第32話 魔導師リューンは、聖女の寝顔に理性を失う
「……ん?」
――聖なる光。
それは、リューンの身体を包み込んで癒し、解熱を促した。
患者自身の治癒力を極限まで高めてくれる、圧倒的な癒しの力。
完全なものではないが、これが出来る人間は世界で一人しかいない。
「アルカさん?」
ぱちり……。目を開けたリューンは高熱を出した後遺症から、自分の傍らにアルカがいることが、しばらく理解できなかった。
(これは一体……?)
寝かされているのは、自室の広い寝台ではなかった。
質素な鏡台と、古ぼけた机と椅子だけの庶民よりも地味な部屋。
多分……いや、絶対ここはアルカの私室だ。
(ああ、そうか。私が倒れてしまったせいか)
彼女はあの庭から距離のあるリューンの部屋には行かずに、近い自室に連れ込むことにしたのだろう。
リューンは、アルカの手によって運ばれてしまったのだ。
(情けない。何たる醜態だ)
しかも、疲労困憊のアルカに看病までさせてしまうなんて……。
「アルカさん」
指一本触れないと契約していたが、これはやむを得ないことだと、リューンは自分に言い聞かせて、寝台の端に突っ伏しって眠っているアルカにそっと触れた。
「私はもう平気ですから、君の方こそ、ちゃんと休んで」
窓の外は、まだ暗い。
少しでも横になって、休んで欲しかった。
しかし、軽く揺さぶってみても、アルカは目覚めなかった。
(疲れているんだな)
リューンは一度寝台から下りて、彼女を抱き抱えてから、寝台に横たえた。
――が。
「うーん」
まるで、愛玩動物を抱えるかのように、アルカはリューンの首に手を回して離れなくなってしまった。
「えっ、ちょっと、アルカさん。駄目ですよ。わっ!?」
未だ体に力の入らないリューンは、そのまま、アルカを押し倒すような形で、寝台に落ちてしまった。
しかも、着替える時間がなかったのか、よりにもよって、アルカは露出の多いドレス姿のまま。リューンは彼女の胸の谷間に顔を突っ込んでしまっている格好だ。
この展開は非常にまずい。
「これは、その……すいません」
とっさに謝罪してみたものの、アルカから返事はない。
依然、健やかに眠ったままだ。
その口元が薄ら微笑していて、幸せそうで、間近でそれを眺めていたリューンはごくり……と、息を呑んでしまった。
(可愛い)
触れたい。もっと、ちゃんと自分のものにしたい。
(駄目だ)
――聖女は
それはアーデルハイドの一部の人間に引き継がれている真実。
(知っているだろう? リューン)
脳内で、リューンの理性が必死に止めている。
――国王との結婚は白い結婚。
正式に結ばれるのは、役目を果たした後。
今回は魔神が覚醒しているので、その後ということになる。
……だから、師匠は当初アルカのことを、公にするのも悪くないと考えていた。
王に嫁いでも時間稼ぎは出来る。
でも、リューンは頑なにそれを認めなかった。
(アルカさんを見つけたのは私だ)
現在の聖女は魔導師同様、国王の影のような存在。
国王はリューンの敵だ。
彼女に、そんなものになって欲しくない。
……けど。
(先程の……アルカさんの懺悔)
彼女は無意識のうちに、自分が聖女だと気づいているのではないか?
……だとしたら?
(使命なんて一生知らなくていい)
――絶対に、あんな
『お前に、彼女に無断で聖女の資格を剥奪するような真似、出来るのかのう』
師匠の高笑いが、病み上がりの頭に響く。
(黙れ。クソジジイ)
ぷっつりと糸が切れたかのように、リューンは全部がどうでも良くなってしまった。
顔を上げると、忙しくなく外套を脱ぎ捨てた。半裸になって再びアルカにのしかかる。
――母と乳母の未練も……。
――魔神の覚醒も……。
他国とのしがらみや、他の魔導師たちとの因縁も知ったことか。
……今、この時にアルカをものにしないでどうする?
たとえ、彼女がリューンを恋愛対象として見ていなかったとしても。
この行為が彼女の善意に付け込むことになったとしても。
(ずっと触れたかったんだ)
子供の頃から、狂ってしまいそうなほど、彼女に触れてみたかった。
「アルカさん……私はずっと君だけを」
頬に触れて、可憐な唇をなぞる。
このまま欲望に流されてしまおうと、彼女の首筋に顔を埋めようとした時……。
「あ……れ? リューン様?」
ぼんやりと、彼女が目を開けたのだった。
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