの心の中に渦巻くものは、期待か、不安か。待ち受けているものは、成功か、絶望か。それらの答えを知るものは、誰もいない。

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