第5話

 彼の絵を描いていることは、ななちゃんには言ってない。こんな形でバレたくはないので、一応嘘をつく。

 

「ち、違いますよ……」

 

「せめて嘘をつくのだったら、目くらいは見て欲しいものだよ。目を逸らした時点で、嘘をついていると言っているものじゃんか」

 

 言葉で騙せても、行動ばかりは無意識下で行われているから、ななちゃんを騙すことはできなかった。

 バレた以上開き直るしかない。

 

「だって、彼を描いたら、今度こそ絵が完成しそうだったから……」


 ななちゃんは顎に手を当てて、納得したような言葉遣いで言った。

 

「なるほど。それで追っかけしてるんだ」

 

「追っかけてない」

 

 ななちゃんは、どうしても親友の私を犯罪者に仕立て上げたいみたいだ。

 

「はいはい。見ているだけね。それもそれで。まあまあグレーゾーンな気がするけど」

 

「意図的に見ているわけじゃないもん。私の正面にいるから、勝手に視界に入ってくるんだよ」

 

 本当は意図的に凝視しているが、ななちゃんにそんなことまでは言えない。余計に疑われて、面倒なことになる。

 

「それでも絵を描けるくらいには見ているんでしょ。いちこやばいよ」

 

「やばくないもん! 絵だって何回か見たら描けるようになるんだもん。毎日見ているから描けるようになっただけだもん」

 

 ななちゃんはため息を吐いていた。それが何を意味しているのか、分かっているけど、まだ本当のことは話せない。

 

「まあ、いちこが楽しそうにしているのなら何だっていいよ」

 

 何だか何も言わない私が悪いみたいだ。

 ななちゃんは、「私もう帰るよ」と言って、荷物をまとめて、美術室を後にした。1つの忘れ物を残して。

 ななちゃんが描いていたデフォルメの動物の絵。どうするのかななちゃんに聞いてみようか。

 

(ななちゃん)

(絵忘れて帰っているよ)

 

(ああ、本当だ)

(いちこにあげるよ)

(他のやつには見せないでよ)

 

(分かっているよ)

(じゃあ、私が貰うね)

 

 ななちゃんの絵をゲットした。

 これを研究すれば、私もデフォルメで動物の絵を描けるようになる。

 気分よく1人で歩く帰り道。学校の敷地内に植えられている桜の木と紅葉が赤く染まっていた。夕方の太陽のせいではない。もう季節は葉を赤く染め上げるところまで来ていた。

 ななちゃんの絵もゲットしたし、今日の気分がいいからか、いつもは気にもしていなかった紅葉が目に止まった。

 それと彼の姿も重ねながら。

 もし仮に、2人で遊べたとしたら季節ごとの植物は外せない。特に、春の桜、夏のひまわり。秋の紅葉。冬は……何だろう……。冬の植物で知っているのは椿くらいだ。それを見て回って、1日中一緒にいて、それから何をしようか。一緒にカフェとかも行ってもみたい。山も海も捨てがたい。したいことがたくさんだ。

 今日は一段と妄想が捗る。バスを待っているほんの数分の間だと言うのに、1年を巡ってしまった。この妄想癖そろそろ治さないとな。

 そんな私は、今日もいつもと同じバスに乗る。そして彼がバスの乗っているのかを確認する。今日も彼はバスに乗っていた。

 彼も毎回同じ席に座っているから、私のいつもの席からは彼の横顔をがよく見える。バスに乗っているメンバーもいつもと変わらない。彼は今日も本を読んでいる。私がバスに乗り込んでも視線も向けず、本をめくっていた。そんな彼に私は視線を向ける。

 いつも真剣に本を読んでいるのだろうけど、何の本を読んでいるのだろうか。そこまで熱中できるものがあるのは羨ましい。

 いつもと何も変わらない日常がそこにはあったが、いつも優先席に座っている老婆がその均衡を崩す。

 それは私が音楽を聴こうとイヤホンを耳に挿そうとしていた時だ。老婆が、「いつも本を読んでいるけど、何を読んでいるの?」と、彼に声をかけていたのだ。

 私は耳に挿そうとしていたイヤホンを鞄に戻して、2人の会話を聞いていた。

 盗み聞きじゃないよ。聞こえるから仕方なく聞いているだけだよ。

 

「文学作品が好きでよく読んでいるのです。暇つぶしにはちょうどいいので」

 

 頑なに作品名を言わない彼に、老婆はさらに詰め寄る。老婆も何の作品を読んでいるのか気になっているようだ。

 ちなみに私も気になっているから聞きたい。

 

「江戸川乱歩ですよ。今読んでいるのは、石榴って本です。ミステリーを解くのは苦手ですけど、読む分には面白いので」

 

 彼がそう言うと、老婆は文学について語り出した。さすがの彼も、一方的に話す老婆についていけてなくて、彼が困った顔をしながら話を聞いているのを見て、私がどうにかするべきなんだろうかと考えていた。

 ここでかっこよく話に割り込めば、彼と話をする機会を得ることができるかもしれない。でも、私に、2人の間に割り込むような文学の知識はない。知っている文学といえば、教科書に出てくる話ばかりだ。太宰治の走れメロスに人間失格、芥川龍之介の羅生門に蜘蛛の糸、夏目漱石のこころに坊ちゃん。こんな有名な作品しか知らない私には割り込むことはできない。もっと文学に詳しかったら彼との会話には困らなかったのに。

 後悔を片手に、渋滞に捕まっているバスの中で文学作品を調べる。私の知っている作品はもちろんのこと、全く知らない作品もちらほら。三島由紀夫、谷崎潤一郎……名前は聞いたことがあるけど、実際に作品を読んだことはないな。この機に読んでみるのもいいかもしれない。

 私が調べたサイトでは、金閣寺と刺青が紹介されている。この2作品をまず読んでみよう。

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