コンクールに向けて

 結論から言うと、文化祭は大成功だった。前日は不安で寝れなかったものの、来てくれた人の反応も悪くなかったし、展示を観た同級生と話すきっかけにもなった。会話の中には多少の茶化しが介在していたとはいえ、クラスで孤立気味だった今までよりはずっとマシだった。人間関係って、イジり合えるくらいが健全だし。


 作品に関しては、勉強を無視して四六時中創作のことばかり考えていたおかげで納得のいくものができた。授業中もずっとノートの端に展示用の文章の案を書き留めていたせいで期末の点数は散々だったけど。


 文化祭が終わって数日間はお互いバタバタしていたのだが、今日は祭の次の週末ということで一週間ぶりにKと駅前で待ち合わせ。打ち上げをしようという話になって、一緒に焼肉屋へ行くことになった。


「食べ放題の一番安いコースでいいよね」

「うん」



 注文のやりとりの後で、話題はこの間のことに移る。


「S、知ってる?私たちの展示、結構評判良かったらしいよ。実はうちの美術部の顧問の先生も褒めてくれたんだ」


「マジ?まあ、期末とか全部犠牲にしたもんね。でも、制作も本番の展示の片付けも終わっちゃったし、これからはKと会う頻度も減ると思うと悲しいな」


「それでさ、せっかく二人で良いのが作れたんだし、また共作やってみない?今度はコンクールに出してみようよ」


 私は雰囲気に流されてOKしてしまった。そして、言った後で少し後悔した。高三の夏を前にしてこれ以上創作を続けても良いのだろうかという不安と、まだKと一緒にいられる嬉しさが私を板挟みにする。このアンビバレントな状態はその後もずっと続いた。


 肉が着いたので、焼きながら内容の話になる。


「で、例のコンクールっていうのは文科省の中高生向けの映像コンクールなんだよね。そういえば、SはYoutubeに投稿されてる自主制作MVって知ってる?」


「知ってるよ、人の音楽に自分で3Dの映像とかアニメとかをつけて投稿してるあれだよね、ボーカロイドの曲とかでよく見るやつ」


「そうそう、ああいうのをイメージしてもらえればいいんだけど、CGとかアニメとかの映像制作を奨励するために去年から始まったコンクールがあって、それに出ないかってこと。私は部活では油絵とかがメインなんだけど、デジタルの表現もやってみたいんだよね」


 ヤバい、普通に楽しそう。私はそのまま浮かれて具体的な話を進めてしまった。冷静さを取り戻して不安が優勢になってきた頃には、今更断ることもできなくなっていた。




 梅雨が明ける、そして一層暑い夏が始まる。夏休みのある日、私は一軒家の玄関前に立つ。


 ピンポーン……ジジジジジ……インターホンの音が蝉の声に消されていく。日差しと蝉噪がこうして街の全てを掻き消していく。頬を伝う汗を拭っていると、家の中からバタバタという音が聞こえる。おもむろに玄関のドアが開いて、Kが私に手招きする。

「お待たせ、暑い中よく来てくれたね」


 蒸し暑い階段を登る。彼女の部屋は二階だった。私の部屋へようこそ、Kがそう言うので恐る恐る足を踏み入れる。


 部屋はカーテンが閉まっていて薄暗かった。壁中を覆う本棚には莫大な量の本が保管されていた。もちろん漫画や参考書なんかもたくさんあったが、中でも私は、原研哉の本だの画集だの、平均的な女子高生とは明らかに乖離したセンスの蔵書群に目を見張った。


 彼女が一階のキッチンの冷蔵庫に麦茶を取りに行っている間、私は彼女の部屋を見渡す。机には液タブをはじめとした絵の道具が置いてあったが、その中には何に使うのか私には見当もつかないようなのもあった。専門書がずらりと並ぶ本棚と併せて、Kの知的で芸術的な面を詰め込んだような部屋だと思った。


 ふと視線をずらすと、ベッドが目に入る。少しだけシワが寄ったシーツが、ここが彼女のプライベートな空間であることを教えてくれる。私、Kの実生活を覗いちゃってるんだ。なんだかイケないことをしているような気がした。

 こうしてみると、自分がKに対して、単なる友情以上の何かモニョッとした感情を抱いていることに気がつく。自分を孤独から救い出してくれた友人への恩義混じりの依存?知的な美少女に対する羨望?あるいは同性愛的な恋愛感情?

 もしかしたらこれらのどれでもないのかもしれないし、逆にそれら全ての混合物なのかもしれない。いずれにせよ、危険な感情なのは間違いない。ともあれ、自分が少し変になっている自覚がある。


 Kが階段を上がってくる足音が聞こえ、私は慌ててベッドから目を逸らした。複雑な感情を抱えたまま、いつもと変わらない態度でKを迎えた。私の内心なんて全く知らない彼女は部屋の真ん中のローテーブルにコップとピッチャーを置き、平然と床に座る。


「この間説明したとおり私たちは音楽に映像をつければいいんだけど、とりあえず課題曲として指定されてる音楽があるから、それを聴いてみてほしいんだ」


 彼女は何気なく手渡してきたiPhoneの画面にはyoutubeの動画が表示されていた。官公庁が投稿している動画にありがちなことだが、きちんとした体裁の割に再生回数は極端に少ない。彼女の言葉で頭が制作モードになった私は、さっきまでの胸中の揺らぎを忘れ、イヤホンをはめて音楽を聴いてみる。


 インスト曲なので、歌詞はない。始まりはUKdrill風。重低音とハイハットの効いたダークな音楽。ラップのイントロみたいな感じで、これに合う映像を考えるのって中々大変なのではないかとも思ったが、数秒ほど経つと完全に印象が変わった。ピアノが入ってきたのだ。リバーブとリリース、つまり残響を一切排したピアノが控えめに鳴る。通常なら歓迎されにくい音色ではあるが、中性的なメロディと相俟って理知的な美しさを醸し出していた。全然形態は違うが、ラヴェルやドビュッシーのピアノ曲を初めて聴いた時に感じたあの現代的な美しさを思わせるところがある。時折薄暗い雰囲気の中に明るい音が混ざることもあった。そして音楽は山場へと向かう。おそらく、クラブミュージックにおけるドロップに相当する部分であろう。気持ち良い重低音とピアノが暴れて耳を破壊しに来た。きっと、ここがそのまま映像の山場になるはずだ。

 このパートが終わると、曲は最初のようなシンプルな構成に戻り、そして暫くして終わった。


 音楽的には若干「治安が悪い」とも言えるベースと理知的なピアノの音がうまく融合していたのが衝撃的だった。先鋭的な表現ながらも不協和の感じはせず、当初の印象とは違ってこのコンクールにふさわしい今風な曲だと思った。文科省が最先端の映像表現を模索する学生たちのために委嘱しただけはある。とはいえ、合う映像をつけるのが難しい曲ではあると思う。私はイヤホンを取って何となく呟く。

「これ、どうしよっか」


 映像の時間的な構成を考えるのはのは私の担当だった。いいアイデアが湧いてこないかな、と思って何となくKの本棚の辺りを見やる。漫画の背表紙が沢山並んでいる。何となく目に入った『魔法少女まどか☆マギカ』のコミカライズに惹かれた。私は有名なアニメ版も見たことはないが。こうしてみると私って、内向的なだけでオタクでもないのかもしれないなと思った。今度ははっきりとKに聞こえる音量で呟く。


「魔法少女、なんてテーマはどう?」


「いいね〜」

 何やら嬉しそうな彼女が続ける。

「魔法少女って子供向けのイメージは根強いけど、一周回って今風だよね。最近だと逆に中高生とか成人とか、もう少し高い年齢層のオタク向けのアニメも増えてきてるし。ネットのトレンドにも乗れて良いんじゃない?」


 Kのお墨付きも頂けたことなので、テーマはこれに決定。その後は作品制作のプロセスについて話し合った。私が脚本を、そして彼女がイラストを含めた具体的な映像制作全般を担うことになった。



 そうこうしているうちに六時になっていたので、次の約束をして別れる。群青色の空に入道雲が浮かんでいた。ぬるい夕方の風を浴びて帰っている内に映像のストーリーが思い浮かんできた。作品のアイディアに出会うのは、いつだってこういうタイミングだ。


###


 ある冬の日の夜中、少女——ちょうど、私のように友達が少ない女の子。主人公への自己投影は作者の特権だから——が目を覚ますと、枕元に魔法のステッキがあった。杖を振ると変身できて、願い事を叶えられるようになる。(そういう、月並みな導入。)少女は困っている人を見つける度に陰から手を差し伸べる。路上で無くした財布を探している人のために財布を目の前にワープさせたり、病気の猫を治したり。人に変身姿を見られないように気をつけながらなので当然彼女の善行は誰にも知られないままで、依然孤独なままだが、それでも少女は周囲の人々を幸せにできることのささやかな喜びを噛み締めている。

 山場はここからだ。ある日の下校中、少女は高校の裏でいじめを目撃する。途端、脳内に昔の苦い記憶がフラッシュバックし、取り乱した彼女は自らの能力を他人を攻撃するために使用してしまう。いじめっ子は大怪我を負ってしまった。罪悪感とパニックの中走って逃げ出した主人公は、車に轢かれて死んでしまう。

 ドロップが終わると曲は最初のパターンに戻り、主人公は最初と同じ寝室で目を覚ます。ただし今度はステッキがない。どうやら、今しがた経験した出来事は全て悪夢だったようだ。主人公は安心して眠りにつき、物語はこうして終わる。

 

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 五分弱の音楽に合わせる都合上あまり複雑な展開にはできないし、正直相当ベタなものになってしまった。だから、映像の要所要所にまっ白のカットを挿入し、そこに私の散文を入れようということになった。当時の私はシナリオのベタさをテキストで補完して深みのある作品にしてやろうと意気込んでいたのだが、そういう自負が後々私を苦しめることになるのだった。


 その日以降の私たちは、生活の全てを創作に捧げることになった。私は毎日図書館に通い、今まで一回も読んだことのない詩集や批評に目を通していた。Kの技術に負けないような上手い詩を書いてやろうと思って。私の才能を見込んで誘ってくれた彼女の期待に応えようと思って。


 思えば、あの日から私たちの破局は始まっていた。カタストロフィは数週間かけて進行した。なめらかに、かつ急激に。

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