第一部 第3話 存在の理由

 「・・・いいものを見せていただきましたが、今日は本当に私用です」

着替えを済ませたローズとナナクルの再登場は、それまでの団らんとした雰囲気をオフィスのソレに一変させた。

「大変お見苦しいものを・・・失礼しました」

言葉だけ見れば妙に丁寧なのだが、その内容を知っていればとても平静に話せる内容ではない。この場合、立場などを含めて居たたまれないのはローズだ。

「いえいえ。どうかかしこまらずに。遊びに来たと言えるような内容ではありませんが、ちょうどいい・・・お2人も少し、私のお喋りに付き合ってください」

ローズの気掛かりはただ1点。ディミトリーの浮かべている笑顔が何に対しての笑顔なのかということであって、その答えが自身の見られてはイケナイ姿でないことを祈るのみだ。

「えっと・・・今日はウテナに用事があっての来訪ですか?」

ローズの心情を察したナナクルが会話を引き受けている間、ローズは視界から外れるように4人分のティーカップを用意し、ポットから薄めの色合いをした液体を注いだ。給仕するために2人の視界に入ってしまうだろうことにそれなりの引け目を感じながらも、その所作は完璧だ。

「ここで作っているハーブティーです。お口に合えばいいのですが」

ハーブティーの注がれたカップから湯気と共に立ち昇る香は、目を閉じればそこが花に囲まれた場所だと錯覚できそうなほど芳醇だ。

「イイ香りですね。さっそく・・・」

注がれたハーブティー入りのカップを口元へ運ぶディミトリーを真似るように、フロイトもカップを口に運んだ。

「これはウマい・・・ああ、失礼。そうですね、ここADaMaSアダマスの局長であるウテナさんに相談・・・と言いますか、聞きたいことがありまして」

ティーカップを右手に、ソーサーを左手で持ちながら、ウテナの方へ視線を向けたディミトリーの表情が一変する。そこに浮かぶのは、困惑だ。

「あの・・・ウテナさんが泣きそうなのですが・・・?」

「ああ、いいんです、泣かせとけば。どうぞ、お続けになって」

見れば、本当に泣き出しそうな表情をしていたウテナは、自分以外の4人がそれぞれ口に運ぶティーカップを、羨ましさを下地にしたような悲しい視線で追っている。ディミトリーが困惑するのも当然と言えば当然だろう。

 今この空間には5人が存在しているが、ローズが用意したティーカップは4人分しかなかった。ローズの口ぶりからすると、先ほど起こった喜劇の罰を受けているようだと推測できる。自分の分を要求しないところを見ると、ウテナ自身もそれが罰であると解っているらしい。

「そうですか?では・・・ウテナさん、私は今日、私服で来ています。その上で聞きたいのですか、貴方はこの戦争をどう考えていますか?」

 20年もの間、全人類を巻き込んで勃発しているこの戦争を一個人がどうとらえているのかという質問は、確かに、気軽な日常会話的にできる内容ではない。事実、ディミトリーから〝戦争〟という言葉が発せられた瞬間、それまでウテナの扱い方で少なからず存在していたどこか和やかな雰囲気が、和やかさなどまるで最初から存在していないオフィスでの重要な商談中かのように消え失せた。4人はそれ以外を微動だにさせることなく、ただ視線をディミトリーが存在する空間に向けるために眼球だけを動かした。ディミトリーもまた、4人がそうするであろうことが解っていたかのように視線を受けても身動ぎ一つしない。

 互いに会話できるような隙はわずか程も無いが、ローズとナナクルはそれぞれに思考を巡らせた。言葉でどれほど「今日は軍人ではない」と前置きしたところで、軍服を着ていない程度でそれを払拭できるほど人は器用ではない。2人の思考の目的地は互いに出発点は違えど〝質問の真意〟で合致していた。

 「2人は答えなくていいよ。そもそも僕に聞きに来たんだろう?」

ADaMaSは4人で始めた。ここに居る3人にウテナの妹を加えた4人だ。付き合いが長い分、相手を読み解く能力も向上していく。ウテナは2人が解答を探していることを感じ取っていた。だからこそ、2人を抑止した。しかし視線はディミトリーを捉えたままだった。

「どうもこうもない。そもそも戦争なんて、起きないに越したことはないからね。でもこの戦争は存在しているし、僕もADaMaSもすでにその戦争の具体的な歯車だ。それを前提にして答えるなら、この戦争は僕にとって生きる手段さ」

それまで、誰にも見据えることのなかったディミトリーの視線が、自らの瞼でゆっくりと遮られる。一刻の間を置いて再び瞼という幕が上がったとき、ステージ上から見えるのはウテナだけとなっていた。

「では、その前提を抜きにした場合?」

テニスのファイナルセット、最後の1球が放たれる直前の空気に似た雰囲気が5人を包む。その例えで言うならば、ディミトリーから放たれたサーブを、相手を揺さぶるように打ち返したが、それに動じないディミトリーからボディショットが放たれたところだ。

「終わらせるべきモノだ」

どうやら打ち返せないと思っていたボディショットがそのままボディショットとして返って来たらしく、ディミトリーの口から次の言葉が出ることは無かった。


 「ADaMaSの敷地に入ってすぐ、サッカーをしている子供たちを見かけました。ウワサでは聞いていましたが、ここには何人の戦災孤児が暮らしているんです?」

時間にして2分ほどは静寂が支配していただろうか?ようやく出てきたディミトリーの言葉は、その表情も含めてガラリと雰囲気を変えた。これまで口を挟む隙間さえ見いだせなかったフロイトは、紅茶を啜って以降一度も開くことの無かった口を、ようやく一息つく思いで開いた。

「22人以上いたように見えましたし、男の子ばかりだったよな?子供は男しか居ないってこともないんだろ?」

「ええ、ここには50人ほどの未成年者が暮らしていますよ。年齢層も幅が広い」

フロイトの束の間の休息は、たった1度の文章だけで終わりを告げた。答えたウテナの表情が、結局はデュースとなったかのように再び緊迫するゲームの場に戻した。

「ここADaMaSがナゼ孤児を抱えているのかは聞きません。ですが、それが最初の、前提ありきの答えを導き出していると考えていいのですかな?」

ディミトリーの視線が再びウテナを正面に捉えた。

「いや、子供たちはただの結果だよ。子供たちだけじゃない。ここで生きる人たち全てをそうすることに決めたのは僕で、それが僕の言う生きるということだからね」

 ADaMaSは小規模ながらも、1つの街と言い換えることができる。ADaMaSの敷地内で生きる者は、全員敷地内に職を持っている。ウテナやADaMaSに憧れて移って来た者もいれば、ローズやナナクルが連れてきた者も居る。最初から家族だった者たちも居れば、ここで家族になった者たちも居る。ここで人生を送る者たちを支える存在こそが、ADaMaSという企業であり、ADaMaSの者が持つ存在意義だった。

「つまり君たちは、自分たちの〝業〟を理解した上で、それを受け入れ、自分たちが嫌悪する戦争に加担している・・・ということかね?」

それなりにディミトリーの表情が強張ったようだ。今日これまでに見たことのないような鋭い眼光がそこにあった。

「ハハっ・・・そんな回りくどい考えは誰もしてないよ。特にここで技術者やってるヤツらは、ね」

ディミトリーの表情と対照的にウテナの表情は緩んだ。それまでディミトリーが独り占めにしていたウテナの視線は、仲間の2人、ローズとナナクルが自分たちの意志とは無関係に奪っていったようだ。

「僕たちは技術屋だからね。結果的にできあがるのがMhwミューってだけで、仕事自体を楽しんでやってる。ここにいる2人を筆頭にした対外部の仲間が、アンタの言う〝業〟ってヤツを背負ってくれることに感謝しながらね」

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