早く!書子ちゃん!

百済

第1話 書子ちゃんの休日


 書子ちゃんの朝は早い。今日は土曜で休みだが、平日と同じ時間に起きた。支度を済ませて、家を出る。

 書子ちゃんは運転免許を持っているが、教習所を卒業して以来、車に乗っていない。もちろん、車を買うお金もない。なので、ママチャリが主な移動手段だ。

 天気も良く、サイクリングには最適な日だった。が、彼女の目的はそれではない。

 ママチャリを走らせること10分。書子ちゃんは土手にチャリを止め、階段上になっている石段の上に腰を下ろし、スマホを開いた。メモ帳アプリで、今日のスケジュールと、達成するべきノルマを確認する。


「今日の目標


・6000字書く

・資料を100ページ読む」


 書子ちゃんは作家志望者なのだった。平日はあまり書けない分、休日は何時もの3倍の量を書くことをノルマにしていた。

 残念ながら達成出来ない日もある。だけど今日は、と思いながら彼女はほくそ笑んだ。

(この時間に出掛けてるんだから、目標はもう半分達成したようなものよね!)

 金曜の夜は誰でもハメを外しがちになる。だが、それこそがダメな休日への入り口なのだ。土日を有意義に過ごすには、夜更かしせずにちゃんと寝る。そして何時もと同じ時間に起きて、出掛ける方が良い。彼女は引き篭もると自身が行動しない傾向があると気付いていた。

 人間は弱い生き物だ。しばしば自分の意思に負ける。だけど今日は違う、と書子ちゃんは思った。

 彼女は違うメモを開いた。そして、書き途中の小説の続きを書き始める。うんうん唸りながら、入力し続けること30分。キリのいいところまで書けた。文字数は800字くらい。本当は1000字書いてしまいたかったが、あまり欲張っても仕方ない。

 再びチャリを漕ぎ、今日の目的地を目指した。

 書子ちゃんの住む街は小さく、娯楽施設もないし、寄るところもない。だから、出掛けるなら隣町へ行く事になる。

 橋を渡って隣町に入り、再び川沿いの土手の道を進んだ。

 彼女は人気のないところを進むのが好きだった。人通りの多いところはチャリで進むのは危ないし、男集団から卑猥な言葉をかけられたりすることもある。

 人気のないところなら心配ない。何より自分の思考や妄想に没頭できるのが良かった。

 書子ちゃんの行動は大体ルーティンになっている。駅近くの、ファーストフード店に寄るのもその一環だ。程良くくたびれた店舗を、彼女は気に入っていた。

 他のチェーン店と比較すれば値段も割高で、注文も出来上がるまでが遅い。だが、代わりに人があまり来ないという、メリットがあった。

 1階にはレジがあり、2階に上がると窓際がカウンターのようになっていた。早くに来たおかげで、誰もいない。書子ちゃんはしめしめと思いながら、端の席に陣取った。

 誰とも視線が合わず、窓からは下界が見下ろせて心地いい。窓の位置的に、外にいる人間からはこちらが見えにくいのも良かった。書子ちゃんは人目を気にするタチだった。

 ここで長居をして、思索と読書に耽るのだ。そのために注文は多めに頼んだ。

 待っている間は、スマホを開いてソシャゲにいそしんだ。あまりハマりすぎると時間泥棒になってしまうので、プレイする時間帯は決めていた。

 迫り来るゾンビ達で画面が一杯になり、血文字で「GAME OVER」の表示が出て、思わず悪態をつきそうになった時に、店員が注文をトレイに乗せてやってきた。

「ごゆっくりどうぞ」とは言うものの、迷惑げな顔を隠そうともしない女性店員だった。だが、書子ちゃんは彼女が特に嫌いではなかった。むしろ、完璧な営業スマイルを浮かべられる方がプレッシャーに感じてしまう。長居にも慣用な店舗で助かっていた。

 あるドーナツ屋など、少しでも長居しようものなら、しきりにコーヒーを勧められたことがある。他人に話しかられるのが苦手な書子ちゃんはそそくさと帰ってしまった。あんな想いは2度と御免だ。

 スマホをいじりつつ、書子ちゃんは注文したものにパクつく。

 彼女が注文したのは、てりやきバーガーのセットだった。大体どこのチェーン店でもコレを選ぶ。ビーフパティが美味しいのは勿論だが、ソースとマヨネーズの風味が絶妙だった。難点は食事中にバーガーが崩れやすいことだ。

 それをポテトとメロンソーダのセットで注文し、さらに単品でカフェモカのホットも頼んだ。長居にコーヒー飲料は欠かせない。

 飲み物を残して、セットを食べ終えると鞄から文庫本を取り出した。読み途中のSFアンソロジーだった。書子ちゃんはSFが好きだった。だが、その本を読むのは市場調査という側面もある。今どんな本が出ているのかのを確かめるのだ。趣味と実益を兼ねてというわけだ。

 アンソロジーの共通テーマは「未来の地球」で、シリアス寄りの短編が多かった。書子ちゃんが今読んでいるのも、地球のあらゆる地点が水没の危機に晒されるという話だ。

 書子ちゃんはこういうテーマは苦手だった。SFなら、荒唐無稽で、ぶっ飛んでて、明るい話が好きだった。現実を突きつけられるような話を、わざわざ読みたいとは思わなかった。でも、地球の環境が激変しているのは事実だった。日本でも酷暑の夏が続いていることからもそれは明らかだ。未来へ警鐘を鳴らすこともSFの役割だと言える。

 書子ちゃんは自分に問うた。

(自分は思考停止しているのだろうか? というか、自分にはSF作家としての資質がないのだろうか?)

 カタン、という音がして、書子ちゃんは現実に引き戻された。老人が書子ちゃんと同じ窓際の席についたのだ。彼は彼女とは反対側の端の席に座った。

 書子ちゃんは頭を振って、妙な考えを打ち消した。文庫本を鞄に仕舞うと、今度はノートを2つ取り出した。1つは日記帳、もう1つは創作のためのアイディアノートだった。

 前は1つのノートで2つの用途に使っていたが、情報を整理し切れないので分けるようになった。

 日記は気が向いた時しか書かないので、日記帳と呼んでいいのかは疑問だ。だが、やろうと思っていることや、上手くいかなかったことなどを書き付けると、頭の中がかなりスッキリするので、書子ちゃんは長い期間続けていた。

 アイディアノートは作家のネタ帳のようなものだ。思い付いたことを兎に角書き付けておく。アイディアが具体化すると、1つの作品についての記述が続くこともあるし、膨らんだアイディアを纏めるために、新しいノートを用意することもある。本文に入る前の、細々とした準備が彼女は好きだった。

 書子ちゃんはSNSなどでは強がることもあるが、日記には自分の心情などは素直に書くことにしていた。それは誰にも見せないからだろう。

 最近プライペートで起きたことなども書くが、主には創作関連のことがメインになる。書子ちゃんはずっと小説を書き続けてきたが、最近は倦怠感のようなものを覚えていた。

 書子ちゃんは書き手として、実は迷走していた。SF作家になるための登竜門である長編コンテストに挑んでは1次選考も通らない、ということが続いた。それは短編を募集している賞でも同じだった。

 ならば、目標を少し下げて出版社ではなく、小説投稿サイトで開催されている小説賞を目指すことにした。その中にはSFジャンルもあった。だが、ここでも結果は実らず。1次は通過したが、2次選考で弾かれた。

 ちなみに、そこで大賞を受賞した書き手は後に商業出版でプロデビューした。書子ちゃんの思っている以上にコンテストのレベルは高かったのだ。

 それからは同じ投稿サイトで開催されるコンテストに、ジャンルを問わずに作品を出し続けた。が、1次選考から先に進んだことはなかった。コンテストで良い結果を残せなくとも、意外に作品が読まれ、感想を貰ったり、同じ書き手同士で交流が出来たりもした。思わぬ収穫だ。だが、書子ちゃんは何より実績が欲しかった。

 色んなジャンルに手を出したのが祟ったのか、最近では自分が何を書きたいのか、何を書くべきなのかが分からなくなってきていた。彼女は、目の前のコンテストに応募することしか考えていない。

 1度立ち止まって、自身の創作を見つめ直すべきなのかとも思う。ただ、歩みを止めたら創作から離れてしまいそうで怖かった。

 書子ちゃんは実家暮らしのフリーターだった。創作のためにこれまで好き勝手生きてきたが、それが何時まで続くのか、しっかり考えるべきだという気がしていた。

 手書きで日記を書き終えた後は、ネタ帳を見る。今まさに書いている短編の構想が書かれているページを見直して、思い付いたことを3行ぐらい書き加えた。

 2つのノートを鞄に仕舞うと、今度は厚いハードカバーを取り出した。

 生物の「群れ」について書かれた本だった。生物学、生態学の範疇に入るだろうか。それなりの値段はしたが、ネタになりそうだと思い切って購入したものだった。

 書子ちゃんは作家志望者だから、本は色々読んでいる。小説以外もだ。科学ノンフィクションから古典文学の研究書まで何でも読むようにしている。

 作家には非凡な発想力が必要だが、1人でアイディアを考えるのは限界がある。

 発想のためにも、知識を付けるためにも、書子ちゃんは資料を読むことを習慣にしていた。それにSF作家になることをまだ諦めた訳ではなかった。「群れ」の本は、SFのネタに使えそうと思ったのだ。

 読みながら、気になる部分は赤ペンで線引きする書子ちゃんなのだった。


 昼時が近くなり、客が増えてきたので、書子ちゃんは本を閉じた。

 長居させてもらったが、混む時間帯まで居座るつもりはない。荷物を鞄に仕舞い、トレーを片付けると書子ちゃんは店を出た。

 そのまま書店にでも入り浸りたい気持ちだったが、時間が勿体ないし、散財するのが分かっていたのでやめる。今日の目的はあくまでも執筆だ。

 最寄りのコンビニで買い物すると、そこから2ブロック離れた漫画喫茶まで移動した。

 カウンターで会員証を提示する。それには「早駆書子」と書かれている。本当は「はやがけかきこ」と読むが、「はやくかきこ」とも読めるので、彼女はそのままペンネームとして使っていた。

 個室に入ると、ひと安心した。人目を気にする書子ちゃんにとって、漫画喫茶の個室は数少ない安息の場所だった。

 フリードリンクを多めに個室に持ち込んでから、コンビニで買った菓子パンやおにぎりなどを食べた。

 漫画喫茶はファストフード店以上に長居に向いているが、その間お腹が空くのがネックだった。

 フードも注文できるが、割高なので書子ちゃんは利用しない。

 代わりにスーパーやコンビニで食料を買い込むのだが、量の見極めが意外に難しい。もっと買っておけば良かったと思うこともあれば、その逆も然り。もっとも、お腹が空いたなら店を出ればいいのだが。

 これは長所でも短所でもあるのだが、漫喫の個室は居心地が良い。この時間には出ようと決めていても、中々動けずに必要以上に長居してしまったりする。その結果、余計な出費がかさむことに繋がる。今日も気を付けなくては、と書子ちゃんは心に留めていた。

 昼ご飯を食べながら、SNSをチェックする。主に書子ちゃんと同じ書き手たちの呟きなどを見る。

 その中にはプロではないが、投稿サイト内のコンテストで複数回受賞している人もいる。書子ちゃんにとっては眩しくて仕方がないし、悔しいことにそういう人の作品は面白い。

 自分との差は何なのだろうと、考えても仕方のないことを考えてしまう。そのせいか、最近では気後れして、自分の方から積極的に交流することが出来なくなっていた。だけど、自分も傑作を書いて、何らかの賞を受賞し、皆と同じ舞台に立つ、と書子ちゃんは思っていた。

 食後は好きな漫画を2冊だけ読む。良い作品に触れて、やる気を充電するのだ。書子ちゃんは大体国民的バスケ漫画を読む。1冊20分ほどで読める手軽さと、人気作というのが理由だ。どんな寂れた漫画喫茶にもその漫画なら置かれている。

 充電は終わった。机にネタ帳を広げつつ、スマホで途中まで書いた小説のデータを投稿サイトに移し、個室のPCから自分のアカウントにログインする。少し手間だが、これでこのPCで小説の続きを書ける。

(さあ、書くぞ!)

 書子ちゃんが腕まくりをした時だった。隣の個室から大音量の喘ぎ声が響いた。

 漫喫のPCには色んなサービスがある。無料でアニメや映画、スポーツが見れるサブスクリプションが入っているし、その中にはアダルトものもある。隣の客が成人に達した男性ならば、それを見ていてもおかしくはない。

 ただ、アダルト動画を大音量で垂れ流すのは不自然だった。きっとヘッドフォンを接続し忘れたのだ。その内、ボリュームは絞られるだろう。書子ちゃんはそう思った。

 3分が過ぎ、4分が経った。喘ぎ声は流れ続けていた。初めはまだ恥じらいを含んでいた喘ぎが、獣の唸り声のようになっていた。

 書子ちゃんは唖然としていた。彼女だけでなく、この周辺の客みんながそうだろう。

 隣の客に恥じらいはないのだろうか。それともAVを爆音で見る趣味でもあるのだろうか。せめて、ヘッドフォンをつけてからやってくれ。

 隣が気になって、目の前の原稿に集中出来ない。隣にイライラし、自分にもイライラし、書子ちゃんは爆発しそうになった。

 そのタイミングでようやく店員が駆け付けた。隣の個室の扉をノックし、「周りの方にご迷惑になるので」という言葉でようやく喘ぎ声は収まった。

 書子ちゃんもホッとした。だが、失われた集中力は戻ってこない。

 とにかく、前に進もうと適当にキーボードを叩く。新しく作った文字列を消し、再度文章を書く。

 それを数度繰り返し、ようやく作品の中に浸れたと思った時、再び隣から爆音が響いた。今度の喘ぎ声は甲高いのではなく、低い唸り声だった。喘ぎの中に「YES」という言葉があるのを考えると、洋モノだと書子ちゃんは気付いた。

 再度、店員が注意に来た。が、10分後にまた喘ぎ声は響いた。そんなやりとりが3回ぐらい繰り返された。書子ちゃんはもうPCの画面を見ていなかった。

 リクライニングの座席を倒し、耳にはイヤフォンをし、スマホのプレイリストを再生していた。喘ぎ声に負けないような音量で。フテ寝の体勢だった。

 (何で私がこんな目に遭うんだろう。神様、私は何か悪いことをしましたか?)

 書子ちゃんは落ち込んだ。

 部屋の電気を消し、アイマスクをして、音楽だけの世界に身を預けた。

 このまま音の中に埋もれてしまいたいと彼女は思ったが、そう上手くはいかない。ドリンクをそれなりに飲んだせいで、こみあげる尿意があった。書子ちゃんは仕方なく、個室を出た。

 そして、気付いた。隣の客がいなくなったのか、扉が開いた状態になっていた。書子ちゃんも爆音で音楽を聴いていたせいで、客が居なくなったことに気付かなかったのだ。思わずガッツポーズを取りそうになったが、すんでのところで堪えた。

 トイレに行き、個室に戻るまでの間、書子ちゃんは考え続けた。これからどうするのか。個室に戻り、PCに表示された自分の拙い文章を見て、彼女は考えるのをやめた。


「ううぅ……」

 書子ちゃんは無力感に苛まれながら、ママチャリを漕いでいた。空はすっかり暗くなっている。

 結局あの後、書子ちゃんは有意義なことは何も出来なかった。爆音AV垂れ流し客に遭遇し、「今日の自分はツイてなかった」と開き直ってしまったのだ。だが、今思えばそれこそが自分の弱さだった。誰のせいにも出来ない。

 開き直った書子ちゃんは国民的バスケ漫画を最初の巻から最終巻まで読み切ってしまった。現実逃避のパワー、恐るべし。今は後悔しかなかった。

 実は、同じようなことは彼女は何度もやっていた。その度に帰り道ではうちひしがれていた。

 書子ちゃんは、何故自分が迷走しているのか、何の賞も取れないのかに気付いていた。

(結局、私は意志が弱い)

 才能がないのは、公募に落ち続けて気付いていた。それならば、人より努力するしかない。でも、その努力が出来ない。分かっていながら、改善が出来ない。それが前に進めない理由だ。

(いい加減、諦めるべきなのかな?)

 書子ちゃんはもう三十路だが、未だに実家暮らしで就職もしていない。もうそろそろ、夢に見切りをつけるべきだろうか。

 思案しながら、土手沿いを走っていると、暗闇の中に光輝く自販機を見つけた。書子ちゃんはママチャリを止め、土手を降りた。自販機でペットボトルのお茶を買う。

 キャップを開けて、中身を飲む。思ったより、苦味があって、彼女は咽せた。

 苦い味。それは今の自分のようだ、と書子ちゃんは思った。

 そして、彼女は決めた。

 私はまだ諦めない。才能がなくとも、意志が弱くとも、足掻いてやる。それが悪あがきだとしても。

 その第一歩として、書子ちゃんはスマホを操作した。メモ帳アプリを開き、「買うものリスト」というメモを呼び出す。書子ちゃんはそこに「耳栓」と書き足して、微笑んだ。

 お茶とスマホを仕舞い、土手を上がって再びママチャリに跨ると、しっかり前を見て走り出した。

 書子ちゃんの運命やいかに──。

 

 

 

 





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