第104話

 しばらく里恵を抱きしめていた俺は、そこでふと視線に気づいた。恐る恐る振り向くと、そこにはお母さんが扉の隙間からほんの少し顔を覗かせていた。


 …それを見た俺はゆっくりと里恵を拘束していた腕の力を弱めていった。


 「やっ!ぎゅってして!」


 だけど変なスイッチが入ったのか、里恵が甘えるようにそんなことを言ってきた。ほんの少し考えた俺は里恵の望み通りに腕に力を込めた。…里恵の希望よりも大切なことなんてないしね?


 「えへへ〜。ぎゅ〜!!」


 …な、何なのこの可愛い生き物!!甘えるように頬ずりしてくるし腕の中から上目遣いで様子を伺うようにこっちを見てきたかと思えば、視線が合うとにっこり笑うとかさぁ!!


 「…ねぇ、里恵?」

 「ん〜?な〜に?」

 「いや、ね?…お母さんに見られてるけどいいの?」


 俺がそう聞くとビクンッと跳ねて一気に俺から距離をとった。そしてぶん!と音が聞こえてきそうなほどの早さで扉の方に振り向いた。


 「あらあら〜、バレちゃったわね〜」

 「〜ッ!ちょっとお母さん!!」

 「やっ!ぎゅってして!!」

 「ちょっと!やめてよ!」

 「逃がさないよ?だっけ〜?」


 お母さんは俺たちを揶揄うようにそう言った。…っていうか、どこから聞かれてた!?俺が里恵とキスしたところとかは聞かれてなかった、よな?


 「いい加減にして!」

 「あらあら〜、怖いわ〜」


 お母さんはそう言って離れていった。それを追いかけるように里恵も部屋を飛び出していった。一人取り残された俺は多少の居心地の悪さを感じていた。


 「…守君?そんなに難しそうな顔してどうしたの?」

 「ん?別にどうもしないよ?」

 「…ほんと?」

 「もちろん。こんなことで嘘なんて言わないよ」


 …ただ、初めて彼女の部屋で一人きりになったからどうすればいいのか分からなかっただけだしね?


 「…うん。守君がそう言うならそれを信じるよ。…それより、これからどうしよっか?まだちょっと早いんだよね?」

 「そうだね。…って、えっ!?」

 「!?ど、どうしたの?」

 「あ、ああ。ごめんね?ちょっと時間見たら、もうこんなに経ってるんだなって驚いちゃって…」


 俺が聞かれて時計を見ると時間は既に10時過ぎ。少なくても8時には朝食の準備してたはずだから、1時間以上も里恵と話してたの!?まだ30分くらいかと思ってたのに…。


 「?まだ9時過ぎ、でしょ?……って、あれ!?ほんとだ!!もう10時過ぎてる!?」

 「ね?あっという間だったな」

 「びっくりだね」


 そうして俺と里恵は顔を見合わせて笑った。そんな何でもないことでも、里恵と一緒なら楽しかった。

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