別れの真実

「玄瀬くんが明水さんと別れたあと、明水さんと大鳥くんが急接近したことはわかるよね」

 玄瀬くんはごくりと唾を飲んだ。身体の奥がじんじんと熱いものがかき混ぜられているような不快さが滲んでくる。忘れるどころか毎日思い出す。教室の窓際から二列目、一番前の席から見ていた、ドア付近で美奈穂が大鳥と喋っている光景。美奈穂の弾ける笑顔は、玄瀬と付き合っていたときに見せてくれたそれと全く同じだった。そもそもあの場所で美奈穂と喋っていたのは俺だったのに。あの笑顔は自分だけに向けられていたはずだったのに。なんで、なんでなんでなんでなんで。美奈穂の隣にいるのは大鳥なんだ。

「玄瀬くんが知らない事実を教えてあげよう」

「おいお前何言ってんだ。変なこと言うの止めろよ。頼むから、な」

 岡崎は大鳥の方へ眼球を滑らせた。その後、咳払いをして玄瀬と向き合った。

「明水さんと大鳥くんは付き合うことはなかった。ただし――」岡崎は演技じみた間を溜めた。「肉体関係が一年ほど続いたのさ」

「おいお前何言ってんだ陰キャ教師のくせによお。嘘ばっか言ってんじゃねえよ」

 大鳥は声色を荒げ、対照的に美奈穂は俯いて小さく肩を震わせている。玄瀬は胸に真っ黒な穴が開いた。その穴に今まで脳内にある美奈穂が吸い込まれていくようだった。岡崎は大鳥の怒号を一切無視し、再び口を開けた。

「大鳥くんは明水さんと肉体関係を続けながら、大学で知り合った年上の女性と付き合った。やがて明水さんの存在を疎ましく思った大鳥くんは、『授業が忙しくなった』と適当な言い訳をつけて明水さんとの関係を終わらせた」

「ふ、ふざけんな陰キャ野郎!」

 大鳥は喉を震わせながら放った罵声を岡崎にぶつけた。玄瀬は胃の中が苦い何かに侵食されていくようだった。許せない。俺は一途に美奈穂を思い続けてきたのに、トリは都合の良い関係を続け飽きたら美奈穂を捨てたのか。

「そうだったんだ……」

 ずっと俯いたままの美奈穂の声がぽつりと空間に浮かんだ。まだ大鳥を慕うような声色で、玄瀬は体内から逆流してくるのを止められなかった。

「ぐうあああああ」

 胃の中の汚物を吐き出しながら叫んだ。忘れ去りたかった感情を思い起こされた上に美奈穂はもう、自分だけの身体ではなくなってしまった。あの身体はクラスメイトであり、喚くしか能のない大鳥に穢されていた……。

「いいねえ玄瀬くん。その恨み、嫉妬。これが芸術に昇華するんだよ」

「何が芸術だクソ野郎」

「大鳥くんへの怒りを僕にぶつけないでくれ」

 岡崎は固く守っていた笑みを消し去り、無表情で玄瀬を睨みつけた。嫉妬と恨みが混ざった黒い感情に支配され、岡崎に対して殺意を抱いていたはずなのに、玄瀬は冷水を浴びせられたかのように気持ちが静まった。

「いいか、さっきも言った通り、今回の人間時計は僕の最期にして最高の芸術にする。それは単なるラブストーリーみたいな清々しいだけではダメなんだ。嫉妬、恨み、殺意。負の感情が交じり合ったものにしなければならない。そのためには大鳥くんには秒針になってもらう。秒針は一分に一度短針の明水さんに会う。玄瀬くんの六十倍も会えるわけだ。だから自然に二人への嫉妬は増幅されていく。そうなったときに玄瀬くんと明水さんが再開すれば――」

「そんなもん、みんな骨と髪の毛だけになっちまったら意味ねえじゃねえか」

 大鳥は不自然な笑みを浮かべて岡崎に言葉を投げつけた。大鳥からはやや離れているが明らかに頬が引きつっているのがわかった。玄瀬は口のなかの吐瀉物の欠片を岡崎の靴めがけて吐き出した。靴の先に命中し、どろりと床に垂れていった。まだ口内は不快な酸味が残っているが、いくらか考える余地ができてきた。大鳥の口ぶりからして、人間時計について岡崎から知らされているようだった。

「殺しはしない」

「は?」

 真顔だった岡崎は、口の端が目じりに到達する勢いで怪異のような笑みを浮かべた。

「皆に見せた両角さんの人間時計は確かに骨と髪の毛だけだった。しかし、それではダメなんだ。今回はみんな、生きたまま人間時計になってもらうんだ」

「意味わかんねえ。そんなことできるわけがねえ、馬鹿じゃねえのこの変態野郎。だからお前は生徒からも『キモイ』って言われんだよ。こんな奴と仲良くするからゲンは美奈穂にフラれんだよ」

 岡崎は大鳥の煽りを無視し、テーブルに向かっていった。手に取ったのは刃が長い包丁だった。アトリエの照明に反射して刃が怪しげな光を放っている。岡崎は無言で大鳥のそばにしゃがみこみ後ろの手を掴んだようだった。

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