第19話 リューンとリューベルン

 昔から師匠は、事あるごとにリューンに言った。


「そなたを助けたのは、偶然、わしと名前が似ていたから。ただの気まぐれじゃ。だが、そなたを救おうとして、自らの身を差しだした者たちがいることを努々忘れてはならぬぞ」


 師匠のお小言を食らうのは、大抵リューンがアルカに対して、行動を起こしたいとうずうずしている時だった。

 師匠の言い分は、もっともだ。

 敵は強大で、抗うためには、準備が必要なのも理解している。


 ――けど。 


(これじゃ、死んでいるのと同じだ)


 まるで、全身を鎖で拘束されている感じ。

 アルカを助ける力をリューンは持っているのに、指を咥えて、彼女がされている仕打ちを傍観するだけの日々。


 ――アルカが継母の看病まで請け負って、体調を崩してしまった時。


 リューンは腹を括って、彼女の前に出て行こうとした。

 だが、結局師匠に捕まってしまい、小屋から出られないように結界まで張られてしまった。

 たまに盗み見る程度しか、アルカと接触することが叶わなかった日々。

 

 ……もう無理だ。


 三年かけて、結界を解く魔法を覚えたリューンは、師匠を斃して、アルカのもとに行こうかと本気で悩んだ。

 ……が、その時になって、ようやく師匠はリューンの軟禁先の小屋に顔を出したのだ。


「少しは、頭も冷えたかの?」

「貴重な時間を、どうしてくれるんです?」

「……ふむ。少しも、冷えていないようじゃ」

「私だって、師匠の仰ることは理解しています。ですが、私はもう二十歳を越えていますし、彼女だって……。幸い、この三年、アルカさんが結婚することはありませんでしたが、このままでは二人して老いて無駄死にするだけです」

「まずは魔神をすべて封じる。一柱はすでにそなたと儂で封じた。残り六柱じゃ。もう少し辛抱せい」

「その一柱を封じてから、十数年経っているのですよ。六柱の魔神が覚醒して、すべて封印するまでに、一体どれほどの月日が必要になってくるのですか? いっそ、魔神とやらをこちらから叩き起こして、先んじて封じる方法はないのですか?」

「そんな方法があったら、とっくにやっとる。覚醒を促すことは禁忌。そなたも知っての通り、魔神の封印は「神」を時空の狭間に繋ぎ止める方法を取るのだ。強引に封を解いたら、この世界と違う世界が繋がって、めちゃくちゃになってしまう」

「しかし!」

「では、何だ? そなたは、一体、聖女をどうしたいのじゃ?」

「私は彼女を自由にしてあげたいのです」

「自由にするだけならばな……」

「師匠。身体的な虐待がなくても、彼女の心は死んでいきます。アルカさんは、私が口先だけの男で、自分の願望が作りだした存在だと信じこんでいるんです。「助ける」って、私が何度も言っているのに、実行しないからですよ」

「リューンよ。そこから逃げ出さないことこそ、彼女自身の選択ではないのか?」

「彼女にそれを選択させないよう、皆が仕向けているんです」


 確かに、アルカは拘束されているわけではないから、強制ではない。

 だけど、リューンは知っていた。

 傍からは分かりづらい、束縛の言葉の数々。

 父親は少しマシな方だが、他の家族は人の皮を被った魔物だ。

 彼女が自分の要望を告げる前から、先回りして、彼女の希望を否定し続けた。

 アルカから自信を奪い、一つ一つ退路を断っていき、年齢を重ねさせて、自分にはこれしかないのだと思い詰めるように……。

 もしも、ここでアーデルハイド側から聖女であることを告げられたら、望んでもいないのに、アルカはそれが自分の役目だから仕方ないと、全うしようとするだろう。

 皆がそういう「役割」を彼女に求めるからだ。


 ――こんなのってない。


「だが……の。聖女であることを伝えるでもなく、アルカ殿を攫って、それで、そなたは彼女の夫にでも収まるつもりか? 昔、あんな目に遭ったそなたが、彼女に無断で聖女の資格を剥奪するような真似、出来るのかのう? その罪悪感に耐えられるのかの?」

「私は……」


 出来る……と、断言したかった。

 そのために、努力して得た力ではないか……と。

 けれど、リューンとて知っている。

 四百年前、王が魔神を召喚する以前は、アーデルハイドにおいて、「聖女」は人々にとっての希望だった。

 不測の事態の時、聖女の能力は絶対不可欠だ。


「まあ……。そなたの焦りも分からぬでもない。本格的に魔神が覚醒すれば、それこそ陛下も今以上に聖女捜しに躍起になるだろうし、魔導師たちも動くはずじゃ。聖女が誰かに発見されるのは時間の問題。サウラン領は現在ミスレルの領地ではあるが、あの王のことだ。強引に妻として迎えるだろうな」

「そんなことになるくらいなら、私は一人でも、アーデルハイドを滅ぼしますよ」

「ほほほっ。血気盛んじゃのう。気概は買うが、さすがに一人では滅ぼせんぞ。如何にそなたが四百年に一人の逸材だったとしても。魔神の加護は人知を越えている」

「……師匠」

「一人で滅ぼすのは最終手段でもいいじゃろう。その前に、このふざけた魔神との契約を解除するべきではないのか? 儂だったら、こちらを優先する」

「しかし、そんなことをしているのが陛下にバレたら?」

「なに、バレなければ良いのじゃ。密かに進めてはいたのだが……そうじゃな。そなたが慎重に事を進めることができると約束するのなら……。彼女に会っても、情に流されず、己がレトであることを秘密にできると言うのなら……。儂に秘策がある」


 そう得意げに言って、漆黒のローブ姿に白い髭の老人は、床に膝をついたままのリューンに、ぬっと顔を近づけたのだった。

 深くかぶったフードの奥で、緑色の瞳がにっこりと笑っていた。


「そなたは、今からリューベルン=ウィルヘルム。……儂になるのじゃよ」

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