第10話 魔導師リューンは、絶対に聖女を国王に渡さない
『まったく。死んだ領主は扱いやすい男で良かったが、長男は駄目だな』
『ええ。ドリスは亡くなった領主の実子ではなく、ミスレルの有力貴族の娘に婿入りしています。……にも関わらず、奴はあの土地のことを調べているのですよ』
ドリスの考えそうなことなんて、すぐに分かる。
もう十五年も前から、リューンは「レト」として、アルカからドリスの人となりを聞いていた。
そもそも、実の母親の最期を看取ることもせずに、葬儀だけのこのこ来て、悲嘆にくれる息子を演じるような男が血の繋がりもない義父の葬儀のために、遠路遥々やって来るはずがない。
サウラン領を手放すと公言しつつ、アーデルハイド側の様子を探りに来たに決まっている。
(ミスレル国王に、使われているのかもしれないな)
アルカも義弟のことを信用していないようだったが、さすがにそこまでするとは思ってもいないようだった。
『我が国の高位貴族であれば、土地の因縁については知っているだろうが、勝手に嗅ぎ回れて、ミスレルに痛くない腹を探られるのも、嫌だな』
『ええ、実際、我が国は条件付きとはいえ、魔神からの加護を受けていますからね。ミスレルも同じことをしようと企む可能性もあります。ですから、私が亡くなった領主の長女と婚姻するのが手っ取り早いと思ったのです』
――「婚姻」という慣れない言葉に舌が滑りそうになりながら、リューンは懸命に八十歳の師匠・リューベルンを演じていた。
『しかしだな、領主の娘は追い詰められていたとはいえ、お前と結婚なんて青天の霹靂だったことだろう?』
『それは、まあ……。彼女の弱みにつけこみまくりましたし……ね。でも、しょせん、契約婚のようなものですから。我が国にも利があり、彼女も得をするのですから、このような老いぼれが婿であったしても、当面は我慢してくれるでしょう』
『我慢……か。嫁ぎ遅れたとはいえ、お前が婿では、さすがに気の毒ではあるがな』
同情的な言葉の割に、トラウセンの声は弾んでいた。
この男が人の不幸を好む点は、アルカの義弟のドリスとよく似ている。
(まあ、いい。精々、そういうことにしておいてくれたら)
この男の興味を引かないよう、アルカのことを伝えることが出来れば、リューンはそれで良かった。
(いっそのこと、この男が伝承のことなどすべて忘れてくれたらいいのに……)
しかし、女性に関することだけは、この男も抜け目がないのだ。
『そういえば、リューベルン。聖女の方は、どうなっているのだ?』
『どう……と申しますと?』
リューンは耄碌したフリをしたが、無駄な抵抗だった。
『惚けるなよ。魔神の覚醒が近づいた時、聖女も目覚めるって、伝承にはあるだろう?』
『……そうでしたね。伝承の中では』
適当に相槌を打ちながらも、内心動揺しまくっていた。
(やっぱり、忘れてはくれないか。いや、むしろ、それしか興味がないのではないか? この女たらしが!)
『陛下』
リューンはわざと神妙に、トラウセンに告げた。
『すべて陛下の仰るとおりです。……ですが、それはあくまで歴史上、そういったことも「あった」ということです。実際、聖女が現れることなく、すべての封印が完了した例も多数存在しているのです』
『では、今回もそうなるとお前は言いたいのか』
『その可能性が高いということです』
『何だ。つまらん』
『まあ。そう、落胆なさらずに……。聖女なんて存在しなくても、陛下には素晴らしい婚約者様がいらっしゃるではありませんか?』
『しかしな、もしも聖女が存在しているとしたら、彼女は余の妻になる存在なのだぞ?』
『ええ。もちろん、そうですが……』
好々爺のフリをするのも限界付近に来ていたが、リューンは何とか耐えていた。
『陛下もお気に留められているようですし、私も仕事の傍らに、聖女のこと探してみますよ。良き報告が出来るよう努めますので、少々お待ちください』
『大切なことだ。頼んだぞ』
『お任せを』
薄ら寒い笑顔で言い切った直後、リューンは、ぷつりと術を切断してやった。
「あの、あの、あ……のっ」
怒りを溜めこむだけ溜めこみ……。
「イカれた酔っぱらい野郎がっ!」
リューンは烈火の如く、叫んだ。
はあはあと、息が上がって、全力疾走した後のように、肩が上下する。
この時間は誰も傍にいないだろうと高を括っていたが、もしも、誰かに聞かれていたら、益々危険な老人認定されてしまうかもしれない。
それでも、罵倒せずにはいられなかった。
きっと、トラウセンはリューンが怒りのあまり、意図的に術をぶん切ったとは思ってもいないだろう。
(何が妻となる女性……だ)
ふざけるな。
冗談ではない。何が「聖女」だ。
王妃候補以外にも、大勢の女性に手を出している分際で……。
あんな男に、大切なアルカを渡してなるものか。
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