第16話 本当の姿?

「叔父様から聞いたのなら、ご存知だと思うのですが。……そうですね。確かに、子供の頃から、いろんなことがありました。母が亡くなって、祖父母が立て続けに伝染病に罹って……。皆、恐れて祖父母に誰も近づかなくなってしまったんです。私もつい「だったら、自分が看る」って、依怙地になってしまって。そしたら、どういうわけか、私だけ感染しなかったんです。普通は一月も経たずに死んでしまうのに、祖父母も動ける程度に回復して……。不思議でしょう?」

「それは、君が聖……」

「えっ?」

「いや」

「そうしているうちに、ドリスを追って都で暮らしていた継母が心臓を患って、ここに帰ってきて……。だけど、あの人、気位が高すぎて、使用人たちを自ら遠ざけていってしまったんです。……とはいえ、誰も看ないわけにはいきませんから」


 アルカは微苦笑しながら、リューンの肩越しに広がる景色に目を細めていた。


「あれは、苦労……だったのか? 私にもよく分かりません」


 祖父母の面倒を看ることも、継母の看護も、他に何も出来ないアルカが好きでしていることだと、みんなから言われていたし、アルカもそうなのだと、思い込もうとした。

 でも、一方で、もっと学校に行って学びたかったとか、遊びたかったとか……。

 毒々しい恨み言が沸いてきてしまうのも事実だった。


(父様が生きていれば、そういう気持ちも吐きだせたかもしれないわね)


 ……けど。

 父は、もういない。

 いまだに現実味はないけど、視察先であっけなく死んでしまった。

 最も近しい家族の死に目にだけ、アルカは会えなかったのだ。


「リューン様。お分かりになりますか? ここからでも、薄らとだけ見える庭。私も最近行っていないので、近くで見たら、草が伸び放題になってるかも……ですけど」

「ええ、はい。分かります」


 そうだろうか?

 同年代のように接してしまったが、八十歳の老人にこの距離が見えるはずがない。


(きっと、ほとんど見えてないんだろうな)


 それでも、リューンが見えると言うのなら、アルカはそれで良いような気がした。


「私、昔から悲しいことがあると、あの庭に逃げ込んでいたんです。絵本で読んだ魔法使い「レト様」を別人格のように脳内に作りだして、会話なんかしたりして。変ですよね?」

「変じゃないですよ」

「そ、そんな、真剣にならなくても」


 あまりにも、リューンが激しく否定するものだから、アルカは彼が可愛らしく見えてしまった。


(六十歳近く年上の人に、私、失礼だわ)


「その本はアルカさんの手元には、もうないんですよね?」

「ええ。ヒルデに持って行かれてしまって、なくなってしまいました。でも、子供の頃、擦り切れるほど読んだので、よく覚えています。……幽閉されていたお姫様を、レトという魔法使いが助けてくれて、王子様に引き合わせてくれるんです。それで、二人は皆に祝福されて結婚式を挙げる。ありきたりな内容なんですけど。私はそれが好きで、一人で登場人物になりきって遊んでいました」


 遊んだ……というわけではなかったかもしれない。

 レト様に話していた内容は、深刻なことばかりだった。

 こんな人生嫌だと、今すぐ消えてしまいたいと訴えるアルカを、レト様は必死に宥めてくれた。


『君は絶対に自ら命を絶たないと誓いましたよね? だったら、それを守ってください。いつか、必ず私が君を迎えに行きますから』


 あれが脳内の自分だと思うと恥ずかしさで一杯だが、懐かしくもあった。


「あの、リューン様。こんなこと言ったら、失礼かもしれませんが、貴方は「レト様」に似ているんです。正直、私は結婚とか、未だに実感がわかないのですが、でも、今は貴方がここに来て下さって良かったって、本当にそう思っているんですよ」

「……アルカさん」

「だから……。いつか、貴方がその分厚いフードを取ってくれる日が訪れたらいいなって思います。やっぱり、私は表情が見えた方がいいので……」

「……見たい……ですか? アルカさんは」

「えっ?」


 ごくり

 リューンが息を呑むのが分かった。


「本当の私の姿を?」

「ええ。出来ることなら」


 ――なぜ?

 リューンは、その程度のことで、並々ならぬ緊張感を漂わせているのだろう?


(何? 私、リューン様に究極の選択を迫るようなことを言ってしまったの?)


「アルカさん、落ち着いて聞いてください」

「何でしょう?」

「実は……」


 言いながら、彼が仰々しく真っ黒いフードに手をかけたので、アルカはとっさに身構えてしまった。


(何? 禿げてる……の?)


 だから、フードを取りたくないのか?

 別にフードの中身がツルツルの禿げ頭でも、アルカは構わないのだが……。


(まだら禿げ……とか?)


「実は……私は」

「はい」

「私は……」


 リューンが、口にするのをほんの少し躊躇った瞬間……。


 ――ゴーン、ゴーン。


 教会の鐘の音が、激しく響き渡った。


(やだ。いけない!)


 昼休憩の時間が終わってしまう。

 アルカは、慌てて立ち上がった。

 遅刻は厳禁だ。

 これ以上、皆から莫迦にされる隙を作りたくはなかった。


「えっと、じゃあ、リューン様。私、行かないと! お話の続きは、夕食の時にでも!」

「……あっ、はい」

「また後ほど!」

「ええ、後ほど」


 拍子抜けしているリューンをその場に残して、アルカは顔面蒼白のまま、部屋から駆け出して行った。


 ――それから、充分な間を置いて……。


「あー……。危なかった」


 リューンは膝から崩れ落ちて、床に突っ伏しっていた。


「あははっ」


 背後では、それを盗み見していた弟弟子が大笑いしている。


「……脆過ぎるよ。兄様の理性」


 十五年間、想っていた人が目の前にいる。

 リューンの我慢は、瞬く間に限界を迎えようとしていた。

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