第9話 女性はね、男性とは考え方が違うのです


「クラウディア……」

 ラモーン・ルッソは気付かぬうちにつぶやつぶやいていた。

(振り向けば君はいつもそこにいたのに……今、どうして君はいないんだ?)


 一年前、副所長になりたての僕に、所長が助手を付けてくれた。僕は研究に没頭してしまうと周りのことに目が行き届かなくなってしまう性質たちなので、そのあたりのことを配慮してくれたのだと思う。


 ただ、その助手が僕のラボに来て驚いた―――なんと、女の子だったんだ!

 最初は女の助手なんて、役に立たないに違いないって思い込んでいた。

 ……でも、クラウディアは違った。何より僕の研究内容を理解してくれた。その上、違う着眼点で新たなヒントもくれる。僕よりも若いのに、どれだけの学問を勉強して来たんだろう? そんな彼女と2人でやれば、どんどん仕事も進むんだ!


 僕の言いたいことを誰よりもわかってくれて、2人でいれば無敵ってくらい、研究に没頭できた。

 僕はそんな彼女との未来を想像した―――彼女と結婚して、僕たちに子供ができたら、きっとその子も世界を良くすることができる子になるって気がする―――そう思ったら、彼女に交際を申し込んでいた。


 そこからは更に世界のため、僕たち2人のため、まだ見ぬ子供たちのために研究に邁進まいしんした。僕たちは朝早くから夜遅くまで働き続けて、毎日が充実していた。

 僕は自惚れていたんだ。君もきっと今の状況に満足しているに違いないって。


 だから、母に

『あなたは研究ばかりしていて、クラウディアさんのことを考えたことがあるの? 女性はね、男性とは考え方が違うのです。

 と言われても、僕のクラウディアはそんな筈ないって思ってしまったんだ。


 でも、そのことを君に話した夜、君はいなくなった……


 まさか、何も言わずにいなくなると思わなかったから、何か別の用事をしているのだと思い、僕は気に留めなかった。

 だけど君は、いつまでたっても帰って来なかった。

 心配になって下宿まで行ってみたら、部屋に明かりが灯っているのが見えた。

 もしかしたら『先に帰ります』と言われたことに、僕が気が付かなかっただけなのだろうと思い、安心して帰ったんだ。

 そして、いつもと同じ明日が来るものと思っていた。


 翌日君に会った時、なんだかいつもと違って見えた。

 よそよそしくて、どこか怒っているように見えた。でも僕はまだ、気づいていなかったんだ。うっかり者の僕が、どこかでボタンを掛け違えてしまったことに……


 そのあと君は、他の男の助手になった。

 所長に説明を求めたら

『女性研究者を就業時間を超えて私的に拘束こうそくしている、という指摘してきがあったので、本人の同意を得て他の者の助手に異動してもらった』

 と言われた。


(そんな、確かに就業時間を超えてしまうことはあるけど……それはクラウディアもわかってくれている筈だし……)

 

 でも『本人の同意を得て』と言っていたが、そんな筈はない。クラウディアは真面目な子だから、所長から『異動だ』と言われればそうするしかないと思ってしまうだろう。所長命令に異論など、口を挟めるわけがない。


(きっとクラウディアも、僕の元に戻りたいと思っている筈なんだ……)


 それから僕はクラウディアと話をしようと、給湯室で待ってみたり、朝早く出勤して門のそばで待ってみたりしたが、なかなか機会は訪れない。そればかりか、避けられているみたいで、僕のラボにちょっと来たと思ったら、さっさと必要なものだけ持って行ってしまった。


(気のせいじゃない……避けられている……)

 そう思ったら、怒りが込み上げた。

 

 1年前僕が交際を申し込んだ時、君はあんなに目をキラキラさせて聞いてくれたじゃないか! 僕は勇気を出して言ったんだぞ……きみは承諾しょうだくしてくれたんじゃないのか? 何故、僕を避ける?

 

 頭に来て、仕事終わりのクラウディアをけた。下宿の近くまで無事に来てから呼び止めた。

 あまりにクラウディアが驚いて飛び退いたので、こちらの方が気が引けた。

「ごめん、そんなに驚かないでくれ……」

「……暗い街角で、いきなり女性を後ろから呼び止めたら、驚かれて当然と思いますが……どうなさったのです?」

 

「ごめん、申し訳ない……どうしても、君と話がしたかったんだ……」

「わかりました。手短にお願いします」

(よかった、聞いてくれそうだ。でもどうしよう……ここは下手したでに出た方が良いだろうか……)

 

「クラウディア、戻って来てくれ! ……頼む!」

(頼む、『はい』と言ってくれ……お願いだ……)

 

「所長の指示による人事異動なので、私にはどうにもできません……」

(そんなことは分かっている……君が『はい』と言ってくれれば、僕がどうにでも所長を説得して見せる!)

 

「……君は、今の所長の弟のラボがいやなんだろう?」

(頼む、『いやだ、戻りたい』と言ってくれ。言ってくれさえすれば、どうにかするから!)

 

「イヤとかそうゆう個人の都合は関係ありません。ですが、所長の弟君のアラン様にはよくしていただいております」

(そうじゃない! そんなことを言って欲しい訳じゃない!)


「……君は、僕のラボに戻りたいんじゃないのか?」

「私はあの研究所でお仕事をさせてもらえるのでしたら、どこのラボでも喜んで働かせていただきます」


(そんな……そんな、クラウディア……)

「何故だ……?」

 思わず手が出ていた。両手で彼女の両肩をがっしりつかんでしまっていた。


(僕は君との未来のために、さんざん君の意見を聞いて来たと言うのに!)

 ラモーンはもう、自分でも何を言っているのかわからなくなっていた。

 

「離してください!」

 と言われて、彼女の肩をまだ掴んでいることに気がついて、慌てて手を離す。

 通行人にも変な目で見られてしまい、 彼女は逃げるように行ってしまった。


(どうしよう。クラウディア、怒ったかな……)

『何か言いたいことがございましたら、所長に仰ってください』

(そう言っていたな……)


 

 翌朝、所長にもう一度直談判に行こうかどうか考えながら歩いていると、後ろからぶつかって来た者がいた。

 

 クラウディアだった。その彼女に唐突に

「……“嫉妬” ……なのですか?」

 と言われて『一体何を言っているんだ?』と思った。


 その後所長に、クラウディアを返してくれるよう頼みに行った。彼女は僕の研究のことを知り尽くしている、ゆえにその内容が他の者に漏洩ろうえいされるようなことがあっては困るのだ。真似でもされたら堪らない、どうしても彼女を返してもらう必要があるのだ。


 けれども彼女が遅くまで仕事をしていたため、帰り道で悪漢に襲われそうになったと聞き、ショックを受けた。僕が彼女を守らなくてはいけなかったんだ、それなのに、その場にいなかった。

 

 彼女を助けたのは所長の弟だった。そして、クラウディアはその男のラボに異動になり、

『ラモーン副所長のアシスタントに戻りたいか?』

 と問われて『いいえ』と言ったのだ。

 クラウディアは僕より所長の弟あいつを選んだ。


 今まで自分の感情の中に『嫉妬』などというものが存在することなど、想像すらしていなかった。

 

 だが、認めざるを得ない……僕は “嫉妬” しているのだ……

 同時に、僕より所長の弟あいつを選んだクラウディアに怒りが湧き上がる。

 

(何故あいつを選ぶ? 僕よりあいつの方がいいのか?)

 許せない、裏切り行為だ。


 ラモーンは自分のラボに戻ると、延々とそんなことを考えていた。

 仕事なんて手につかない。研究なんてどうだっていい……

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