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第一部 第2話 ウテナ・アカホシ

　「ちょっとまて！誰が来るだって？」

壁の時計は午後３時を目前にしていた。そのオフィスに席の無い細身の男は、コーヒーの入ったマグカップを片手に「ディミトリー中将がただのディミトリーとして３時に来る」とだけ告げ、部屋を出ていこうとしていた。

　デニム生地で出来たツナギを着たその男はウテナ・アカホシ。ここADaMaS（アダマス）の局長だ。彼はMhw（ミュー）の設計に始まり、ロールアウトまでの全てを統括している。クセのある後ろ髪が扉の方へ向きを変え、その眠たげな表情を向けた先には男女がソファから立ち上がり、揃って驚いた表情を見せている。

　グラマラスな女性はローズ・ブルーメル。ADaMaSの企業という側面における社長だ。肩書を置いておいたとしても、普段から社交的な雰囲気のある服を着ているが、今日に限ってはジーパンにシャツだけという装いだった。胸元には、胸の膨らみで犬だか熊だか分からないアニメ調なキャラが大きく描かれている。

　ローズの隣で口をあんぐりと開けたままの男はナナクル・ダーマット。ローズと合わせ世間では、ADaMaSが企業として誇る２トップと言われるほど、経営手腕に長けた茶褐色の肌をした男だ。仕事柄、普段はスーツ姿でいることがほとんどだが、この日はローズ同様、チノパンにタンクトップ、その上にシャツを羽織っているだけというラフな様子だった。

　「え？そんな驚くようなコト言った？Noha's-Ark（ノアズアーク）のディミトリー中将だよ。２人は何度か会ってるだろ？」

「いや、そうじゃなくて・・・」

「ウテナ？相手はNoha's-Arkの中将様よ？そんな人が来るのに、私たちこんな格好なのよ？」

思考がまとまらない様子のナナクルと、まるで小さな子供に当たり前のコトを教えるかの様なローズを、ウテナは不思議そうに見つめている。

「え？今日は軍、カンケー無しで来るって言ってたよ？」

「バカウテナ！そうは言っても、相手は中将なの！オ・キャ・ク・サ・マ！」

　ウテナはMhwに少しでも関わる者ならば知らない者は居ないとさえ言われる人物だ。Mhwの開発において〝天才〟と称されている。そんな彼を慕ってADaMaSに集まった技術者も多く、ウテナが居たからこそ、今のADaMaSは存在すると言って間違いはない。技術者としてのウテナは誰もが羨望の眼差しを向ける対象だが、それ以外について全くの無頓着であることは、ADaMaSの人間以外には知られていないことだった。その背景にはもちろん、ローズとナナクルによる涙ぐましい努力があった。

　首から上だけを静かに右に回し、窓の外を見たナナクルの表情に、さらなる狼狽が表現されていた。ナナクル自身、ガラスに映り込んだその表情を目の当たりにしていた。

「なぁ、ローズ・・・俺の目には、すでにすぐそこまで来ているジープが見えるんだが・・・気のせいかな？」

静かでゆっくりだったナナクルとは違い、その言葉を耳にしたローズの首振り速度は驚くほど速かった。

「ええ、私にも見えるわ・・・。」

がっくりと肩を落としたローズは、先ほどと同じ速度で今度はウテナに向かって顔を振り向けた。ウテナが見たその表情には鬼気迫るものがあった。

「いいこと！ウテナ！これから私たち着替えるからっ！ほんのちょっとでいい、アンタが出向いて時間を稼ぎなさいっ！社長命令よっ！！」

おそらくADaMaSのほとんどの人間がローズの迫力に遭遇した場合、二つ返事しかできなかっただろう。ところが、ウテナという人物はそうではない。

「・・・それって、職権乱用って言うんじゃ？」

ローズの怒気が上がったのを感じ取ったのはナナクルだ。慌ててウテナの両肩を掴むと、くるりと180度回転させ、肩を組むようにして扉の方へ向かった。

「俺の方が着替え早いから。さ、ウテナ。行きましょうね～」

ローズの方を見る勇気が起きないナナクルは、そのひきつった顔を若干ウテナへ寄せる。

「とばっちりはゴメンだ。ローズと残される俺の身にもなれ・・・」

　今この場面に居る３人は、ADaMaSという今や押しも押されぬ有名企業において事実上のトップ３だ。その3人の今の様子は誰も想像できないだろう。ナナクルは内心で「今日が休みでホント良かった・・・」と思わずにいられなかった。

　ウテナが部屋を出たのを確認した２人は、すぐさま準備に取り掛かった。ADaMaSは荒野に存在している。その敷地内には社屋と工場に加え、ほぼ全てのADaMaS社員が暮らす住居なども併設されている。特に技術者に顕著だが、仕事内容が趣味の延長上にある者が多く、休みであっても工場に居る者も多い。外様との応対などを行う者も敷地内には居るため、緊急呼出をかければ、時間がかかったとしても15分程度で2人の居るオフィスにたどり着くだろうが、ローズには呼び出す作業にかかる時間すらも惜しかった。自身の着替えよりも先に、本来は事務員が対応するであろう来客者への応対準備に取り掛かった。

　ディミトリーの運転するジープが正面玄関前へ到着するよりもずいぶん早く、ウテナは玄関から外へ出た。普段あまり外へ出ないせいだろうか？太陽の眩しさが目に痛い。まだ少し距離はあるものの、ジープを運転するディミトリーをはっきりと認識できるようになったころ、ウテナは左手で（こともあろうに）〝おいでおいで〟と手招きをした。ディミトリー自身は本当に客として来たつもりはなかったので気にもしなかったが、この場にローズが居たとしたら、おそらくウテナは首根っこを掴まれて退場させられていたことだろう。

　「やぁ、ウテナ。顔を見るのはいつ以来だろうね。今日は休みにすまないね」

ジープから降りたディミトリーは、そう言いながら右手を握手のつもりで差し出した。

「ええと・・・Attis（アティス）の納品でチラっとですかね？・・・ああ、握手か・・・」

一間を置いて握り返したが、お世辞にも力強いとは言えそうもない。

「とりあえず、上がりなよ」

「そうしよう。Attisのパイロットも一緒だけどいいかな？」

「ヴォルフゲン・フロイト少佐・・・って今日は階級、いらないんでしたっけ？でも、Attisをありがとう。アレはとてもイイ機体だ」

Attisのパイロットという言葉がウテナの目を輝かせた。技術者としては、自分が造ったモノを扱う人間に話を聞けるのだから、浮足立つのも無理はない。

「Attisのパイロット！いろいろ聞きたいから、早くっハヤクっ！」

本来なら、ウテナが先頭に立ち、客人のうち高位にあるディミトリーを間、一番後ろにフロイトが続くのだろうが、ウテナにそんな常識があるはずもなく、フロイトの背中を押して急がせた。すでにディミトリーの存在を忘れたかのようですらある。

　「Attisの左右バランスはどう？装備が重量あるから、ウェイトバランスが難しかったんだよねー。ただ立ってるだけならまだしも、あの機体、よく動くように出来てるからさ！」

扉が開くよりも先にウテナのその声がローズの耳に入った。ローズをとてつもない不安が襲いだしている。

「アンタはそっちにでも座ってよ。僕はちょっとこの人と話したいからさ。その後でもイイよね？」

不安は的中。というより、外しようがない。ちょうどウテナの背後で着替えの最中だったローズは、駆け出しながら履いていたスリッパを右手に握りしめた。その一連の動作には無駄な動きが一切なく滑らかだ。

「この！スカターーーーンッッッ！！」

〝スパーンッ〟という軽快で心地いい快音がオフィスに響き渡った。ところが、その後ろでは、ナナジンがさらに輪をかけてオロオロしている。

「ローズさん、お久しぶりです。熱烈な歓迎、男としては嬉しいのですが・・・その・・・」

ウテナ、ナナクル共に32歳、フロイト40歳。ローズは30歳になったばかりだ。そんな中、ディミトリーは47歳。未婚だが、その景色にもっとも冷静でいられた。

「せめて上、何か着ませんか？」

ブラジャーをしていたのはせめてもの救いだろう。ローズは視線を自分の胸元に落とし、言葉にならない声を上げながら、元居た場所へ踵を返した。

「ADaMaSって、こんな感じなのか・・・？」

赤面しながらだったが、フロイトが独り言のように呟いた。

「身内だけなら、だいたいこんなモンです・・・お恥ずかしい・・・」

いつの間に近くに居たのか、フロイトの呟きはナナクルによって拾われていた。