第2話

 醤油が切れた。

 夕食は基本的に自炊することにしている。

 どんなに疲れていても、残業で遅くなったとしても、仕事帰りにスーパーに寄り、できるだけ安い食材を買い、簡素な食事を作る。


 一応言っておくと、別に料理が得意ではなし、好きなわけでもない。むしろ嫌い。

 しかし、それ以上に外食をすること、もっと言えば、食事にお金をかけることを嫌悪している。長時間かけ必死で稼いだなけなしの給料が、食という刹那的な欲求に消えていくことが耐えられないのだ。


 いつも通り、鶏胸肉を炒めていた。味付けは、酒、みりん、そして、醤油。目分量でだいたい大さじ一杯づつ。しかし、その日、醤油が底をついた。1.5Lサイズを使い切ってしまった。


 前回いつ買ったか覚えていない。仮に半年として、僕はこの期間、ほぼ毎日、目分量の大さじ一杯を使い続け、大して美味しくない夕食を食べ続けてきた。


 僕は夕食を食べる時、必ず惨めな気分になる。


 そして、スーパーで1.5Lの醤油を買うことは、次の惨めな半年間に足を踏み入れる行為であるように思えた。



 ところでだが、仮に、もし仮に、明日仕事を辞めたとする。そうすれば、社宅に住む僕は、引越しをしなければならない。


 かつて、学生アパートから今の家に引っ越してきた時、処理に困ったものがいくつかある。

 その一つが使いかけの調味料だった。運にも溢れたら大変だし、捨てるのは勿体無い。


 つまり、醤油が切れた今は、引越しの絶好の機会に他ならない。


 そうだ!明日仕事辞めてしまおうか!

 

 そんなことを考えていたその日の夕食は、不思議と甘く、美味しく感じる。

 明日はどうやって、どのタイミングで退職宣言してやろうか、「辞表」と書いた封筒を用意して、ドラマのように机に叩きつけても面白いかもしれない。

 流れるように、箸が進む。その日は普段なら後回しにしてしまう、洗い物まで行った。


 しかし、僕は小心者だった。

 希望で膨らみ切った心は、朝にはさっそく萎み始めており、会社に着いたころには跡形もなく消え去っていた。当然の如く、いつもと変わらず働いた。


 その帰り、僕は醤油を買った。

 しかし、いつものサイズではなく、500mLサイズ。せめてもの抵抗。


 小ぶりで、どこかたよりない瓶。それはどこか僕をバカにしているように見えたし、一方で少ししか入っていない真っ黒な液体が、その時ばかりは光って見えた、気がした。


 仕事辞めたい。

 辞めれるわけないのだけれど。

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