明水美奈穂の現在
美奈穂は目を見開いて玄瀬を見つめている。別れてから高校を卒業するまで、喋ることは一切なかった。それでも復縁の機会をうかがっていたときに美奈穂と大鳥耕が二人で喋る光景が目に見えて増えたことで、玄瀬は嫉妬に燃えるようになり、余計に近づけなかった。高校を卒業してからは一度も会うこともなかった。しかし、玄瀬は現在の美奈穂の顔立ちに新鮮味はなかった。毎日SNSを訪問していたからだ。
「明水さん、大丈夫? ケガしてないか?」
六年ぶりの再会のわりには現在の状況にふさわしいセリフが出てきた。
「玄瀬くん? これどういうこと? ねえ、岡崎先生と仲良かったでしょ。なにこれどうなってんの!」
美奈穂は拘束された手足を解こうとしきりに体を揺らしている。高校のときに推定CkCカップだった胸の大きさは今も変わっていないようだった。張りのある胸がほどよく主張しているのが好きだった。美奈穂は半ば睨みつけるように玄瀬に助けを求めた。玄瀬は目が合う喜びに体内から快感が全身の毛穴から噴き出してきそうな感覚に見舞われた。だが、美奈穂の放った一言が脳内の思考回路に詰まりその言葉だけがひたすら反芻し始めた。
玄瀬くん――
美奈穂と付き合っていたとき、彼女は“浩輔”と呼んでくれていた。小学生時代から今の社会人に至るまで、家族以外で“こうすけ”と呼んでくれたのは美奈穂だけだった。周囲はみな、名字の“玄”を取って“ゲン”か“クロ”と呼んでいた。美奈穂から“こうすけ”と呼ばれるたび、愉悦がじんわりと胸に広がっていくのを感じられた。
美奈穂に別れを告げられてから、一度も話したことがなかった。それは、恋人関係を解消したとしても友達に戻ったわけではなく、お互いに想い合っているからこそ距離ができてしまったのだとみなしていた。それは何かきっかけがあればすぐに縮まるものであり、そのきっかけは十年でも二十年でも待ち続ける覚悟だった。とはいっても張り詰めた糸は長時間耐久するのは難しい。ぷつりと切れてしまうか、対の方向に入れていた力を抜くかどちらかしかない。美奈穂の片隅にでも自分の存在が認知されていれば彼女は自分と付き合っていた頃の記憶が流れてくる。玄瀬は美奈穂のSNSの投稿に“いいね”をし続けた。
玄瀬くん――
脳の伝達経路が途中で切れているようだった。美奈穂は自分を認識しているはず。実質恋人関係であるはずなのに、“玄瀬くん“と呼ばれたことの理解ができない。何度も何度も論理的に考えようとするが途切れてしまって、その先を考えることができない。
ぼやけた輪郭が一つにまとまってきた。荷台に乗せられた美奈穂は喚きながら肩を揺さぶっている。紺色のニットに包まれた胸が遠慮がちに揺れた。じっと見つめるとニットが透けて黒いブラジャーが露わになり、さらに透過して乳房の中心に茶色い乳首が見えてくる。玄瀬は唾を飲みこんだ。美奈穂の胸はまだ触ったことがない。もちろん見たこともない。付き合っているときは美奈穂をとにかく大事に、という意識が先行しすぎて手を繋ぎキスをすることで精いっぱいだった。夏にショッピングモールへデートへ行った際、美奈穂はブラウンのショートパンツを履いてきた。彼女の露わになった程よい肉付きの脚に視線がくぎ付けになったが、デートの後半はショートパンツのなかだった。何色のパンツを履いていて、どんな性器のかたちをしているのか。それでも玄瀬は美奈穂が今、黒いブラジャーをつけていて、薄めの茶色い乳首であると確信していた。
岡崎は美奈穂の背後に回り込み、両手を彼女に近づけた。
「おいやめろ!」
反射的に玄瀬は怒号を岡崎に投げつけた。
「ああ、ちがうちがう。一旦降ろすだけだから」
岡崎は美奈穂の両脇に手を刺しこんだ。美奈穂は小さく呻きながら体を揺らすが、岡崎は動じることなく持ち上げ、ゆっくりと床に降ろした。
「玄瀬くんの大事な明水さんに乱暴するわけないよ。明水さんも睡眠薬を飲んでもらってここに連れてきてるから、暴力的なことはしてないし、安心して」
「何が『安心して』? できるわけないし。先生、離してよ。何これ? 何するつもり?」
威勢良く吠え続ける美奈穂の脇に目がいった。紺色のニットがわずかに濃くなっている。冬ではあるが、必死に抵抗しているうちに汗が滲んできたのかもしれない。
それを岡崎が触れた。岡崎の手に美奈穂の脇汗が付着した。岡崎はそのわきに差し込んだ手を払っている。心臓の鼓動が激しく暴れ出した。体内で不快な熱が波打っている。自分しか触れることの許されない美奈穂の体液を軽々しく扱うとはあってはならないことだった。
手首をきりきりと動かす。当然結束バンドがちぎれることはない。今回に至っては縛られていて幸運だったと熱が引き始めた頭で玄瀬は思った。大きく空気を吸ってから口で肋骨が浮き出るほど吐き出した。
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