ハイヌウェレ 土


 鏡に映った私の顔。

 そこには黒いぐにぐにの縦縞が浮かんでいた。両手を顔に当てる。黒い部分は皮膚とは思えない硬さだった。軟らかい頬、硬い黒縞、軟らかい皮膚……と顔面が異なる感触で交互にデコレートされていて、触ってみると尋常じゃないくらいに気味が悪い。

「それに身体!」

 ぱっつん娘が私の腹を指した。喰うことばかりに夢中になっていた私は、この時になって初めて自分の体の異常に気付くことが出来た。私の腹はぷっくりと大きく膨らんでいたのだ。私の腹は本当に丸かった。ボウリングの球を衣服の中に潜ませたのかと見紛うばかりに丸かった。きっと今の私の姿を見た者は、地獄の六道に住まう餓鬼かと錯覚してしまうことだろう。事実、私は一世一代の飢渇に苛まれていた最中だったので、餓鬼にかなり近しい存在であった。

「何故だ……確かに食べ過ぎたとはいえ、一晩でこのような有様になるはずもないだろう……!?」

「昨晩は何を食べたのですか?」

「昼に作って残しておいたキーマカレーをもう一度食べた。スパイスから作ったので無塩だから健康に良い。昼は半熟卵をトッピングしたが、そのときは温泉卵にしてみた。サフランライスもまだ余りがあったから、一緒に食べた。それから、ワカメとレタスのサラダを。ワカメは水で戻すタイプではないものを使って」

「ああもう、いいです、いいです。それ以上の説明は不要です……どうして食べた料理を挙げるときに、こだわりポイントをいちいち付け加えるのですか。情報が錯綜します」

「何か手掛かりになる事象が紛れているかもしれないだろう。それこそ、お前が先程言っていた『二人の方が意見の幅も広が』るというやつだ」

 膨らんだ腹を抑えながら答える。そのとき、左手の甲に緑色の欠片のようなものが付着していることに気付いた。おおかた西瓜の皮の破片だろう。そう思った。

 次の瞬間


 @


 私の左手甲に付着していた緑色の欠片が、ずるずるずるっと伸び、一本の長い蔓が現れた。

「なんだこれはッ!?」

 蔓は左手のみならず、右手の甲からも突き出て来た。さらには、左腕、右肩と、次々に私の皮膚を食い破ってずるずる出て来る。伸びた幾本もの蔓は、それぞれに意思が存在しているかの如く、自在に動き出した。うねうねと辺りを探るように動き回る蔓。その様はまるで尺取虫に似ていたが、蔓には尺取虫に感じられる可愛げの類が微塵も含まれていなかった。やがて全ての蔓は動きを止めた。静止した蔓は、ある一箇所にその先端を向けていた。私の目の前にいる、ぱっつん娘へと。

「不味いッ、逃げろ!」と私が勧告し終わる前に、蔓が一斉にぱっつん娘に向かって伸び始めた。ぱっつん娘の手首へ、足へ、腰へ、緑色の蔓が迫る。


 しかし、その蔓がぱっつん娘へ巻き付くことはなかった。


 ぱっつん娘に迫っていた蔓は全て、およそ半分の長さに斬り落とされていた。断面からは赤い汁が滴っている。

「まさか貴様ッ」

「危ないところでしたね……しかし、懐に忍ばせておいて正解でしたよ」

 そう言いながら小娘は刀に付いた赤い液体を振って飛ばした。此奴、あろうことか昨日の真剣をまだ持ち歩いておった。しかも、それを携えて買い物にまで行くなどとは……どういう神経をしているのだ。

「待っていてくださいね、すぐ人間に戻してあげますから」

「止めろッ! 斬るなッ! 俺は人間だッ!!」

「人に非ざるモノはおしなべてそう宣うのですよ」

 こちらの言い分も聞かずに、再生した蔓を斬り捨てていく小娘。蔓が斬られても、私自身に痛みは無い。だが、自分の身体から生えた部位が切断される度、辺りに赤い液体が散乱する光景は、見ていて気持ちの良いものではない。はっきり言って気持ち悪い。まるで生きた心地がしない。

「斬れど斬れど、際限がありませんね。いっそ引き抜いてしまいましょうか」

 小娘は右手で真剣を振り回しながら、左手に巻き付いてきた蔓を思いっきり引っ張った「痛ァい!」

「なんと、痛かったですか?」

「何がなんとだこの莫迦! 血管が引き抜かれるかと思ったぞ!」

「斬られることへの痛みは無いが、引き抜かれることへの痛みは有る……つまり、この蔓は身体に癒着している可能性がありますね。そうなると、英雄ヘラクレスのヒュドラ退治宜しく切断面を焼灼する策も、延焼による身体への危険性が……」

「真剣を振り回すことに飽き足らず、火炎放射まで行う気だったのか貴様はッ!?」

 つくづく思うことだが、この小娘には人間としての重要な部分が欠落している。そのくせ本人は人間という生命体について目が回ってしまうほどの信奉を捧げていると来た。己の欠落を自認しているからこそのコンプレックスなのだろうか。私もコンプレックスが無きにしも非ざる身が故に、思考自体は理解出来る。しかし、それにしてはこの小娘からは、コンプレックスを抱いている人間特有の侘しさや切なさといった想いを、一抹たりとも感じ取ることが出来ない。寧ろ、嬉々として振る舞っているようにさえ見えてしまうのだ。

 私が眼前の小娘の人間性について思案していると、当の本人はあることに気付いたらしかった。


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