第8話新尚侍 肆

 蘭陵王らんりょうおう


 雅楽の曲目の一つ。

 北斉の王の逸話にちなんだ曲目で、管絃かんげんにも舞楽ぶがくにもそうされる。


 管絃かんげん演奏時には『蘭陵王らんりょうおう』と。

 舞楽ぶがく演奏時には『陵王りょうおう』と題された。

 美し過ぎたため、仮面で素顔を隠した王。

 勇猛果敢で、文武両道に長けた名将。

 人望厚く、民に愛された王。

 しかし、それゆえに時の皇帝に疎まれ、最期は悲劇的な死を遂げた。




 尚侍が宴の席で『陵王りょうおう』を舞ったのは偶然ではない。

 帝から「舞を見せてほしい」と乞われたからだ。

 演目は自由。

 その返答として舞ったまで。

 たとえそれが、流刑同然に都を去った右大臣の次男、時次ときつぐの最も得意とする演目であったとしても。

 彼が朝廷から去り、それ以後は『陵王りょうおう』を舞った者はいない。禁止しているわけではなく誰もが舞うのを躊躇う。


左近衛中将さこんえのちゅうじょうほどに舞えるとは思えない。比べられて恥をかきたくない』

『華やかに舞う者はいよう。高雅に舞う者もいよう。けれど、彼の者のように優美でいて力強い舞を舞える者はいない』


 無理もないことだった。

 誰もがそう思っていたのだ。

 尚侍が『陵王りょうおう』を舞うまでは。


 彼女が何故、『陵王りょうおう』を舞ったのか。

 その意図に気付いた者は少数だろう。

 尚侍の真意を知る者もまた……。







 いい度胸だ。

 帝相手にあそこまで交渉するとは。

 一歩間違えれば不敬罪に問われかねない。

 しかし、尚侍は帝と渡り合っている。

 しかも、あの『陵王りょうおう』を舞ってまで。


「面白い」


 思わず笑みがこぼれる。

 試してみたいと思った。


 妻子を亡くし、悲しみに暮れるばかり日々。

 誰かにこの怒りと悲しみを、憤りをぶつけたかった。

 だから、左近衛中将さこんえのちゅうじょうの流罪を黙認した。

 彼が犯人だと信じていたからではない。

 尚侍が言っていたことは正しい。

 確かに、「中将が犯人だ」という証拠はない。

 だが、「中将は無実だ」という証拠もなかった。


 終わったことだと思っていた。

 だが、そうではなかった。

 少なくとも尚侍は。


 後宮に新たな風を吹き込んだ。

 吉とでるか凶とでるか。


「さて、どちらに転ぶか」


 帝は、一人呟く。

 嵐は、もうすぐそこまで来ていた。






 三ヶ月後、尚侍の懐妊が内裏を騒がせることとなった。

 尚侍の懐妊は慶事として、帝はある人物を都に呼び戻す。



 右大臣の次男、時次ときつぐを――

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