第2話 夕食

 居間の背の低い本棚には、古い物語を記した本や児童向けの文学が並んでいる。壁にかけられたいくつかの額縁には幼いターシャと両親の姿が写された写真が収められ、それらの上には満面の笑みで明後日の方向を見つめるナフトカ人民共和国の最高指導者の肖像が飾られている。


 テーブルには三名分の食器が並べられ、ターシャは母親に手伝うよう促されキッチンへ消える。


「遠慮しないで食べてって」

「ありがとうございます、いつもお世話になりっぱなしで」


 キッチンから声をかけるターシャの母にイゴールは感謝を伝えながら着席すると、ほくほくと湯気をあげるジャガイモが盛られたボウルを持ったターシャが台所から現れ答える。


「お父さんとお母さんお仕事忙しいんだし。小さい時からこうなんだから今更気にするような仲じゃないでしょ」

「いや、でも本当に感謝してるよ。ターシャだって父ちゃん出稼ぎに行ってるのに……」

「本当に気にしなくていいのよ、イゴールは私の親友の息子さんで私の娘の旦那さんになるんだから。さあ食べましょう、たくさん作ったからね!」

「なっ!言っていい冗談と悪い冗談がありますよ!」

「お母さんやめてよ!イゴールなんかとずっと暮らすなんてあり得ないよ!」


 キッチンから飛んできた冗談に、幼馴染の二人は顔を真っ赤にして反論する。食欲をそそる香りと湯気を立てる鍋を手にしたターシャの母が現れ、ごめんごめんと謝りながらスープを器によそっていく。

 

「「「いただきます」」」


 食前の挨拶をささげ、夕食に手を付ける。ターシャとターシャの母、イゴールの三人は、まるで本当の家族のように夕食のひと時を過ごした。



「そう、魔法に冒険ねぇ。あんたたちそういうの好きだものね、うちの家系ってみんなそうなのかしらね」


 食後のお茶の時間、母が本棚の本に目をやりながら二人に言葉をかけた。ターシャがこの国では違法とされる隣国のラジオ放送を聴取していたことを漏らしそうになるので、イゴールが間に入りながらどうにか会話を取り繕っていた。


「あたしもあんたたちくらいの頃に冒険ごっこしたわよ。街の南側の山の方に廃坑があって、そこに友達、そうそう今のイゴールのお母さんもね。あと何人かで入ってみたのよ」

「本当!?その廃坑ってまだあるのかな!?」


 突然大声を上げ椅子から立ち上がったターシャに驚き、イゴールは口に含んだ茶を吹き出した。母は茶で汚れたテーブルを拭きながら答えた。


「どうかしら、あの王様がやっつけられる前の年だったから、もう20年以上前よ。とっくに崩れてしまったかもしれないわね」

「そっか……でも冒険してどうだった?楽しかった?」

「何かお宝とかありました?」

「もちろん楽しかったわよ、お宝とかそういうものは全然なかったけど。本当は立ち入ってはいけない場所に入ってる背徳感とか、誰かに見つかったらどうしよう、もし天井が崩れたらどうしようってスリルは忘れられないわね」


 母の思い出話にターシャは目を輝かせ、隣に座るイゴールは幼馴染の様子にただならぬことを言い出す気配を感じていた。直後にその予感は的中する。


「あーわたしも何か冒険がしてみたい!わたしも今度その廃坑行ってみようかな!」

「やめときなさい、あたしが行ったのはもう雪がない頃だったしね。まだ山は寒いからやめたほうがいいわよ。それにあんたたちの身に何かあったら嫌なんだから」


 ターシャの安直な発想と、そこから引き起こされる軽率な行動を母が制する。まだ成人していない一人娘と、親友の息子の身を案じれば当然の反応だった。母は茶を一口含むと二人に語り掛ける。


「まあどうしても行きたいなら、誰か大人に言ってからにしてね。それに今の季節はやっぱりちょっと早いわよ」

「うーん、そうかー。だってよイゴール」

「何でおれが言い出しっぺみたいになってんだよ……つうかこんな時間か。そろそろお暇しようかな、父ちゃん母ちゃん帰ってるだろうし」


 母の冷静な反応にターシャは少し肩を落とし、聞き手に回っていたイゴールに話を振り直した。少々困惑したイゴールだったが、時計の針がだいぶ進んでいたことに気付き、帰り支度を始めた。


「おやすみイゴール、明日学校でね」

「おやすみー、お母さんによろしくね」

「おやすみなさい、お世話になりました」


 玄関口で夜の挨拶を交わし、コンクリートの壁で囲まれたアパートの階段を降りてゆくイゴールの足音と、鉄製の扉が閉まる音が響く。


 見送ったターシャは自室に戻り、勉強机に向かい電気スタンドの灯りを点けた。母から聞かされた冒険物語や、幼い頃に読んだ文学、夕方密かに聞いているラジオドラマを思い返しながら、机上のノートを開き何かを書き始めた。



 殆ど灰色をした街に、今日も朝がやってきた。職場へ向かう労働者や登校する学生たちは、冷え込みで凍った道で滑らないよう慎重に目的地へ歩みを進める。その中には、フラフラと不規則に揺れながら今にも転倒しそうに歩くターシャの姿があった。


「よう!」

「おはようイゴール、っていうか脅かさないでよ」

「悪い悪い、いや、なんかヒドい顔してんな」

「あー、ちょっとよく眠れなかったの……」


 虚ろな目の下に隈を作ったターシャの表情に、イゴールは率直な感想を伝えた。二人は並んで学校への道を歩き始めた。


「何で眠れなかったんだよ」

「うーん、ラジオとか最近読んだ物語のこととか思い出して、自分ならどんな魔法使いたいかなとか、冒険したら何を見つけられるかななんて考えてたら眠れなくなっちゃった……」


 ターシャは話しながら通学カバンから一冊のノートを取り出した。“ナターシャ・ユリエヴナの冒険計画”とタイトルが付けられたノートを渡されたイゴールがパラパラとページを捲りながら尋ねる。


「なんだこれ?」

「あのね、次の日曜日お母さんが言ってた廃坑に行ってみようかなって思って」

「おいおい、お前の母ちゃんも言ってたろ、まだこの季節は厳しいと思うぞ!?」

「もうすぐ冬も終わりだし、今行かないと崩れちゃうかもしれないじゃん。それに昨日イゴールも宝探ししてみたいって言ってたよね」

「それはそうなんだけどさ、終わりっていってもこの寒さだし、やっぱり山の方に行くのはどうかと思うんだよ」


 ターシャが寝ずに思い描いた計画を明かされ、驚きの声を上げたイゴールだったが、唐突で尚早な提案に懐疑的な答えを返した。


「もしかして男の子のイゴール君は怖いのかなあ?」

「なっ!?そんなことあるもんか!」


 ターシャはイゴールの顔を覗き込んで推し測る。顔を反らしながら咄嗟に否定したが、冷静に判断したつもりの回答はまだ少年とはいえ男として顔を潰しかねないものだったことを何とか挽回しようする。


「まあもし本当に行くってんなら……ターシャ一人で行かせても本当に行くかわからねえしな、危険を目の当たりにして逃げ帰ってくるかもしれねぇし。ちゃんと冒険してるか目に焼き付けないとな」

「わたしがしっぽ巻いて冒険から逃げ帰る!?そこまで言うなら決まりだからね!そのノート貸してあげるから放課後までに読んでね!」


 気づけば二人は既に校舎の入口にたどり着き、待っていたかのように予鈴のベルが鳴り響いた。ターシャは、自分がいよいよ物語のような冒険の主人公になるのだという興奮と、幼馴染に見くびられた悔しさから、寝不足の気怠さからすっかり覚醒していた。

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