第13話 旦那様は、頭の具合が悪い?

「リューベルン様のお部屋の前を通った時、何やら誰かとお話している声がしましてね」


 マリンはお茶を執務室に運びがてら、アルカの耳元で声を潜めて報告してきた。


(やっぱり……)


 ――ということは、先日彼の部屋の前で聞いた声も、アルカの幻聴ではなかったということだ。


「知っているわ。私も聞いたから」

「あら、お嬢様も? 私以外にも聞いたことがある侍女がいるみたいだから。やっぱり、誰かと話していらっしゃるとか?」

「さあ、どうなのかしら」

「頭の問題というわけじゃないですよね?」

「ま、まさか……。今のところ、リューン様は誓約書の通りにしてくださっているわ。部屋に籠ったまま、一切干渉して来ないし、借金も本当に工面して下さって。身元も魔導師というのは確認できなかったけど、侯爵というのは間違いなかったのよ。所作も綺麗だから、貴族であることは間違いないし……」


 ……なんて。

 マリンが指摘しているのは、そういうことではないのだろう。


(頭のことよね)


 リューンがこの屋敷に客人を招いたという報告はないので「独り言」の可能性が高い。

 そもそも、マリンがアルカにそれを告げに来るということは……。


(屋敷中の人間が噂しているから、確かめて来い……と)


「ご病気なのかしら……」


 朝夕の食事の際、リューンはアルカに普通に話しかけてくるので、まさか脳が衰えてしまっているとは、想像もしていなかった。


(でも、お祖父様も亡くなる一年くらい前から、急にお金が盗まれたと仰って、そのうち、私のことも分からなくなってしまったのよね)


 結婚して一カ月ちょっとで、リューンは一人では生活できない状態になってしまったのかもしれない。……だとすると、大変だ。

 実質的な領主業もしているアルカが、一人でリューンの面倒を看るのは不可能だ。


「分かったわ。私、もう少しリューン様と話してみる」

「お嬢様。私はあくまでも魔法の力だと思っているんですよ。でも、他の者が早期に気づければ、治療法もあるから……と、お嬢様に伝えて欲しいって」

「そうよね。言いづらいことを伝えてくれてありがとう。マリン」


 にっこり微笑みかけて、マリンには強がってみせたものの……。

 父の執務室に一人ぼっちになると、アルカは机に突っ伏しったまま、固まってしまった。


(もう無理。介護生活から、突然領主生活。これだけでも一杯一杯なのに、今度はリューン様がご病気だって?)


 ドリスのもとに行かずに済めば、あとは何とかなると思っていたが、そう簡単な話ではなかったのだ。

 もちろん、リューンの提示した条件は、素晴らしかった。

 ミスレル人との間に角が立たないように、自分は一切表舞台に出ず、アルカに領主としての全面的な権限を持たせるなんて、なかなか出来ることではない。


(とても、ありがたいことだって、感謝はしているのだけど。でも……風当りが強すぎて)


 可哀想なのは、領民たちの方だ。

 それは、アルカも重々承知している。

 何しろ、ある日突然サウランはアーデルハイド領になってしまい、挙句、領主まで急死してしまったのだ。

 しかも、その後継者がよく分からないアーデルハイド人で、八十歳の老人。

 実質的な領主がひきこもりだった娘・アルカという時点で、皆が混乱するのも無理ない。

 けれど……。


(身内から冷たい目で見られるのは、辛いわね)


 それもこれも、外面の良いドリスのせいだ。

 彼がサウランに戻ってきて、領主になってくれると勝手に思い込んでいたらしい、代官やサウラン直属の騎士は、アルカの存在自体に反発を抱いているのだ。


(私が領主の座を手に入れるために、傀儡しやすい死にかけの老人を雇った……だなんて噂まで流れる始末。私がアーデルハイドの間者だなんて……)


 どうして、いつもアルカだけが悪者になってしまうのだろう?


 ――政略結婚をすることで、この土地を護った。


 アルカの意思はともかく、そのことは事実なのに。

 きっと、主張したところで、誰も分かってくれないのだ。


(私に人望がないから……)


 それを痛感する出来事ばかり、日々起こっていた。


 ――今日も。


「まったく……。お父上の後を継ぎたいとお思いなら、もう少し勉強なさって下さらないと」


 始業時間と同時に現れた騎士団長と副団長が揃って腕組みをして、アルカを睨みつけていた。

 まるで、罪人の取り調べのようだった。

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