第3話五節の舞姫 弐

 多くの者を魅了した今年の舞姫。

 それは、時の帝も例外ではなかった。


「実に素晴らしい舞だった。例年以上とはこの事だろう」

「まことに」

「特に人目を引いたくれないの衣を纏った舞姫がいた。の者だけ、他の舞姫とは一線を画していた」

「左様ですな。近年稀に見る舞姫でした」

の舞姫、名はなんと申す?」

「は?」

「どこの家の姫だ?」

主上おかみ……?」

「どうだろうか。の舞姫を内裏だいりに迎えるというのは」

主上おかみ、それは!」


 帝のその一言は、多くの公卿くぎょうを慌てふためかせた。

 既に娘を入内じゅだいさせている貴族は心中穏やかではない。

 宮中では左大臣派と右大臣派が権力を二分している。

 両大臣は共に自分の娘を入内させていた。

 しかし、大臣の娘たちはどちらも御子みこがいなかった。

 いずれは両大臣のどちらかの女御に男御子おとこみこが産まれれば、その男宮おとこみや東宮とうぐうとなる。

 そう世間は考えていた。

 だが、その考えは女御に御子みこが誕生しないことで打ち砕かれつつあった。

 

 入内して数年。

 女御たちはまだ若い。

 期待は十分できるが、それでも不安は尽きない。

 両陣営共に「計算違いにも程がある」という認識だ。

 本来ならとっくに皇子を産んでいても良さそうなものを――と、両陣営の心中は穏やかでなかった。




「で、ですが……あの舞姫は……」

「なにか問題か?」

「は、そ、それは……」


 側近は口籠くちごもる。

 この場には右大臣もいる。

 迂闊うかつなことは言えない。


「五節の舞姫に問題があると言うのか?」

「いえ、決してそのような……」


 側近は右大臣の顔色をうかがう。

 右大臣は口を開く。


主上おかみくれないの衣の舞姫は、私の養女むすめです」

「右大臣の?」

「はい。……亡き兄、枇杷内大臣びわのないだいじんの息女。名は、蓮子れんしでございます」

「……」


 右大臣の言葉に帝はわずかに眉を寄せた。

 あることに気付いたから。


 枇杷内大臣の死から全てが始まった。

 いや、元々くすぶっていたものが、内大臣の死によって一気に燃え上がったのだ。その火はどこまでも燃え広がった。


 内裏だいりも例外ではない。

 その炎は内裏だいりをも焼き尽くした。

 右大臣は内大臣の実弟である。

 内大臣の北の方を自身の妻に迎えていた。

 それも正妻格として。


 枇杷内大臣の北の方、茶仙局ちゃせんのつぼね

 “従二位の局”として知られる彼女は、人望も厚く、教養も深い。

 それだけではない。

 人脈も広く、宮中においても無視できない存在だ。

 口の悪い者たちからは「右大臣が自分の権力基盤を固める為に、茶仙局ちゃせんのつぼねを妻に迎えた」と噂されている。

 権力欲の塊である右大臣らしい、と。

 今、この場にいる誰もが、その噂は真実であると思っている。

 右大臣はそう思われても仕方がないほど、若い頃から野心家で積極的に政争に関わり、権謀術数を駆使してきた。



内大臣の息女、か……」


 帝は呟く。

 過去を思い出しているのかもしれない。

 あの事件は多くの人々の人生を変えた。

 帝自身すら。


、今年の五節舞に選ばれていますが、彼女は既に十八歳でございます」

「……十八には見えないな」


 右大臣の言葉に違う意味で驚く帝であったが、彼がなにを言いたいのかは大体理解している。右大臣は「公卿くぎょうの息女でしかも年齢に見合わないにも拘わらずに五節の舞姫に選ばれた理由は明らかに嫌がらせである」と言いたいのだ。

 誰に対しての嫌がらせなのか。

 なにしろ、右大臣は敵が多い。


 右大臣に対するものなのか。

 あるいは……。


主上おかみ、兄の忘れ形見を、今の内裏だいりに入れることは出来ません」

「……」

主上おかみもそれはご存知のはず」


 右大臣は「今の後宮は妃たちの争いが酷い。酷すぎる。そんな所に入内させられない」と暗に言っているのだ。

 それだけ聞くと、養女の身を案じて、という美談に聞こえるが、右大臣は実娘を入内させている。これほど白々しく聞こえる言葉はない。養女が入内した場合、実娘である弘徽殿女御こきでんのにょうごにさわりが出ないとも限らない。恐らく、右大臣はそれを危惧しているのだろう、と帝は思った。


 養女が寵愛されるよりも実娘の方が権力を持つのに有利だからな、と周囲も考えた。

 肝心の弘徽殿女御こきでんのにょうごに寵愛があるかはどうかは微妙なところだが。

 遠まわしに、「新しい妃を入れるのではなく、弘徽殿女御こきでんのにょうごを寵愛しろ」と言いたいのだろう。

 弘徽殿こきでんの局に通え、女御をもっと清涼殿寝所に呼べ、と。

 露骨なまでに、分かりやすい。


「……」


 帝は無言で右大臣を見すえる。

 帝だけではない。この場にいる者たちの視線を一身に浴びている右大臣は、全く動じることもなく、涼しい顔をしている。

 図太い男である。


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