第15話

朝からずっと中庭の四阿で幼い女の子が本を読んでいることには気づいていた。


夕方になってもまだそこにいたことに驚き、何かを調べている様子に興味が湧き、軽い気持ちで宝箱に施されている錠前魔法を解除した。それはレオポルドにとっては造作もないことで、ほんの気まぐれだった。

だったはずなのに、「王子様、ありがとう!」とお礼を言ってきた女の子の笑顔に見惚れてしまったのは仕方ないことだろう。

その女の子のこぼれ落ちそうなほど大きな水色の瞳は、手にもつブレスレットのアクアマリンよりも遥かに輝いて見えてしまったのだから。


出会った日すぐに素性を調べるようにと従者に命令したレオポルドは、彼女の名前がマリエラ・カファロ公爵令嬢で、自身の婚約者候補だと知った。


魔石の安定購入のため、レオポルドが王太子になりルオポロ王国の血が入った令嬢と婚約することは知っていた。遅くても学園に入学する15歳までには決まるだろうと言われていたが、その婚約者が気に入らなかった時に備え、国内発掘できる新しい魔石を発見しようと動いていた。

5歳の誕生日に自分で運用して増やすようにと渡された個人資産の中から魔石研究者へ投資してから1年半、すでに研究は進んでいたが、マリエラがその婚約者ならば国内発掘の魔石を研究する必要はなかったなと、幼いレオポルドは笑った。


出会った日から毎晩、夢に出てくるようになったマリエラは、何もしなくてもレオポルドの婚約者になる人だった。それを考えると嬉しくて眠れなくなりそうだが、眠らないとマリエラの夢が見れない。贅沢な悩みだ。


そして、レオポルドはマリエラの周囲を調査している一環でカルリノを手に入れる。手に入れるというよりも、マリエラの母リリアーナの実家バルビ公爵家についてルオポロ王国で調査していた調査員に対して自分を雇えとカルリノの方から押し売りしてきたのだ。


カルリノはリリアーナの母方の従兄弟。バルビ公爵とリリアーナの母、前バルビ公爵夫人の実家の伯爵家には、一夫一婦制の国ではありえない隠し子がいた。メイドが産んだ当主の娘が前バルビ公爵夫人の異母妹で、その異母妹の息子がカルリノだった。身分は平民。

リリアーナがヴィルガ王国へ嫁ぐ9年前まではバルビ公爵家で従者兼護衛をしていて、その後はルオポロ王国の王都で傭兵や用心棒をしたりと自由にすごしていたらしい。腕には自信があるから密偵にでも使えとのこと。


9年前、リリアーナの嫁ぎ先へ従者として付いていくことを断り、その役割を別の従姉妹ジャナへお願いしたのは自分だが、それでもずっとリリアーナのことを気にしていたカルリノ。

幼い頃から病気一つしたことがなかったリリアーナが、嫁いで9年で不治の病に倒れたことを怪しんだカルリノは、ジャナからの手紙で知っていたカファロ公爵に執着しているラコーニ公爵令嬢からの毒ではないかと疑った。

毒ではなく病気と診断されたとジャナから教えられても信じることができず、リリアーナの余命の短さへの焦りと、他国のしかも国王の従姉妹であるラコーニ公爵令嬢について調べることに限界を感じ、挫折感にまみれていたらしい。ヴィルガ王国のしかも王子の密偵になれれば、自分のほしい情報も手に入るかもしれないと、僅かな希望に賭けて声をかけてきたそうだ。


従者の報告では、ルオポロ王国へ派遣していた調査員では誰も敵わず、こんな横暴な伝言を許された程には腕が立つ模様。実際に会ってみたカルリノは女性のように小柄な体型だったのだが、連れて行った近衛騎士が誰も敵わない剣の腕で、レオポルドはおもしろそうだからとカルリノを密偵ではなく自分の従者にした。


マリエラの母の従兄弟で、しかもカファロ公爵家で働く侍女ジャナの従兄弟でもあるカルリノを手中に収めておけば、マリエラの情報を手に入れやすくなるとの考えからだが、それとは関係なくてもカルリノを従者にして良かったと心から思う。

カルリノの目的はラコーニ公爵令嬢の毒害を調査すること。そのため、カファロ公爵夫人の従兄弟という立場は内密にすることになり、レオポルドと父とカファロ公爵夫妻など数人しか知らない。


そんなカルリノだが、当初は平民の下っ端の従者だったにも関わらず、その剣の腕でレオポルドだけでなく父なども、複数の危機を助けてくれた。数年の内に一代男爵の地位を賜り、騎士よりも強い従者として周囲から認められるようになる。


カルリノの伝手で知り合ったカファロ公爵家の侍女ジャナも、レオポルドの密偵として雇うことにした。給料は歩合制なのだが、ジャナは情報だけでなくマリエラの写真や、隠し撮り写真まで売りつけてくる。ジャナのおかげで、レオポルドが隠し持つマリエラのアルバムはどんどん厚くなっていく。


レオポルドがカルリノとジャナと出会ってしばらくして、マリエラの母リリアーナが亡くなった。常に冷めた目でレオポルドを見てくる、喜怒哀楽の変化に乏しいカルリノ。そんなカルリノの静かな涙に、カルリノからリリアーナへの愛の深さを知った。


その日の晩、レオポルドは父から夕食後に寝室に呼ばれ、レオポルドとアルフレードの二人でヴィルガ王族に纏わる秘密のうちの一つを知ることになる。


「ヴィルガ王族の王子の恋情は異常なほど一途で強い。何があっても初恋相手を深く愛し続け、生涯”唯一”の恋の相手になってしまう」


直系の国王の息子、つまり王子にだけ現れる特性で、言ってしまえば呪いのようなものらしい。


たとえ、深く愛する相手がいたとしても、王族としてヴィルガ王国の国益と存続を第一に生きないといけない。博愛が第一、恋愛は二の次。

”唯一”が手の届く相手なら、高い権力と能力を使い確実に手に入れれれば良い。

”唯一”よりも国益になる相手がいるにも関わらず”唯一”を選ぶ場合は、”唯一”を選んだことで生まれなかった利益を必ず補填すること。

そして、手に入らない相手は王族としてちゃんと諦め、”唯一”が幸せに生きれる国づくりに励むこと。


実は父の”唯一”は母ではないそうだ。それは母には内緒だし、家族としての情だとしても母のことはちゃんと愛していると教えてくれた。


父の話を聞きながらアルフレードが泣き出す。父はそんなアルフレードの頭を撫でている。


「父上はぼくにルカを諦めろって話をするために呼んだの?」


「おいこら!”唯一”が誰かは弱点になるから、家族にも、誰にも言ってはいかん、と注意する前に自分で漏らしてしまうとは……。しかも、ルカは私と同い年の汚いおっさんじゃないか。あいつがアルを嗾すとは思えないし、子供の頃の勘違いなら良いんだが……」


「ルカは汚いおっさんなんかじゃない!父上だってルカの騎射を見たらかっこよくてびっくりするんだ!」


そう言ってアルフレードは父の胸をポカポカと叩き泣いている。


「恋することをやめろとは言わないよ。……アルが王弟になった時は、国王のレオと仲良くしてルカを王弟の護衛にしてほしいと頼めばいい。レオはきっとうまく采配してくれる。……でもどんな場合でも、結婚したら奥さんになる人をルカよりも優先して尊重することを絶対に忘れてはいけないよ」


ルカとは、レオポルドとアルフレードの剣の稽古をつけてくれている騎士ルカ・モンテのことだろう。”汚いおっさん”とまでは言わないが、特に美形というわけではないし、特別優しいわけでも厳しいわけでもない。正直、カルリノの方が剣の腕は立つのだが、確かに馬上から弓を射るのを見せてくれた時はレオポルドも感動した。あの弓に魔法を掛けて射れば、中距離や遠距離戦では敵なしだろう。


意外で無謀すぎるアルフレードの恋の相手に驚いてしまうが、かわいい弟の恋心をレオポルドが馬鹿にすることはない。しかも、アルフレードは相愛になることが難しい相手を、父の話の通りなら、一生愛し続けるのだ。


ヴィルガ王国は同性婚を認めてはいないが、宗教上で同性愛を禁忌としている訳ではない。少数派ではあるが、忌み嫌われるほどではなく、宗教上同性愛を禁止されている隣国ルオポロ王国に比べればずっと寛容だろう。それでも、アルフレードは王族。王弟だとしても、政略で結婚することになるし、つまりは子供を作らないといけない。アルフレードが異性とも子作りできることを祈るしかない。


たまたま”唯一”と婚約し将来結婚するレオポルド。”唯一”に愛を語ることもできずに諦めることが決まっているアルフレード。身分が違いすぎてリリアーナが嫁いでいくのを見てることしかできなかったカルリノ。

レオポルドは、ただ運が良かっただけなのだと、自分の幸運に感謝した。


「今日、カファロ公爵夫人が亡くなった。バルビ公爵がマリエラ嬢を引き取りたいと言い出したので、急遽レオが王太子になってカファロ公爵令嬢のマリエラ嬢と婚約することが決定していると正式に公表した。レオは今から”唯一”ができたとしてもマリエラ嬢を不幸にしてはいけない。恋情はなくとも家族として愛せるんだ。”唯一”に対しては自分の気持ちの落とし所を見つけて、なにより国益を優先してほしい」


レオポルドの”唯一”はマリエラなのだが、先の父の「”唯一”が誰かは弱点になるから黙っていろ」という言葉を思い出し、何も言わず頷いた。


「逆に言えば、国益を優先さえしたら何をしたっていいんだ。狂い出しそうなほどの相手ができてしまった時は、その恋情をごまかす方法を、賢い頭で考えなさい」


「父上はどうやってるの?」


「秘密。……これは自分が納得する方法を、自分で考え出すしかないんだよ」


何も言わないのは、お互い様らしい。


レオポルドは、ふと、己の”唯一”マリエラの、その父カファロ公爵へ執着しているラコーニ公爵令嬢のことを思い出した。レオポルドの従伯母にあたるラコーニ公爵令嬢のその重い愛は、呪いのような王子の恋情に似ている。ラコーニ公爵家には大叔母の王女が降嫁する以前にも、何度か王家の血がはいっているはず。


先祖返りのようなものだろうかと、この時のレオポルドは、まるで他人事のように考えていた。


そんな父の話から1年後、レオポルドとマリエラは婚約した。レオポルドとマリエラの初めての顔合わせはレオポルドがカファロ公爵邸を見たかったために、カファロ公爵邸で行われた。


初対面から2年ぶりの顔合わせ。ジャナから購入している写真でマリエラの近影は見ているものの、実物を見れるし触れるし声を聞くことができることに興奮してしまう。

マリエラは婚約者のレオポルドが2年前に城で出会っていた王子様だと知ってくれているのかと、知らずに驚かせてしまうのだろうかと、期待で待ちきれず馬車から飛び降りたほどだった。


「義母様はどんなにいやがられてもパ……お父様を好きで、ママがいてもいいからって強引だったんだって。……嫌われても諦めないでしつこくて、そんな重すぎる愛、怖いし気持ち悪い。でも、そんな相手とでも浮気するのは違うと思うの。レオポルド様もそう思うよね?」


「……俺もそう思う」


挨拶をすませ、二人きりの時間になった瞬間、マリエラはいかに浮気は最低で大嫌いかとレオポルドへ早口で語り出した。拙い話し方で一生懸命話しているが、よほどレオポルドに伝えたかったのだと思われる。マリエラが話をすればするほど、レオポルドの反応はだんだんと鈍くなってしまう。


マリエラの話し始め、『重すぎる愛、怖いし気持ち悪い』という言葉が、レオポルドの頭の中で何度もこだましている。表向きには穏やかに話を聞いているように見えて、心の中はまるで断崖絶壁に立たされているような心境になっていた。


2年前にあった時から毎日のようにマリエラの夢を見ていたこと、マリエラのためにいろんな国の錠前魔法の本を集めていること、マリエラのためにメガネに代わる魔道具の開発に投資を始めたこと、マリエラの好物のアップルパイをもっと美味しく作れないか城のコックに頼んでいること、いかに自分がこの婚約が楽しみだったのかと説明しようと、用意していた話が全部できなくなる。


マリエラが錠前魔法とアップルパイが好きなことも、メガネをかけだしたことを知っていたことも、よく考えると、まだ2回しか会ったことがない人に言われたら怖いに決まっている。


出会った時にはかけていなかったメガネも、マリエラのそのかわいい顔を隠していて、他の男にマリエラの素顔を見せれなくなることが嬉しいと、言いたかったのに、絶対に言ってはいけないとわかる。


正直、カファロ公爵の後妻になった元ラコーニ公爵令嬢ベリンダと同じくらいの重い思いで、レオポルドはマリエラを愛している。マリエラはベリンダに家族を壊されたせいで、重い愛を怖がっている。マリエラのことを調べたのに、そのことを予想できていなかったと反省するしかない。


いきなりの溺愛は引かれてしまう。

婚約の証にと、オレンジ色のガーネットと水色のアクアマリンの2色が連なるブレスレットをプレゼントとして持ってきたのだが、今はまだ渡すには早すぎる。用意していた自分の分のブレスレットをマリエラに付けてもらおうと、そんな妄想をしていた今朝までの自分に呆れる。


城に帰って作戦を練り直そうと、レオポルドはブレスレットを渡すことなく、マリエラと満足に話をできないまま城へ帰った。


己の甘い見通しを反省しながら、トボトボとカファロ公爵邸の廊下を歩いていたレオポルド。そんなレオポルドをマリエラの異母妹のフィオレがじっと見つめていたことに、レオポルドは気づいていなかった。


城に帰った後、バカにしたような目で見てくるカルリノから、マリエラが「ママの宝箱を開けてくれてありがとう」と言ったのにレオポルドは返事をしていなかったと教えられた。きっと、用意していた話はできないしと動揺し混乱していた時だ。


マリエラには、レオポルドは初対面のことを覚えていなかったと思われてしまったかもしれない。


逆にここから、マリエラがレオポルドから好かれていないと勘違いしてしまったかもしれないここから、マリエラの許容範囲を見極めて攻めていけばいいのではないだろうか。だんだんと仲良くして、徐々に徐々に愛を示していこうと、この時のレオポルトは思っていたのだ。


次にマリエラに会えるのは1ヶ月後、その時から二人の関係をスタートしようと決意したレオポルドは、まさかそのスタートを切れなくなる事態になるとは思ってもいなかった。

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