第8話 “嫉妬”…なのですか…?

 翌朝クラウディアは、寝不足のまま急いで下宿を後にした。

 昨夜のアンナとのおしゃべりの中で言われたことが気になって、あまりよく眠れなかったため、いつもより下宿を出る時間が10分遅い。

 これでは朝のお掃除と準備の時間が少なくなってしまう。


 クラウディアはアンナに “二人の男を手玉に取っている” と言われてしまったことがショックだった。

(憧れの研究職に就くことができ、ラボの上司にも誠心誠意尽くして来たつもりだったのだけれど、なにか私のやり方が間違っていたのかしら?)


 そんなことを考えながら歩いていると、うっかり前を歩いていた人が立ち止まったことに気づかず、ポスッと突っ込んでしまった。


「クラウディア……」

 ラモーンだった。

「ラ、ラモーン様……」

 二人の間に沈黙が流れる。クラウディアは昨日ラモーンに腕を掴まれて問いただされたことや、アンナに言われた “嫉妬” という言葉を思い出して頭に血が登って真っ赤になった。


「……“嫉妬” ……なのですか?」

 思わず口からそんな言葉が漏れてしまい、クラウディアは慌てた。


(わわわ、私ったら何てことを! いけない、そんなこと言われたらラモーン怒るわ!)

 ラモーンは一瞬『何のことを言っているんだ?』という驚いたような、呆気に取られたような表情をしたが、急に顔を真っ赤にすると

「そ、そんなこと、あるわけないじゃないか!」

 と怒鳴って、走って行ってしまった。

 

 クラウディアは、その後ろ姿を目で追いながら『……やってしまった』と後悔した。

(……うう、どうしよう。絶対ラモーンを怒らせたわ……)

 その場で立ち止まっていると、明るい声で話し掛けられた。


「おはよう、クラウディア! どうしたんだい、こんなところで立ち止まって。忘れ物でも思い出した?」

 アランのキラキラした微笑みが太陽の光のように降り注いで、一瞬にして気持ちを持っていかれる。

(アラン、今日もすてきな微笑み……)

「おはようございます、アラン」

「今日こそは、君を食事に連れて行きたいな。どうかな、昼食を一緒に」

「ありがとうございます。何ごともなければ、ご一緒させていただきます」


 2人並んで歩きながら、研究所の門をくぐる。

 ラボに着くと、何やら隣の所長室で言い争う声が聞こえた。


 顔を見合わせて、何か異変を感じたアランが所長室のドアを開けた。

「おいおい、何を大きな声で……外まで聞こえているぞ!」

 

 アランが入っていくと、そこには所長の他に、ラモーンが立っていた。

「どうしたんだ、いったい?」

 アランが問いかけると同時に、ラモーンが声を発した。

「あなたが、僕の助手を横取りした人ですか?」


「だからそれは、君が女性研究員を遅い時間まで働かせて……」

 所長が話し始めたが、アランの声がそれをさえぎった。

「僕がクラウディアを助手にしたが、何か文句があるのか?」

「なぜ、クラウディアなんだ! 助手にするなら他にもいるだろう?」

 ラモーンが言い返す。


「君は知ってるのか? あんな遅い時間に女性1人で帰らせて……危ない男たちに危うく連れ去られそうになったんだぞ!」

 アランが言うと、ラモーンの顔色が変わった。

 クラウディアは所長室のドアのそばで聞いていたが、どうもここに自分がいない方がいいかもしれないと思い、そっと隣のラボに戻ろうとした。

 すると、部屋の中からクラウディアを呼ぶ声がした。


「クラウディア、ちょっと来てくれ!」

 アランの声だ。呼ばれておずおずと所長室に入る。


「クラウディア、先日の夜仕事帰りに、街中まちなかで危ない連中に囲まれていたが、それは僕の見間違いか?」

 アランが問う。

 所長、アラン、ラモーンの3人に見つめられて、クラウディアは一気に身体中の汗腺から冷や汗がにじむのを感じる。

「……いいえ……見間違いではありません……」

「では聞くが、君はもう一度このラモーン副所長のアシスタントに戻りたいかな、はいかいいえで答えてくれ。戻りたいか?」

(そんな……はいかいいえの2択だなんて……あの夜のことは、飛び出して来てしまった私にも責任があるのに……)

「……いいえ……」

 クラウディアは消え入りそうな小さな声で答えた。顔を上げることができない……

(きっと、ラモーンは怒るわ……)


「そう言うことだから! クラウディア、隣のラボへ帰ろう」

 アランがクラウディアの肩を優しく抱き込むように、ドアの外に連れ出す。

 肩越しにチラリと見たラモーンは、今まで見たこともないような表情をしていた。


 ラボのドアを開けて自分の椅子に掛けると、動揺しているクラウディアの肩に手を置いて、アランが言った。

「大丈夫。君のことは僕が守るから。怖がらなくても大丈夫だよ」

「……はい、ありがとうございます」


「う〜ん、あとひとつだけ訊いてもいいかな? ……君とあの男は、交際していたのかな?」

 意外なことを訊かれてクラウディアは、鼓動が早くなる。

 

「あ、あの……交際……というのはどういったことをすのでしょうか?」

「え? ……ええと、一般的にはデートしたり、家族に紹介するとか、その……キスしたり……とかかな」

「……そういったことでしたら、まったくございません。ただ……」

「ただ?」

「『お付き合いをして欲しい』と言われたことはあります」

「そうなの、それで?」

「……特に何もないまま、うやむやに……」

「ああ、なるほど」

 

(えっ? アラン、なるほどってどういう意味ですか?)

「あ、アラン?」

「失礼、君は何も気にしなくていいよ。すまなかったね、個人的なことを訊いてしまって」


 そう言うとアランはにっこりした。


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