第10話波乱の朝議 弐

 まさかとは思うが……。

 いや、そんなはずは……。

 そんな思考が頭を巡りだす。

 だが、山吹大納言やまぶきのだいなごんの願いも空しく、帝の口からは、とんでもない言葉が出てきた。


「そうであろう?無実の者を流罪に処したとなれば、天下の笑い者よ」

主上おかみ!」


 山吹大納言やまぶきのだいなごんは焦った。

 まさか帝の御前で言うとは思ってもいなかったのだ。

 しかし、もう遅い。

 帝は公卿たちにハッキリと告げてしまった。


 時次を無実であると。

 御息所と姫宮の呪詛は冤罪であると。


主上おかみ!お戯れが過ぎますぞ!」

「何がだ?」

「時次殿に無実であると告げたことです」

「何故だ?」

「冤罪の証拠など何処にもないはず!」

「何故そう思う?」

「それは……」


 山吹大納言やまぶきのだいなごんは言葉に詰まった。

 迂闊なことは言えない。

 周囲にいる公卿の幾人かは顔色を悪くし、視線を泳がせている。

 関わり合いになりたくない、そう思っているに違いない。

 ここが朝議の場でなければ、宮中でさえなければ、山吹大納言やまぶきのだいなごんは大声で彼らを罵っていただろう。


 お前たちも同じ穴のムジナだろう――と。


 帝の寵愛厚い妃を邪魔に思っていた者は多い。

 呪詛に何らかの関与をしていたとて不思議ではない。


 歯ぎしりしたい気持ちを必死に抑え、山吹大納言やまぶきのだいなごんは無言を貫くしかなかった。

 そんな山吹大納言やまぶきのだいなごんを見て、他の公卿たちは、我が身大事と口を噤んだ。


「大納言、そなたの言いたいことは分かっている」


 帝が御簾みす越しに笑う。

 その笑いに山吹大納言やまぶきのだいなごんはゾクリとしたものを感じた。


主上おかみ?」

「時次が無実である証拠など何処にもない、そう言いたいのだろう?」

「……」

「だが、果たして本当にそうであろうか?」

「と、仰いますと……?」

「時次を無実と断じたのには訳がある。体裁を整えるために『尚侍の慶事により恩赦』としたのだ」

「……」

「そもそも、たった一人で呪詛を行うなど不可能というもの。身の覚えのある者はこの場でも多いだろう。朕も優秀な臣下の多くを罰したくはないのだ。分ってくれるな?」


 ああ……と公卿たちは心の中で呟いた。

 帝は全てを知っているのでは?

 多くを罰する必要がある、と促している。

 余りに人数が多いため、公にするには憚られると。


 だから、時次のことは何も言うな。

 帰京する彼を出迎える準備をしろ、と暗に言っているのだ。


 山吹大納言やまぶきのだいなごんはゴクリと唾を飲むみ、「御意」と恭しく頭を下げた。

 他の公卿たちもそれに倣う。


「では、この話は終いだな」


 帝の言葉に、公卿たちは顔を上げる。

 そして、ホッと息を吐いた。

 これで、この話は終わったのだ。

 蒸し返されることはない……はずだ。


 彼らは知らない。

 確かに追及されることはなくなった。

 罪に問われることもない。

 その前に彼らがやったという証拠はない。

 呪詛の証拠に連なる物は、とうの昔に隠蔽いんぺいずみだ。

 だから、追及されることはない。

 普通に考えれば分かるはずだった。

 だが、帝の巧みな言葉の言い回しに冷静な判断を下せなかった。


 これから先、帝に反対意見を述べられる者は極少数となるだろう。

 反対意見を言おうものなら、帝は容赦なく切り捨てるに違いない。


 罰されはしなかったが、逆に弱みを生涯握られたようなものだ。

 帝に逆らうことがどういうことか、彼らは身をもって知ることとなる。

 それは決して抜け出せない蟻地獄ありじごくのようなものだということを。


 今は誰一人として気付くことはなかった。



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