第5話 再びの惨劇

 六本目の瓶が空いたところで、振り子時計が鐘を九つ鳴らした。向かいの席の愛美は、すでに少し前から飲むのをセーブしている。ワタシも、これから出かけるのに飲み過ぎだ。

「だいぶ飲みましたねー」

「まだまだ、いけるよ自分は」

「すごいですね先生! でも、これから夜のハイキングですよ」

「うーむ」

 本気で残念そうなのが、おもしろい。確かにワタシも正直に言えば、このまま多和先生と飲んでいたい。夜にまた、あの不吉なお堂に集まるのは嫌だった。

 しかし『今夜のフィールドワーク』に先生を巻き込んだのはワタシだ。

 多和先生を誘った時、愛美はワタシを怖い顔で睨んでいた。今夜の会合に、他者が参加するのは不愉快だと言いたかったはず。でも、ワタシは気づかないふりをした。

 あのギスギスした空気に、ワタシは耐えられない。多和先生なら、そんな空気を和らげてくれる。そんな気がして、つい誘ってしまった。

「すみませんね。先生をうちらのフィールドワークに付き合わせちゃって」

「いえいえ気になさらずに。話に乗ったのは自分っすから」

 そう言うと先生は、グイッと残りのビールを飲み干した。

「さて」と、立ち上がったのは彰良だ。

「お、もう行きますか」

「ちょっと飲み過ぎです。このまま散歩がてら、先に宿を出てビーチで待ってますよ」

「月の光で明るいけど、夜道を一人で歩くのは危ないよ」

 窓のカーテンをペラっとめくりながら、愛美が呟く。

「大丈夫だよ。では先生、のちほど、また飲みましょう」

「もっちろんさあ。また帰ったら飲もうよ」

 愛美が何か言いたそうにしていたが、結局、そのまま黙って彰良を見送った。

「ワタシたちが宿を出るのは九時五十分くらいで良いでしょうか?」

「そうだね。それまでシャワーしてくるよ」

 少しクタッとしたショートヘアを、先生はめんどくさそうに掻き上げた。

「夏とはいえ、湯冷めに気をつけてくださいよ」

「あいあい」

 ワタシと愛美も、いったん各自の部屋に戻る。自室に帰るとトイレを済ませ、顔を洗った。早くシャワーを浴びて着替えたかったが、湖畔の夜風で体調を崩したくはない。

  *

 九時四十五分に部屋を出て、ロビーに降りる。多和先生がすでに待っていた。先生はシャワーを浴びて着替えたのだろう。今度は黄色いTシャツにスリムなブルージーンズ。長い足に白いスニーカーがよく似合っている。

 多和先生と立ち話をしていると、すぐに愛美も上から降りてきた。そういえば智也はどこへ行ったのか? 部屋をノックしてもいなかった。夕食後、しばらく見てないな。

 そのまま三人で夜の車道を歩いて亀浦湖へ向かう。ペンライトを用意したけれど、月が明るいので点灯する必要はなかった。高原の夜とはいえまだまだ暑い。ペンションの玄関を出て十分。船亀ビーチに到着したころには、背中が少し汗ばんでいた。湖面には大きく丸い月が映り、ゆらゆら揺れている。昨夏、ここで花火をした日が懐かしい。

「ちょうど十時っすね」

 多和先生が腕時計を見てそう宣言したのとほぼ同時に、背後の駐車場から彰良がハンカチで手と顔を拭きながら現れた。

「いやー、飲みすぎちゃったよ」なんて呑気に笑ってる。そんな彰良の姿を見て、愛美がブルッと体を慄わせたような気がした。

「あとは智也さんですね。まだ自分はお会いしてませんが……」

 多和先生が、そう言いながら黒く輝く湖へ近づいた。

  *

「遅いですね。もしかしてお部屋に?」

 多和先生の問いかけに、ワタシは両手でバツ印を作る。

「部屋を出たときノックしましたけど……いませんでした」

 三回ドアを叩いたが、内側に人の気配は感じなかった。

 湖のほとりでそのまま数分間待ってみる。ジリジリとした嫌な時間の進み方。友人同士、互いに顔を見合わせると、愛美も彰良も真っ青だ。ワタシも同じような顔だろう。

「さっきトイレ行ってたでしょ。駐車場の方には誰もいなかった?」

 いるはずもないと思いながら、そんなことを彰良に聞いてみる。当然、彼も首を傾げているが、しかしそこで、

「ほんと? 本当に駐車場には誰もいなかったの?」

 愛美が普段の彼女からは想像できないような、きつい剣幕で彰良に食ってかかった。

「いや、なんせ暗かったから、確実には何も……」

 彰良も思いがけない彼女の迫力に気押されているようだ。次第に二人の声が大きくなる。

 そんなワタシたちの騒動を、多和先生が遮った。

「ここでぼーっとしてても仕方ないですね。一回、皆で駐車場を見てみましょう」

 先生の顔は出会ったころより少し険しく見えた。でも、その声は優しく柔らかく、ワタシは少しホッとする。

  *

 ゾロゾロと駐車場へ来てみるが、当然そこには誰もいない。荒れてデコボコの駐車スペースが広がっているだけだ。あちこちにボウボウと生えた夏の草。雨が残した水たまり。古ぼけた駐車場の看板。そして、薄暗い蛍光灯が照らす、幽霊が出そうなトイレ。

「彰良さん男子トイレを、それと由佳さん女性用を頼めますか?」

 多和先生の指示にワタシは頷き、女子トイレのなかへ向かう。

「俺はさっき入ったけど、誰もいなかったぞ」

 文句を言いつつ、彰良も男子トイレを覗いてくれた。しかしどちらにも誰もいない。

「どうして……」

 愛美の可愛らしい顔から血の気は引き、今にも倒れそうな風情だ。

「先生……」ただならぬ予感がし、ワタシは多和先生に助けを求める。

 彼女はじっと目を閉じ、少し考えると、

「電話は? 智也さんは電話に確かに出ないんですね?」と、彰良に確認した。

 彼はさっきから何度も智也のスマホを呼び出しているようだが、つながってはいない。暗い顔で「いえ、ダメです」と、自分のスマホの画面をこちらに見せた。

「ここはやはり、一度ペンションに戻って、部屋を確認しますか?」

 緊張した声でそう聞くワタシに、多和先生はキッパリと首を横に振る。

「《亀の井のお堂》へ行きましょう。少しでも早く」

 そう宣言し、遊歩道の入り口へ向けて駆け出した。

  *

「お堂って、先生、智也は《亀の井のお堂》にいるのですか?」

 ショートヘアの後ろ姿を追っかけながら、ワタシが叫ぶ。

 多和先生は説明する時間も惜しいとばかり「その可能性は高いっす」と叫び返すと、さっさと遊歩道へ足を踏み入れる。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、太田さん」

 そんな多和先生を愛美が大声で制止した。さすがに先生も足を止める。

「そんな当てずっぽうで探しに行って、もし彼が部屋で病気だったりしたら」

 愛美の言い分ももっともだ。というか、そっちの可能性の方が高いとワタシも思う。

「先生、説明してください。どういうことなんです?」

 彰良も、もどかしそうに詰め寄った。

「わかりました。説明します。ただし時間が惜しいんです。彼の命にかかわるかもしれません。だから歩きながら説明しますね」

 もう何を言われても止まらない、そんな強い意志を示して、先生は《亀の井のお堂》へ向け早足で歩き始めた。ワタシたちは仕方なく、その後を追う。

  *

「先生、智也の命にかかわるって、どういうことなんです」

 そう多和先生は、さっき確かにそう言った。命、それって?

「さっきの駐車場で、自分は一つの物語を紡いでみました。その筋を追いかけると、一年前の事件の犯人は智也さんということになります」

 犯人? いきなり、なんの話だ……? 

「事故の原因を智也が作ったってことですか?」

 私の背後から、彰良が問いかけた。でも、あれは事故なんでしょ……原因って?

「それもあります」

「それ……も?」

「事故の原因を作り京平さんの命を奪った。それが智也さんだった」

「な、なんで」と、ワタシは思わず大きな声を出してしまった。

 さっきまでうるさく鳴いていた虫たちの声がピタリと止まる。

「ここからは自分が紡いだ物語になります。しかし……」

 かなりのスピードで歩きながらも、多和先生の息はまったく乱れない。

「悲しいことに、この筋には確信があるんです。まず最初、智也さんはクーラーボックスを持って行ったんですよね? 肝試しへ向かうお堂に」

 よく覚えている。『智也。お前、なんでそんなもの持って肝試しに行くんだよ』って言えばよかった。なぜワタシは、あの時、そう聞かなかったんだろう。

「アイスを食べたのはペンション近くの船亀ビーチではなく、石の多い小亀ビーチ」

 先生は、多和先生は、何が言いたい?

 早足を続けたことで息が切れる。夜中、湖畔の遊歩道なのに気温はかなり高い。お酒を飲んだあとの熱った体を、たくさんの汗が流れ落ちる。あの日もそうだった。

「高原とはいえ、最近は熱帯夜が続いています。そんななか、花火をやってハイキングして、まだ冷たくて溶けてなかったんですよね、アイスクリームは」

「そう……です」

 小亀ビーチの浜辺で食べたアイスは、とてもカチカチで冷たく美味しかった。

「それなら入っていたはずですよ、クーラーボックスには」

「何が?」と、彰良が震える声で聞き返す。

「冷却用のドライアイスが」

 この暑い夏、お土産用のアイスクリームを売っている宿の売店では、クーラーバック用のドライアイスを付けてくれる。

「ドライアイスに水をかければ、白い煙が盛大に出るのは有名な話です」

 あの時……最初に肝試しに出た智也は、あとから来る彰良や京平を驚かすつもりで、亀石の台座にドライアイスを仕込んだのか。

「智也さんの次が誰になるかは、まだ決まってませんでしたよね。本当なら彰良さんだったかもしれない。でもたまたま北沢さんが次に行った。そして……」 

 京平は亀石に水をかけた。台座に置かれたドライアイスは、たちまち水と反応し盛大に白い煙を出す。真っ暗なお堂のなかで。

「北沢さんは驚嘆したでしょう。そのあと湖に転落したのは皆さんが知ってる通りです」

 驚くと同時に腑に落ちた。あの夜、駆け込んだお堂のなかで感じた足元の悪寒。あれはドライアイスの残した冷気だったのか。そして、先生が急ぐ理由も理解できた。

「じゃあ智也は事故の責任を感じて、その……、自殺を考えた?」

 そこまで言って、おかしいことに気づく。さすがに痛ましい出来事だ。子供っぽい些細なイタズラで友人が死んだのだから。しかし先生はさっき事件と言った。智也が命を奪った犯人だと。さすがにそれは言い過ぎだろう。それじゃあ?

「違います。これはイタズラや事故じゃない。良いっすか? 京平さんは頭を打ったんです。どこで? あそこから転落し、脳挫傷をするほど強く頭を打つとは思えません」

 その点は警察でも揉めたと聞く。しかし最終的には事故と結論が出た。

「じゃあ多和先生は、どうだったと?」 

「慌てたんだと思います。イタズラで友人が湖に転落したんですから。それで智也さんは救助のため飛び込んだ。幸い浮き輪がわりになりそうなクーラーボックスが手元にある」

 ボックスを抱きしめ智也が湖へ飛んだシーンは、ワタシの記憶に鮮明に残っている。

「湖上で智也さんは、北沢さんの体を確保した。そのときに気づいたんですよ」

「何に?」

「息があることに。彼は無事だった。仰向けに浮いて息もできていた。この時、智也さんは本気で京平さんを助けようとしていたと信じます。ただもう一つ気づいてしまった」

「腕か……」

 彰良が無念そうに呟く。腕? 京平の大切な……腕……

「北沢さんの左腕が折れていた。彼は将来を嘱望されたバイオリニスト。秋に留学を控えた重要な時期に、智也さんのイタズラが原因で大切な左腕が骨折してしまった……」

 ああ……そこで、そこで何を考えた? 智也……

「皆さんは樹々が密集した暗闇の中を走っていました。湖面は誰からも見えません。その時、クーラーボックスには入っていたはずです」

「ドライアイスがですか?」

「いいえ、あと一つ。夏に長時間使用するようなドライアイスは板状の大きなタイプ。亀石の台座にイタズラをするには、小さく砕かねばならない。そのために使った道具があったはず。例えば拳くらいの大きさの石。小亀ビーチにたくさん落ちていましたね」

 ゴロン……智也が夜の湖へ飛びこむ寸前、胸に抱き締めたクーラーボックスの中で、何かが転がる音がした。

  *

 遊歩道を早足で駆け抜け小亀ビーチまでやってきた。ここまで十分余り。通常のコースタイムよりかなり速いはずだ。石の多い浜辺の向こうに、お堂の建つ小さな半島がシルエットになって見えていた。

「もう少しです」 

 多和先生のあとに続き、階段を一段飛ばしで駆け登る。

 頂上の草地で、愛美が先生を追い抜いた。目の前に黒い、悲しいほどに黒い亀浦湖の水面が広がっている。《亀の井のお堂》の正面まで辿り着いたところで、

「ひっ……」と、小さな奇声を発し、愛美が崩れ落ちた。

 追いついた彰良が彼女を抱き止める。両手で口元を覆い、叫び声を飲み込む愛美の視線の先。そこにあるものに気づいたとき、ワタシも小さく悲鳴を上げた。

 亀石の甲羅の上。そこにちょこんと、切り取られた人間の手首が置かれていた。

 一目で本物だと悟った。手のひらを下にし、指先をこちらに向けている。さほど血に塗れていないのが、せめてもの救いか。うっすら差し込む月の光で、それが右手だとわかる。

「あれは……智也の……手?」

 ワタシの問いかけに、多和先生は何も応えない。ただスマホのライトを点灯すると、ゆっくりと手首を乗せた亀の石像に近づいた。お堂のなかを生臭い空気が揺れる。光の動きがキラリと反射し、ワタシは亀石が濡れていることに気づいた。

「先生……亀石が」

「うん、血だねこれは。誰かがここで酷い怪我をした?」

 亀石は血に染まっていた。台座の窪みも赤黒い液体で満たされている。先生がライトを動かし、キョロキョロと辺りを見回すのは、凶器を探しているためだろうか。しかしお堂のなかに右手首のほか何もない。台座から床に零れ落ちた血溜まりはさほど大きくはなく、

『あれなら先生の白い靴が汚れない』なんて、ワタシはそんな場違いなことを考える。

 そこでふと、座り込んでしまった愛美を思い出し、お堂の外へ振り向いた。

 彼女は彰良に付き添われて《亀の井のお堂》から離れ、亀浦湖を望む手すりの前に立っていた。肩を寄せ合い崖下を見つめているようだ。愛美の気を紛らわせるために、彰良が湖側へ連れて行ったのか。しかし、それにしては二人の背がワナワナと慄えている。

「まさか?」 

 そう呟いて、多和先生が二人に駆け寄った。

 え? まさかって何? そんな、まさか……智也が?

 恐る恐る皆の背後へ歩み寄る。よく見ればそこは去年、京平が転落したのと同じ場所だ。

 事故のあと、張り直された手すりのロープ。その向こうの真っ黒な湖面を覗く。そこには仰向けで浮かぶ上半身裸の男の姿があった。月に照らされたその顔は間違いなく智也だ。

 目を見開いている。額が黒く見えるのは血だろうか。昨年、京平を発見したときの印象とは明らかに違う。崖の上からでもよく理解できた。智也は……もう、すでに死んでいる。

 頭からスッと血の気が引き、ふらついたワタシの体を多和先生が強い力で支えてくれた。

「大丈夫かい?」

「あ……はい、大丈夫です。あの、先生……先生は大丈夫?」

「うん自分は平気っす……でもね」

「でも?」

「現実は物語のはるか上を行く、最悪でした……」

 多和先生は悲しそうにそう言うと、ワタシの体を優しく抱き寄せながら、もう片方の手でスマホを操作し消防に連絡をとった。

「救急隊が来るには、三十分以上かかるそうです」

 夜間、山奥の湖。それは仕方のないことだ。昨年も同じだった。そう、昨年と同じ場所で、同じことをワタシたちはしている。 

  *

 それから、ワタシたちは嵐の中に放り込まれたような、怒涛の時間を過ごした。

 救急隊が駆けつけ、小亀ビーチに引き上げてくれた智也の遺体は、頭が大きく傷つき、右手だけでなく左手も切り取られていた。左手首は行方不明のままだ。

 続いてやってきた地元の制服警官は、現場を一目見てこれが殺人事件だとすぐに把握した。我々はそのまま《ペンションとるて》の各自の部屋で監視下に置かれ、明け方近くまで何度も、個別に事情聴取を受けることになる。

 昨年の事故で対応してくれた地元警察の人たちと違い、県警本部から来た刑事たちは、紳士的に振る舞ってはいたが、明らかにワタシたちを疑っていた。

 それも当然だろう。このような山奥で、一年に二度も偶然に事件事故に遭遇し、友人を失うなどありえない。誰だってそう考える。彼らが執拗に聞きたがったのは、昨夜のワタシたちの行動だった。具体的には夕食のあと、誰がどこにいたかだ。

 しかし、ワタシに言えることはあまりない。

 夕食が終わったのが六時五十分。七時からワタシと多和先生、彰良でビールを飲み始め、そのあと七時三十分からは愛美も加わって、宿の食堂で一緒だった。解散したのは九時。そして十時に船亀ビーチで再集合した。ワタシが知ってることはそれだけだ。

  *

 ようやく刑事たちから解放されたあと、宿のご好意で軽い朝食をいただいた。

「去年に引き続き、この宿のご夫婦には迷惑をかけてるね」

 熱いコーヒーにホッと一息をつく。

「そうだな」と応える彰良の目の下には、黒いクマができている。愛美も酷い顔だったし、ワタシも人のことは言えないだろう。唯一元気そうなのは多和先生くらいか。

「ワタシたちへの疑いは、解けたのかしらね」

「どうだかな。さっき刑事さんに聞いたんだけどな」

 彰良が少し声を落とす。

「智也が亡くなった時間は、午後の七時から八時の間らしい」

「え、そんなに?」

 愛美が驚きの声をあげたが、ワタシもこれは意外だった。ミステリーのドラマや小説で定番の死亡推定時刻だが、実際にはそこまで細かい時間はわからないと聞いている。

「そんなに具体的に出てるの?」

「ああ、今回に限っては夕食直後ってのが大きかったらしい。具体的には胃の中に……」

「ああ、わかるわ」

 医療関係者でないワタシに気を使い、言い淀んだ彰良だが、彼の言いたいことはわかった。ようするに胃に入った夕食が、ほとんど消化されずに置かれていたのだろう。

「通常、食事をとったあとは急速に胃の中で消化され、数時間で腸へ流れていく。それがほとんど、そのままだったらしい。そこから判断しあいつは夕食直後にやられたようだ」

 それで愛美の行動について、刑事たちがしつこく聞いてきたのが理解できた。彼女は夕食直後から七時三十分まで、皆の前にいなかった。明らかに怪しいということか。

 しかし……

「それなら俺たち全員が、犯行は不可能なんだよ」

 彰良の言うとおりだ。《ペンションとるて》から《亀の井のお堂》まで往復で一時間はかかる。駆け足なら少しは早まるだろうが、それでも食堂を出てからお堂へ行き、再び宿の玄関まで戻ってくるのに四、五十分では苦しい。ましてや……

「走れば五十分で行けるか? でもそれじゃあ、あいつをあんな目には合わせられない」

 彰良は優しく笑いかけたが、愛美はそっと顔を伏せ何も応えなかった。

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