第17話 耄碌どころか、キレキレのリューン

 ――最近のアルカは「魔術」というものが、本当に存在しているということを、認めざるを得なくなっていた。


「よっこらしょ」


 足をばたつかせながら、窓からリューンが執務室に入って来る。

 ちゃんと、扉から入ってくればいいのに……。

 ――などと、世の常識を口にしないのは、二人の立場をよくよく考えた結果だった。


「今はまだ微妙な時期ですからね。私がここにいることがバレたら、お互いロクな目に遭わないでしょう。あくまでも内密にしておきましょうか」


 初めて執務室に訪れた時、リューンはそう言っていた。

 ちなみに、ここは屋敷に隣接している仕事棟の最上階。

 木登りしたところで、届く高さではない。

 リューンは人気の少なくなった夜半。魔術で窓まで接近して、室内に入って来ているのだ。


「本当はそちらに直接転移した方が早いんですけど、急な来客で君が応対している場合もありますからね」

「……はあ」


 毎回、同じ説明をされているのだが、アルカは未だに慣れなかった。

 子供の頃からの夢の続きを見ているようで、まったく現実味がない。


「魔法は万能ではないので、毎日の学びと修練は必要です。それは領主の仕事も同じではないかと思います。私のような老いぼれでも、君の役に立つことが出来れば、嬉しいです」

「すいません。私の出来が悪いばかりに……。お手数をおかけしてしまって」


 二人の秘密の勉強会が始まって、すでに七日が経過していた。

 どうして、リューンがアルカの窮状を知っていたのか不明だが、彼はアルカが青白花セイレーンを持って会いに行った日、夕食の席で、領主の仕事を手伝いたいと、申し出てきたのだ。

 アルカはやんわり断ろうしたものの、今回はリューンが譲らず、仕方なく、執務室に忍んで来ることが出来るのなら……と条件を出したら、リューンはあっさりやってのけてしまった。以来、毎晩こんな感じだ。


「出来が悪い? この膨大な資料と書き込みは、君の努力の賜物でしょう?」

「え、あ、ちょっと!」


 机の上に山のように積まれた、大量の書籍とアルカが作った資料。 

 アルカは赤面しながら、慌てて隠そうとしたものの、無駄な抵抗だった。


「なぜ? 恥ずかしいものでもないのに……」

「恥ずかしいですよ。物覚えの悪い、私の頭の悪さを証明するモノと化しています」


 介護に必要な薬草の名前などは、すぐに覚えられたアルカだが、法律や税金に関することなどは、いくら読みこんでも頭に入ってこない。

 情けないほどに……。


「どうして、君はそんなに自分に厳しいのでしょうか。出来が悪いとか、頭が悪いとか……。ただ生真面目なだけじゃないですか」


 リューンが毒々しい気配を纏って、椅子に座るアルカを見下ろしていた。

 やはり、この人の情緒は掴めない。

 今の彼はとんでもなく怒っているようだった。


「この大変な時に頑張っている人を、見下している奴こそ、余裕のないヘタレ野郎なんです。そんな奴がいたら、速攻で私に仰ってください。君の目に二度と映らないよう、善処しますから」


 ――善処って?


 穏やかな口調ではあったが、内容は辛辣そのものだった。


(……オジイサマ、かなり怖いんだけど)


 耄碌どころか、キレキレだ。


「私も領主の仕事については門外漢なので、アルカさんと共に学んでいかなければなりませんが、アーデルハイドの国王陛下からはすべて一任されていますので、ゆっくりやっていきましょう。まずはお父上の仕事の記録を紐解いていけば、何が正解なのか、おおよそ分かるはずです」


 アルカの父が揃えていた資料を、書棚から無造作に取り出したリューンは、それをぱらぱら読んですぐに閉じた。

 ここに訪ねて来る度、リューンは父の遺した資料や日記を流し読みしている。

 てっきり、目を通しているだけで、覚えてなんかいないだろうと、思っていたのだが、そんなことはなかった。


 リューンは見たものすべてを、そのまま記憶していたのだ。


 ミスレルの法典を、序文からすらすらと唱え出した時には、アルカは眩暈を覚えたものだった。


 ――多分、このオジイサンは……人間じゃない。


 そして、彼は代官や騎士たちに対する対応、必要な振る舞いを、アルカに徹底的に教え込んでくれた。

 リューンと共にいると、毎回、アルカは自分の不甲斐なさを思い知らされる。

 けれど、それで打ちひしがれていると、察したリューンが自尊心をくすぐるような言葉で慰めてくるのだ。


(落ち込むことすら出来ないわね。……父様)


 父が使っていた大きな領主の革椅子に気合を入れて座ったアルカは、リューンが重要だと教えてくれた資料に目を落とした。


 ――と。


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