第8話 結婚の条件

「そうだ。口約束では信用できませんよね。書面にも認めてきましたから」


 そう断ると、彼は懐から折り畳んで持っていた数枚の紙を広げて見せてきた。

 達筆な文字で、今、口にしたことが簡潔に書かれている。


(本当に、借金のことご存知だったのね)


 すべて、アルカにとって都合の良いことばかりだった。

 しかも、一番彼が欲しているだろう「介護」に関しての言及が一切ない。


(これは、現実?)


 むしろ、この結婚によって、何の利点がこの老人にあるというのだろう?

 介護こそ、リューンの結婚の目的ではなかったのか?


(私……美人じゃないのに)


 美醜でいうのなら、ヒルデの方が女性らしくて華やかだ。

 アルカは長年の介護生活で、すっかり所帯染みてしまった。

 髪は白髪のような銀色。日増しに精彩を欠いていく群青色の瞳。しかも、慢性的な寝不足で、目の下の隈も際立ってしまい、年齢より老けて見えると、先程、ヒルデから指摘されたばかりだった。

 リューンの話が本当で、彼がアーデルハイド国王に直言できるほどの高い地位にいるのであれば、お気に入りの女性を娶るくらい簡単なのではないか?

 

「待って下さい。リューン様。これでは貴方が私と結婚した意味がないです」

「意味も何も。私はこのサウラン領が気に入って、余生をここで過ごしたいと思っていたのです。偶然、陛下からサウランのご領主が亡くなったことを伺いまして。何か私でも、お力になれないかと思い、縁談を思いついたのです。他に良い手立てを考えられたら、良かったのですが……」

「とんでもない」


 それはリューンの本音なのだろうか?

 それとも、この老人は善意の塊で出来ているのだろうか?


「リューン様。これでは……私が心苦しいです。何か貴方から私に「条件」などはないのですが?」


 たとえば、介護とか……とは、さすがにアルカからは失礼で、口にすることが出来なかった。――しかし。


「特にありませんね」

「ええっ!?」


 即答するから、かえって怖かった。


「で、ですが、これでは、あまりにも……」

「君が君らしくいてくれたら、私はそれで良いのです。大丈夫。私、魔導師ですから。体の問題くらい自分でどうにかできますよ」


(読心術?)


 完全に、アルカの思惑はリューンに見透かされてしまっている。


「でも、そうですね……。アルカさんがそこまで仰るのなら、お言葉に甘えて一つだけ」 

「一つ……だけ?」


 まさか、その一つがとんでもないことだったらどうしようと、一瞬アルカは慌てたが、予想を飛び越えて、なんてこともなかった。


「この屋敷の中で一室だけ、私に頂きたいのです」

「……一室で、宜しいのですか?」

「はい。狭くても、物置きでも、何でもいいのです。私はそこで寝起きして、基本的にそこに籠っています。ただ、その部屋には誰にも立ち入らないで頂けると助かります」

「私も立ち入り禁止ということですか?」

「そうですね。一応、特殊な生業をしているので、室内には取り扱い注意のモノを置いておきたいのです。君を危険に晒したくないので……。だから、それだけ守って下されば……」

「分かりました」


 ――謎。

 空き部屋なら大量にあるので、一室とは言わず、何部屋でも提供したいくらいだが、取扱い注意のモノとは何なのだろう?

 危険に晒されてしまうようなものが、屋敷内に存在しているというのは、どうにも怖い感じがするのだが……。


「魔導師って……何をされるのですか? 私、不勉強で申し訳ないのですが、今日初めて聞いたものでして」

「知らなくて当然ですよ。アーデルハイドでも魔導師という肩書きが通用する人間は、ごく一部ですからね。……でも、君はよくご存知だと思いますよ」


 断言されて、アルカは目を見張った。


「私が知っているのは、絵本の中の存在だけです」

「それです。私もそれと同じようなものなんですよ」


 フードの下の顔が、一瞬少年のように輝いたような気がした。


「私、似ているでしょう、君が読んでいた絵本の魔法使いに?」

「はい。とてもよく」

「……なら、よかった」


 ――よかった……?


(何が?)


 もしかして?


 ――「レト様」が、アルカを救うために、屋敷まで来てくれた……とか?


(……まさか)


 一瞬、真剣にその可能性を考えてから、すぐにアルカは我に戻って自嘲した。


(莫迦ね。レト様は私の妄想世界の住人なのに)


 さすがに、魔法使いと王子様がいる世界に焦がれていた子供の頃のアルカとは違う。


(誰も私を迎えには来てくれなかったもの)


 継母を看護するようになってから、レト様が出現する回数は減っていき、彼女が亡くなった頃には、ぱったり現れなくなってしまった。

 直面する現実は、厳しいことばかりだった。

 

(今だって。どうなんだろう?)


 リューンは、アルカを救ってくれた恩人だ。

 出来ることなら、信じたい……。

 この人を信じて、素直に寄りかかることが出来たら、どれだけ楽だろう。


(でも、駄目よね。全面的に信用することはできないわ)


 アーデルハイド国王と近しい間柄といっても、隣国の情報などアルカは知りもしないし、こんな一つの得にもならない婚姻を喜んで結んだ彼の真意は何なのか、暴いてみないと、安心もできない。


(もしかしたら、リューン様は奇術師の類かもしれないわ。七大魔導師なんて聞いたこともないし、先程の地揺れにも仕掛けがあったのかもしれない)


 ひとまず、リューンのおかげで、ドリスの奴隷になることは防げたが、アルカに心を許せる味方は、ほとんどいないのだ。


(私がしっかりしなければ……)


 今は亡き父の姿を思い浮かべながら、アルカは心の中で自分を鼓舞したのだった。

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