岡崎の覚悟

「この時計の元の人は、駅で寝起きをしている七十歳の男性だったんだよ。人間時計にはストーリーが必要なんだ。だから僕は彼と交流を持った。すると彼は両角健三郎と言って、もともと勤め先の会社で経理をしていたらしい。結婚もして息子は四十二歳らしいが、もう十年以上は会っていないそうだ。というのも、会社の経理は両角さんだけだったらしく、信頼されていることを悪用して長年横領していたらしい。それがバレて逮捕された。十年以上に渡って横領し続けていたのと、使い道が違法賭博、買春ということで罪を重ね懲役刑になったんだって。そうなると奥さんとは離婚。奥さんからは『二度と私と息子には会いに来ないで』って言われたみたいでね。出所しても行く先がなく、駅で寝泊まりするようになったらしい」

 岡崎は自分の腕に巻いた時計を眺めながら話を続けた。

「僕は両角さんの話を聞いて震えたよ。両角さんの命、物語を時計に凝縮すると決意し、この時計を製作した。この長針と短針は彼の骨を削ったもので、秒針は彼の白髪を集めて固めて加工したものだ」

「わけわかんないこと言わないでください。ただの自家製腕時計ですよね。もしこれが人の骨と髪の毛で作ったものなら、その人はどうしたんですか。まさか殺したんですか」

 玄瀬は強張った頬を強引に持ち上げて笑って見せた。自分の顔は見えないが、かなり不格好な笑顔になっていることは間違いない。岡崎の醜い笑顔もこう映っているんだと伝えたかった。岡崎は口の端がゆっくりと下がっていった。恍惚と話していたときに見た黒い瞳のなかの光は消え、どす黒い濃霧に覆われているようだった。

「玄瀬くんならわかってくれると思ってたんだけどな、ちょっと悲しいよ」

 細い息を吐いた岡崎はポケットからスマートフォンを取り出し、画面に親指を滑らせている。目線が上下左右に移動し、何かを吟味しているようだった。その間に手足を対の方向に力を入れて結束バンドを引きちぎろうと試みた。以前、『結束バンドで拘束されたときに脱出する裏技』の動画を見たことがあった。神経の末端の末端まで意識を尖らせ、動画の内容を探し出す。しかし、まったく記憶に残っていない。暇つぶしにたまたま流れてきた非現実的シチュエーションをほとんど聞き流していた程度なので覚えているわけがない。結局結束バンドが肉に食い込んで痛みが増幅するだけだった。

 岡崎はスマートフォンから顔を上げ、玄瀬の目の前に画面を近づけてきた。映っている部屋はこのアトリエのようだった。中央のテーブルの上には髪と髭が伸びきった男が仰向けに寝ており、その横に青で統一された手術着のような恰好の岡崎が男を見下ろしている。三脚を立ててスマートフォンかビデオカメラで撮影したのだろう。

「作品は製作過程も含めてのものだと思っている。特に両角さんは最初の人間時計となる方だったから映像に残しておいた」

 岡崎は画面の中央に表示された再生マークを爪の伸びた人差し指で押した。動画は進んでいるが両角と思われる男は全裸にさせられ、ベッドにあおむけで寝たまま動かない。岡崎は画面から切れたがすぐに戻ってきた。手には刃の大きなノコギリを持っていた。

「嘘、ですよね……」

 玄瀬の問いかけに岡崎は答えず、口元を固く結んだまま画面を見つめていた。

 画面の中にいる岡崎はノコギリを脚の付け根にあてた。刃を股に何度か当てては離す挙動を繰り返しており、角度を調節しているようだった。

「これ嘘ですよね? フェイク動画ですよね」

「静かに見てて。僕の覚悟を見てて」

 岡崎は視線を映像に絡みつけたまま、獣が喉を鳴らして威嚇する声で玄瀬に言った。

 刃がゆっくりと脚の付け根に降ろされる。映像の中の岡崎はノコギリを持つ手を大きく引いた。ずり、と音がして引かれた付け根の部分から直線上に赤く浮いてきた。切られても両角は静かに眠っているままだった。もしかしたらもう殺されているのかもしれない。岡崎はノコギリを何度も引いた。ずりずりずりと音が聞こえるごとにノコギリの刃が脚の中に入っていく。血がテーブルに広がり、ノコギリの刃も赤黒くなっていった。

 玄瀬は体の中にあるものが逆流してきた。普段、暇つぶしに人間が原形をとどめない姿の画像を見尽くしてきたのになぜこの映像で吐き気を催すのか。玄瀬は俯き、空気を吸った。少しでも酸味のある匂いがしたら吐いてしまうに違いなかった。

 画面から目を逸らすと岡崎がまた声を荒げると思ったが反応はない。目線だけを上げると、岡崎は画面を自分の方に向けて凝視していた。岡崎の顔面目掛けて嘔吐してやろうかという考えが頭をよぎったが、手足を縛られた状態で反撃されたら太刀打ちできない。

 岡崎は終わったと言わんばかりの表情で玄瀬を一瞥し、画面を差し出してきた。両角の脚は付け根から切り取られ、切り口は破れた布のようになっていた。

「どこの部位を時計にするか悩んだよ」

 ファミレスで数あるメニューのなかからどれにしようかと悩む口ぶりで岡崎は言った。

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