第2話 お構いなく、私は平気です

 次の朝、いつも通り研究所に出勤すると、ラモーンが待っていた。

「昨日はどうしたんだクラウディア?いきなりいなくなってしまって、困ったんだぞ!」

 クラウディアは内心『フンッ』と息まいたが、丁寧にこう答えた。

「そうでございましたか。実験の片付けや報告書の作成はいつも私がしておりましたものね」

「そうだぞ。君がいないから、どこへ何を片付けたら良いのかわからなくて、適当にやってしまった。おかげで、今日の準備ができていない。早くやってくれ」


(まったく、一人じゃなにもできないくせに、仕事をみんな私におしつけて来て…)

 イラっとして、ラモーンを睨み返すと、その時

「おーい、クラウディア。所長がお呼びです!」

 と呼び出された。

「失礼します、ラモーン様」

 そう言って、所長室に急ぐ。

(なんだろう?所長がお呼びって…)

 所長室のドアをノックして、『お入り』の声に

「失礼します」と入っていくと、意外な人物がそこにいた。


「おはよう、クラウディア。来てもらってすまない」

「はい、おはようございます、所長」

「こららは知っているね?私の弟のアランだ」

「はい。アラン様には昨日危ういところを助けていただきました。

 アラン様、改めて昨夜はありがとうございました」

「いや、気にしないでくれ、クラウディア」

 アランは涼しげな表情でさらりと受け流す。


 クラウディアは心の中で思う。

(それにしても!このご兄弟は美しすぎるわ~。この殺風景な所長室が、お二人がいるだけで、パァ~ッと華やかになってる!)


「…で、クラウディア、君をアランの助手にしたいと思うんだが、どうかな?」

 ハッとして我に帰ったクラウディアは、

「へっ?今なんとおっしゃいました?」

「新しいアランの研究のために、君を助手に…」

「へぇぇぇーーーっ⁉︎私がですかぁ?」

 アランのキラキラした顔が

「いやかな?」と覗き込んで来て。

「い、いやじゃないですぅ~!」と返事をしてしまった。


「それじゃあ、さっそく君の私物を持って、隣の部屋に引っ越して来て」

「ハイ!わかりました!」


 クラウディアは嬉しくて、スキップしたいのを我慢しながら、ラモーンの研究室に戻ると、彼に告げた。

「申し訳ありません、ラモーン様。人事異動になりました。突然で申し訳ございませんが、今から異動させていただきます」

「ええっ!そんなの困るよ。一体どこの誰だい、君なんかを助手にしたいだなんて。僕が断ってやろうか?」

「いいえ。お構いなく、私は平気です。今まで大変お世話になりました」

「ちょっ、ちょっとクラウディア!」


 クラウディアは自分の私物を小さな箱に詰め込むと、嬉々ききとして歩いた。

「はぁ~、今日から素敵なアラン様と一緒に仕事ができるのね…」


 所長室の一つ手前が、アランの研究室らしい。

 ついこの間まで、倉庫として使っていたところだ。いつの間に片付けたのだろう?

 コンコン、とノックすると中からアランが出て来た。

 部屋の中を覗き込むと、まだ倉庫の荷物がいっぱい入っていて、人間二人が入れそうな余地はない。


「あ、アラン様。まず、片付けるところから…でしょうか?」

「ごめん、クラウディア。少しずつ片付けていこう…」

「わかりました。お任せください!まずは台車を持ってまいりますね」

 アランはホッとした顔になって、

「助かるよ。ありがとう、クラウディア」とお礼を言った。


 クラウディアは有能だった。

 小さい頃から本が好きで、暇さえあれば行儀作法を学ぶより、本を読んでいた。やがて興味は、外の世界に向かい、目に入るものをことごとく追求していった。

 元々、地方に領地を持つ男爵令嬢だったのだが、優秀な兄をも上回るその聡明さで、研究所の助手にスカウトされたのだ。


 クラウディアは台車を持ってくると、部屋の中の荷物を分類して色付きの紙を貼っていった。それが台車にいっぱいになると、紙の色ごとにその荷物の担当部署に運んで行った。

 昼近くになると、自分とアラン様用の昼食を買いにいつものパン屋に行った。


(アラン様はどんなものがお好きかしら?まだ、好みがわからないから、エネルギー補充に少したくさん具材の入ったサンドイッチと、甘いものも少し買っておこう)


 クラウディアが沢山サンドイッチとデニッシュを買って戻ると、汗だくのアラン様がいた。

「アラン様、昼食を買ってまいりました。お疲れでしょう、少し休みましょう」

「ああ、すまないね、クラウディア。君も疲れただろう?」

 クラウディアは嬉しくなった。こんなふうに『君も疲れただろう』なんて声を掛けてもらったのは久しぶりだ。

「お好みが分からなかったので、たくさん買って来てしまいました。どちらで食べましょうか?」

 クラウディアがそう言うと、アランは隣の所長室をノックして、

「これだけあるなら、兄も誘おう」と目配せした。


「おぅ、どうした?」

昼飯ひるめしを一緒にどうかなって?」

 山盛りに抱えたパンを見て、

「うまそうだな、入れよ」

 と言って所長室の応接をを貸してくれた。

「わたし、お茶を淹れてまいりますね。紅茶のお好みはありますか?」

 クラウディアが聞くと、

「悪いね。俺はブラックで頼む」と所長。

「ダージリンがあったらそれをミルクティーで」とアラン様が言われる。

「はい、わかりました」

 クラウディアは明るく返事をして、給湯室に向かった。


 お湯を沸かしていると、ラモーンが通りかかって

「クラウディア、僕にもお茶…」と言い掛けたので、

「すみませんが、私はもうあなたの助手ではないので、ご自分でお淹れになってください」

 と、そっけなく断る。

 ティーポットにダージリンの茶葉を入れて、熱々のお湯を注ぐ。

 ミルクピッチャーにミルクを入れて、茶器を全部トレイに載せると所長室へ急いだ。

 ノックをして所長室のドアを開ける。

「お待たせしました。お茶をお持ちしました」

 それぞれの前にソーサーとティーカップをセットすると、ティーポットから紅茶を注ぐ。

「所長、どうぞ」

「アラン様、ミルクの量のお好みは?」

「ほんの少しで」

「はい」

 二人とも、お腹が空いていたのだろう。サンドイッチもデニッシュも減っている。

「ごめん、腹がへっちゃって。君がどんなものが好きなのか、分からなかったので、少しずつ食べたんだけど…」

 アランはそう言いながら、残っているデニッシュに手を出す。

(意外に甘いものも好きそう…)

「うーん、君の淹れるお茶はうまいね!」

 所長が美味しそうにお茶を飲んでいる。

「時間を測って、こちらの部屋に着く頃、丁度いいようにお湯を入れました」

 満足そうにお茶を飲んでいた二人が、少し驚いたように目を見張った。


「うちのメイドになってもらいたいくらいだよ」

「まったく!」

 二人とも、うんうんと頷いている。

「それより、このパンの代金を払わせてくれ。これで足りるか?」

 所長が財布から金貨をじゃらじゃら出す。

「いえ、そんなにいただいては…銀貨はございませんか?」

「これからも色々頼むことがあると思うから、持っていてくれ」

 そう言われて、

「わかりました、所長。お預かりします。週ごとに会計して、余った分はお返しいたしますね」

 と答える。

 指についたデニッシュの砂糖を舐めながら、アランが

「ところで、僕のことは“アラン”と呼んでもらえないかな、クラウディア。どうもかしこまって呼ばれると、ムズムズすると言うか…」


(うぁ、イケメンの破壊力…指についた砂糖を舐めるとこなんて、カワイイ…)

 クラウディアは少し頬が紅潮するのを感じた。


「承知いたしましたわ。アランさま。いえ、アランですね」

 クラウディアが言い直すと、アランはキラキラの笑顔をクラウディアに向けた。


 有能なクラウディアのおかげで、アランの研究室はその日中に置かれていた荷物も片付き、新しく机と椅子が運び込まれた。


 二つの机が向かい合う形で、クラウディアは自分用の机と椅子をもらった。

 今までラモーンの研究室にいた時は、ダイニングテーブルかと思うような大きな机を全てラモーンが使っていて、クラウディアはほぼ立っているか、重ねられた木箱の上に座るかの二択だったのだ。


 教会の鐘が鳴り響き、労働者は皆その鐘を合図に仕事を終える。

 ここ一年、そんな早い時間に帰ったこともなかったのだが…

「クラウディア、今日は頑張ってくれてありがとう。また、明日」

 アランにそう言われて、クラウディアは帰り支度をする。


(今から帰れば本が読める…何か、新しい本はあったかしら?)

 そう思い返しながら、『そうだ!今日は本屋さんに行ってみよう』と思い立つ。

「クラウディア、送って行こうか?」とアランが声を掛けてくれた。

「アラン、まだ外は明るいので大丈夫ですよ。それにちょっと寄りたいところもあるし…」

 そう答えると、アランが

「どこかへ行くの?」と聞いて来た。

「早く終わったので、本屋さんに行きたいんです」

 と言うと、

「君は本が好きなの?一緒に行っていいかな?」

 と聞いて来た。

「エッ?…お好きにどうぞ。本はみんなのものですし…」

 ちょっと慌ててしまい、変なことを言ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る