こじらせ錬金術師の執着愛

銀黒

第1話 そうですか、お母様が…

「君とはうまくいかない、って母が言うんだ……」

 その言葉にロシフォール錬金術研究所の研究助手、クラウディア・クラウカスは絶句した。


 柔らかい金茶の長い髪を頭の後ろで1つに結え、意志の強そうな深い海色の瞳が眼鏡の下で揺れた。彼女は化粧っ気のないキメの細かい白い肌を怒りで赤く染め、薄い桜色の唇を噛み締めた。



『将来は結婚を前提にお付き合いをしてほしい。君のその頭脳と、僕の頭脳を足して2で割った子ができれば、この世界はもっと良くなると思わないかい?』


 一年前、クラウディアは、同研究所の副研究所長、ラモーン・ルッソにこう口説かれて交際を始めたのだ。

 ラモーンは黒い前髪で、冷え切った北の海のような暗い藍色の瞳を隠すように伸ばした陰気な感じの男だったが、頭の良さだけは抜きん出ていた。そのおかげで若くして副所長に抜擢され、助手付きのラボを任されているのだ。



 交際と言っても、夜遅くまで研究室にこもるラモーンに付き合い、研究助手として手助けをすることがメインで、食事さえ取るのを忘れて研究に熱中する彼のために食事を差し入れたり、何日も風呂に入らず着替えもろくにしない彼の着替えを届けたりと、誠心誠意尽くして来たのだ。

 それが、この母親の一言で全てが崩れ去った。


(って、マザコンかっ!)

 クラウディアは目の前で言い訳をするラモーンに、心の底から言いたかった。

 しかし、口から出たのは

「そうですか、お母様が……そうおっしゃるのですね。私がラモーン様を尊敬する気持ちに変わりはないのですが、ラモーン様がお母様と同じようにお考えになるのであれば、致し方ありません……」


 クラウディアは研究所の白衣を脱ぎ捨てると、深夜の街に飛び出した。


(今まで、素晴らしい発想力と緻密な頭脳で私を魅了して来た方が、たかだか母親の一言で、手の平を返されるとは……)

 クラウディアはいたたまれなくなって、研究所を飛び出して来てしまった。

 2人で過ごした1年間を思うと、何だか無償むしょうに切ない思いが込み上げて来る。ラボの中で研究まみれの1年間だったが、それなりに充実していたと思う。


 ラモーンが新しいことを発想し、それを実現するためには何が必要か、別の切り口はないかなど、いつも2人で話し合った。世界がどんどん広がって楽しい瞬間がいくつもあった。


(それなのに……)


 ロシフォール錬金術研究所は街中まちなかに在るとはいえ、今はもう夜中だ。

 いつもはラモーンが下宿まで送ってくれるのだが、飛び出して来てしまった手前、戻るわけにも行かない。たった一人で帰るのは心細いが仕方がない。


 途中、夜中までやっている酔客の多い飲食店や、怪しげな娼館の側を通らなければならない。コートの襟を握りしめて足早に通り過ぎようとすると、折り悪く店屋のドアが開いて、酔った数人の男たちが出て来た。


「おーい、嬢ちゃん! そんなに急いでどこ行くんだい? 俺たちといい事しようぜ~」

 と早速捕まってしまった。

 三人に周りを囲まれて、逃げ場がない。

「う、家に帰るんですっ! 通してください!」

 と言っては見たものの、酔った男たちはイヤらしい目を向けてとうせんぼして来る。

「俺たちと付き合えよ~、気持ちいい事してあげるぜ~」

 と、腕を掴まれた。

 その時だった。

「君たち、その娘は嫌がっているじゃないか。手を離したまえ!」

 と割って入った者がいた。


「なんだ、てめぇ?」

「邪魔するとタダじゃおかねえぞ!」

 酔客たちは声の主に突っかかって行く。

 声の主は、クラウディアを掴んだ酔客の腕を捻ると、足払いした。

「ウァッ!」

 男は叫んで地面に転がった。


 その隙に声の主はクラウディアの手を握ると走り出した。

「君、こっちへ!」


 クラウディアは声の主に手を引かれて、一緒に走り出した。

 しばらく、走ってもう誰も追って来ないと確認すると、手を離した。

 クラウディアは息が上がっている。ハァハァ言いながら、

「す、すみません……、ありがとう、ございます……」

 とお礼を言った。


「こんな遅くに何故君は歩いているのかな? 連れもなしで……」

 街灯に照らされた声の主は、明るい水色の瞳に金髪の鼻筋の通った美青年だった。

(あ、この人、私知ってるわ……)

 クラウディアはその青年に見覚えがあった。彼を職場であるロシフォール錬金術研究所で見かけたことがあったからだ。だが、誰なのか名前を知らなかった。


「私、ロシフォール錬金術研究所で助手をしていますクラウディア・クラウカスと申します。仕事で遅くなってしまい、帰るところでした」

 そう言うとその青年は僅かに目を見開いた気がした。


「ロシフォール錬金術研究所……いつもそんなに遅くまで仕事をしているのかな?」

「はい、私は副研究所長のラモーン様の助手をしております。いつもはラモーン様が送ってくださるのですが、今日はちょっと……」

「……そうか。僕はアラン・フレデリック・ロシフォール。ロシフォール錬金術研究所は私の祖父のロシフォール伯爵が作った研究所だ。こんな遅い時間まで女の子を働かせるとは……」

 

 クラウディアは頭の中で、記憶のパズルがぱちっとはまった感じがした。

(そうだ、現在のロシフォール錬金術研究所長エルウィン様の弟君だわ!)


「ロシフォール様、女の身で働かせていただけているだけでも感謝しております。ラモーン様をお咎めにならないでくださいませ」


「……そうか。でも、君を一人で返すのは感心しない。今日は僕が送って行こう」

「ありがとうございます」


 そうして、クラウディアは送られて無事に家路についた。

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