第8話

〜里恵視点〜


 私は今日という日をきっと忘れられないだろう。好きだった初恋の彼に浮気されて、捨てられた。その後は、何が何だかよく分からなくて、頭の中がぐちゃぐちゃになってこの場所から消えたくなった。一刻も早く、なるべく遠い場所に。


 そんな風に自棄やけになった私を真っ直ぐに見てくれた人がいた。馬鹿なことをしでかそうとした私を真剣に叱ってくれた。好きな相手すら引き留められなかった、何の魅力もない私を気遣ってくれた。


 杉田、守君。私は名前すらうろ覚えで、いきなりのことにびっくりした私が無理矢理巻き込んだのに、私のために行動してくれた優しい、いや、優し過ぎる人。その優しさの10分の1、100分の1でも元カレが持っていてくれたら、こんな思いをすることもなかったのかな?…ううん、他人ひとのせいにするのはやめよう。私の見る目がなかっただけだよね。


 …こんなことを考えるなんてよくないことも、無駄なことも分かってる。でも、もし…もしも私の初恋が和哉君じゃなくて杉田君だったら?杉田君と一緒に映画を見て、買い物も彼なら付き合ってくれたのかな?


 それから、妄想の中でしかしなかった遊園地デート、水族館デート、海デート、夏祭りデート、そしてお家デート。その相手を和哉君から杉田君に切り替えます。……ドキドキする気持ちは小さくなったけど、胸の奥がポカポカ温かくなってきます。きっと、彼が優しいからですかね?


 …そんなもしもはあり得ません。私は和哉君が好き、なんです。そんなもしもを想像するなんて和哉君に、何より杉田君に申し訳なさ過ぎます。


 『俺は別に構わないよ』そう言って笑ってくれる杉田君の顔が思い浮かびます。和哉君は何て言うんでしょうか?…分かりません。それに、私は和哉君のどこを好きになったのでしょうか?……分かりません。私は本当に和哉君に恋をしていたのでしょうか?………分かりません。


 きっかけは私の一目惚れだったはずです。私って面食いだったんでしょうか?そんなことはないはずです。彼の一生懸命サッカーをする姿に憧れて、、、?じゃあ、恋心は?……ない?だって胸がドキドキして、これが恋なんじゃないの?


 私はようやく理解しました。和哉君…ううん、葛原君に対する気持ちは恋なんかじゃなかったんだと。お互いが別の方向にベクトルを伸ばしていたら、交わるはずがなかったんです。…いや、付き合っていたんだから、一点では交わっていたのでしょう。でも、それは一瞬のもの。長い人生の、ほんの1、2ヶ月のもの。


 そう考えると私の心は一気に楽になりました。だって、これが自然なことだったから。きっと、私のベクトルは違う人の方を向いているんでしょう。妄想の中の私が幸せそうだった人の方向を。

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