第7話新尚侍 参

 清涼殿せいりょうでんに召された尚侍は、御簾みすの内に座し、帝を出迎えた。


「よくぞ参ったな、尚侍」

「お招きにあずかり恐悦至極でございます」


 尚侍は深く頭を垂れる。

 その姿を見た帝は僅かに目を細める。


「そう畏まらなくてもよい。面を上げなさい」

「はい」


 尚侍が顔を上げると、帝は満足そうに頷いた。


「尚侍の評判は耳にしている。何事もそつなくこなす、とな」

「恐れ入ります」


 尚侍は頭を下げた。

 そんな尚侍を帝は優しい眼差しで見つめる。


「そちの評判も良いようで、嬉しい限りだ」

「勿体ないお言葉でございます」

「尚侍は如何にして朕を楽しませてくれるのか?」

「残念ながら主上を楽しませるような才はございません」

「ない、と申すのか」

「はい。一通りの嗜みは致しましたが、とんと才がないのです」

「だが、そなたの舞は見事であった。皆が褒めていたぞ」

「ありがとうございます。ですが……でございます」


 帝は僅かに眉を上げる。

 嗜み程度であれほどの舞は出来ない。

 もしあれが嗜み程度ならば、他の者など相手にならないだろう。


「尚侍、謙虚も過ぎれば嫌みに聞こえるぞ。あまり度が過ぎるのは如何なものかと思うが?」

「事実ですから仕方ありませんわ」


 尚侍の返答に帝は苦笑する。

 この姫はやはり面白い。

 帝は改めてそう思った。

 同時に、一筋縄ではいかなそうな気もした。


 肝が据わっている。

 顔は似ていないが、性格は実父である故内大臣似なのかもしれない、と思ったが、彼女の母親もまた肝の据わった人物だったと思いなおす。どちらに似ても、強い女になるのは間違いないだろう。

 今の後宮には女主人たる人物はいない。

 二大勢力が睨み合っている状態。

 そこに、尚侍が加われば、どうなるか。火を見るよりも明らかだ。

 尚侍は後宮の勢力図を塗り替える。

 帝には、その確信があった。


「……才のない者が果たしてあのような和歌を送るだろうか?しかも、あのような歌を」


 帝は忍ばせていた和歌を取り出す。

 五節舞の日に贈られてきた和歌。


 贈り主は目の前にいる尚侍だ。


 謎かけのような歌。

 一介の舞姫が、帝に直接和歌を贈っただけでも前代未聞の珍事である。

 前例はない。

 不遜、いや、大それた行為と受け取られる。

 しかし、彼女は敢えてそれをやってのけた。

 帝を試すために。


「答えを聞こう。尚侍」

主上おかみ、無粋ですわ」

「ほぉ」


 帝は楽しげに目を細める。


「先日の宴で『陵王りょうおう』を舞って見せたことも全く意図はないと?朕には到底そうは思えぬが?」

「まぁ、人聞きの悪い」

「尚侍、そちは何を企んでいる?」


 帝が問うと、尚侍は笑みを浮かべたまま答えた。


主上おかみもご存知のはず」

「なに……?」


 怪訝な顔になる帝に、尚侍は変わらずニコニコと見つめている。

 帝はハッとした。


「まさか……」

「ええ」


 尚侍が頷くと、帝は目を見開いたまま固まった。


左近衛中将さこんえのちゅうじょうが無実だということは、主上おかみもお分かりのはず」

「……」

「あやふやな噂だけで、中将を断罪することはできない。そうでございましょう?コレといった証拠はありませんでしたもの」

「……中将は自らの意志で都を離れた」

「左様ですわね。当時は主上おかみも中将が御息所みやすどころさまと姫宮さまを呪詛したと信じておられたのでは?」

「……」


 帝は口を閉ざした。

 あながち間違いではない。

 最愛の妃は産褥さんじょくで亡くなった。

 生まれたばかりの姫宮も。

 帝の嘆きは深い。

 その深い悲しみの中で噂された呪詛。

 怪しげな占い師まで現れ始め、「中将こそが犯人だ」と根拠のないことを言い始めた。

 噂は宮中でも囁かれるようになった。


 他の者の言葉に耳を傾けた帝を誰が責められよう?


 まるで真実であるかのように語られたのだ。

 主上おかみは、中将の無実を信じなかった。

 いや、違う。怪しいとは思った。けれど大勢の声に飲み込まれた。

 当時は誰もが疑心暗鬼になっていたのだ。

 それを踏まえた上で、中将は官位を朝廷に返上し都を去った。

 罪人として処罰される前に。


 右大臣は、息子の中将を庇うことはしなかった。

 他にも子供がいる。

 息子一人のために、一族に累が及ぶことは避けたい。

 冷たいようだが仕方ない。

 一族の長として、切り捨てなければならない時もある。



「何が望みだ?」


 帝の問いかけに、尚侍の笑みが更に深まった。

 愚かなことを聞いた。

 望みなど一つしかない。

 尚侍は、右大臣の養女。

 つまり、左近衛中将さこんえのちゅうじょうの従妹で義妹だ。

 茶仙局ちゃせんのつぼねは中将を支援していると聞く。

 中将を擁護する数少ない人間の一人だ。

 母親がそうなら娘もそうなのだろう。



主上おかみ、わたくしと取引を致しませんか?」

「取引?」

「ええ」


 尚侍は頷いた。

 眉を顰める帝に構うことなく尚侍は言葉を重ねていく。


「決して悪い話ではありませんわ。主上おかみにとっても」

「私にとっても……?」

「はい」

「どうやら詳しく聞かねばなるまい」

「ええ、是非」


 尚侍は上目づかいに帝を見る。

 その仕草は男を惑わせるものではなく、子供が悪戯に成功して喜ぶ姿のようで、思わず帝は苦笑した。あまりにも無邪気な姿だったからだ。

 大胆不敵な行動に、頭の切れる女。

 侮っていたわけではない。

 だが、相反するような印象の尚侍に、帝は興味を覚えた。

 これは気を引き締めて掛からねば、と。

 帝がそう感じたのは間違いではなかった。

 なにしろ、二人の探り合いのような会話は深夜にまで及んだのだから。


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