第42話管弦の宴~当日~ 弐

 帝の御前での演奏は素晴らしいものだった。


 麗景殿女御れいけいでんのにょうごの筝は、やさしく、あたたかな春の日差しのよう。

 その音色は、聴く者の心を穏やかにする。

 それでいて奥深い。

 女御の高い技術が窺えた。


 宣耀殿女御せんようでんのにょうごは和琴。

 彼女の琴は、その性格を如実に現している。

 力強く、華やかで、その音色は、まるで咲き誇る大輪の花のようなのだ。

 天にも届けと言わんばかりの力強さがある。


(素晴らしい……。彼女の和琴は他者とは違う)


 普段の態度が態度なので、誰も彼女を評価しない。

 だが、麗景殿女御れいけいでんのにょうごだけは、宣耀殿女御せんようでんのにょうごを高く評価していた。

 彼女の演奏には、人を惹きつける魅力がある。

 それだけではない。

 センスも良い。

 派手好みだと、敬遠する者も多い。

 派手好みの妃として有名だが、そこには宣耀殿女御せんようでんのにょうごの確固たる美意識が伺えた。

 それだけに残念でならない。




 藤壺尚侍ふじつぼのないしのかみの順番が来た。

 彼女は五弦の琵琶を演奏する。その音色は、どこまでも深く、どこまでも清らかで、どこまでも澄んでいる。


「まぁ、なんて素敵な音色」

「本当に五弦の琵琶を……」

「あのような美しい音色は聴いたことがありませんわ」

「まるで天上の調べのよう」


 藤壺尚侍ふじつぼのないしのかみの琵琶の音色は、まさしく天上の調べだ。


(なんて……素晴らしい)


 誰もが彼女の音色に心を奪われた。


「これは驚いた。まさかこれほどの琵琶の名手だったとは」

「三位の中将が絶賛するはずだ」

「まことに。天上の調べとはこのこと」


 貴族たちも彼女の音色に酔いしれる。

 三位の中将は、尚侍の演奏に感動して涙ぐんでいるほどだ。

 帝も藤壺尚侍ふじつぼのないしのかみの演奏に満足していた。



「素晴らしいぞ、藤壺尚侍ふじつぼのないしのかみ

「お誉めに預かり光栄にございます」


 帝の言葉に、藤壺尚侍ふじつぼのないしのかみは恭しく頭を下げる。

 帝は満足そうに頷く。


主上おかみは大層お喜びのご様子じゃ」

「御自身が見出した舞姫が楽師としても別格だと証明されたようなもの。喜ばぬはずもない」

「さよう」


 尚侍の演奏に感心した貴族は、口々に帝の慧眼を誉めそやした。

 宣耀殿女御せんようでんのにょうごは耐えかねたのか、座を飛び出して……そのまま宴の席から退席して帰ってしまった。

 その際、尚侍をキッと睨みつけて行った。


宣耀殿女御せんようでんのにょうごさまは、よほどご気分が悪かったようだ」

「そのようじゃ。まぁ、無理もないがな」

主上おかみも、あのようにお喜びになっていらっしゃるし……」

「うむ」


 ヒソヒソ、と貴族が囁きあう。


 麗景殿女御れいけいでんのにょうごは扇を口元にあてて、密かに溜息をついた。

 宣耀殿女御せんようでんのにょうごの演奏が素晴らしかったのは事実。

 ただ、尚侍はそれ以上の演奏をした。

 この場から立ち去りたいのは何も宣耀殿女御せんようでんのにょうごだけではない。むしろ、数多の妃たちが、この場から去りたいと思っている。それでも体面に泥を塗るような真似はできないと、この場に残っているに過ぎない。


 宣耀殿女御せんようでんのにょうごを咎める者はいない。


 左大臣家の姫だからというのもあるが、それ以上に関わると碌なことがないと、誰もが知っているからだ。

 日頃の行いが行いゆえに、彼女に関りを持ちたいと誰も思わない。

 だから、誰も注意しない。

 今まで彼女が纏ってきた経緯から、警戒心を持って見る者の方が多いくらいだ。


 足早に立ち去る宣耀殿女御せんようでんのにょうごを誰もが気まずそうに見送る。

 誰も止めない状況が更に宣耀殿女御せんようでんのにょうごを苛立たせた。

 宣耀殿女御せんようでんのにょうごは悔しくて堪らない。

 管弦の宴の“主役”を完全に尚侍に持っていかれてしまった。面子を潰されたも同然の行為。それが尚侍の素晴らしい演奏のせいだと分かっているだけに、なおのこと悔しくてならない。


(憐れな方……)


 麗景殿女御れいけいでんのにょうごは去って行く宣耀殿女御せんようでんのにょうごに同情の眼差しを向け、心底そう思った。

 まさか、憐れまれるなど……宣耀殿女御せんようでんのにょうごには思いもよらぬことだろうが。


 尚侍の演奏が素晴らしければ素晴らしいほど、他の妃たちの演奏が拙く感じられるのは否めない。

 尚侍の後に演奏した妃たちは悲惨だった。

 彼女の琵琶の音を聴いた後だと、凡庸で。

 琵琶の名手と呼ばれた人であっても尚侍と比べたら見劣りしてしまう。尚侍の演奏は、まさに別格だった。


 意気揚々としていた弘徽殿の女房らは真っ青な顔で演奏した。


(気の毒に……。本来の実力の半分も発揮できなかったことでしょうに……)


 弘徽殿の女房たちも、尚侍の演奏を聴いた後となれば、委縮してお粗末になってしまった。

 三流の腕前と評価された方がマシというレベル。手習いの域を出ない、と思うほどに。

 明らかに、藤壺尚侍ふじつぼのないしのかみの引き立て役になってしまった。

 なにしろ、この次は尚侍の演奏。

 その自覚があるから、弘徽殿の女房たちは、今にも泣きそうな顔をしている。


 宴は、尚侍の琵琶で締め括られた。



 後世に語られる、「管弦の宴」。

 その幕が下ろされる。

 尚侍の評判は瞬く間に広まった。


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