第14話

「私、レオポルド・ヴィルガは、そこにいるマリエラ・カファロとの婚約を破棄し、こちらのイエル・ドルチェと婚約することを宣言する!」


レオポルドの宣言を聞き、腰を抜かしてその場に座り込んでしまったフィオレの醜態が目の端に入るが、レオポルドがそちらへ顔を向けることはない。

腰を抱いているマリエラの様子をこっそり確かめると、カファロ公爵とフィオレを見比べた後に考え込んでいる。考える時にほんの少しだけ口を尖らせる癖は、城の四阿で錠前魔法を調べていた初対面の時から変わらない。


マリエラはダンスの途中、令嬢をエスコートするカファロ公爵を見かけた時から、丸くて大きい赤い瞳をさらに丸く見開き、驚きを隠せなくなっていた。

今は考えがまとまったのか、少し落ち着いた様子。カファロ公爵の隣にいる令嬢はマリエラではないと主張することもなく、このままイエル・ドルチェとしてレオポルドを見上げ、わざわざ先の発言に驚いた顔を作っている。


ここで驚愕し、レオポルドがイエルと婚約しようとしてたなど自分は知らなかったのだとアピールしておかないと、イエルが罪を被る可能性に気付いたのだろう。

昨晩のジャナの報告の時点で、マリエラはレオポルドの計画に少しも気付いていなかった。マリエラは今、自身が持つ情報と状況から、目的と損得を考え臨機応変に動いている。

レオポルドの宣言から敗北を悟り、まだ勝敗が付いていない段階で諦めてしまったフィオレよりも、よほど王妃の器がある。


自分達は素晴らしい国王夫婦になれていたはずなのにと、己とマリエラの身に訪れなかった未来を嘆いた。


「兄上!不貞をした上で婚約を破棄したいなど、ヴィルガとルオポロの関係にヒビを入れるおつもりですか!」


1歳下の弟アルフレード。幼い頃は少し本番に弱いところがあったため心配だったのだが、さすがにもう王族の15歳。ちゃんと間違えず、自然に台詞を読み上げた。

赤い瞳で鋭くレオポルドを睨む演技をしているが、本心では噛まずに言えたことに満足しているのが兄としてわかる。

ちゃんとフィオレのすぐ横に立ち、彼女がなにかしようとする前に止めれるよう警戒してくれている。


「これは不貞ではなく真実の愛だ!それに、イエルもルオポロ人。問題はな……」


「ひどい!国内発掘の魔石が認可されたらフィオレに婚約者が変わるってことも、まだ納得できてなかったんです。せめて、婚約者としてダンスを踊りたいってお父様に頼んでここまで来たのに……」


レオポルドの言葉に被せる様に叫んだのはカファロ公爵がエスコートしてきた黒髪の令嬢。分厚いメガネをかけたまま涙を流し、レオポルドへの未練を叫んでいるが、やはり台詞の説明臭さが気になる。


カファロ公爵がエスコートしてきたことから、周囲はこの令嬢を本物のマリエラだと思っていることだろう。今この会場で彼女が偽物だとわかっているのは、レオポルド、カファロ公爵、カルリノ、アルフレード、そして、本物のマリエラの5人だけ。


幼い頃から分厚いレンズのメガネをかけていたことと、この2年は領地にいて王都にいなかったことから、だれも正確なマリエラの顔を覚えていない。

とはいえ、親しかった者は声の違いで気づく可能性があると警戒していたが、半分血が繋がっているにも関わらず偽物だと気付かないフィオレ。王城で何度か話をしたはずのニコラスも、幼い頃にお茶会をしたことがある令嬢たちすら、彼女をマリエラだと思い込んでしまっている。


この偽マリエラの正体は本物のイエル・ドルチェ男爵令嬢。バルビ公爵家の密偵として働き始めていた元イエルを今だけ借りている。

ジャナの母方の従姉妹のイエルは、すでにある程度こちらの事情を知っている上、小柄な体型がマリエラの影武者としてちょうど良かったのだ。


ジャナがこっそり手に入れたマリエラの髪から作った魔法薬で黒髪と水色の瞳に変え、マリエラのように髪をカールさせている。

偽のマリエラを本物のマリエラに似せてしまったら、イエルとマリエラが瓜二つというおかしな事態になってしまう。そのため、顔つきはカファロ公爵に似せた化粧をしたので、マリエラよりも、どちらかというとフィオレに似てしまった。


今この場は、レオポルドの婚約者マリエラが浮気相手イエルを演じ、本物のイエルがマリエラを演じているという、なんとも不思議な状態だ。


「レオポルド様から離れて!」


嫉妬に狂った偽マリエラはカファロ公爵の手を振り払い、レオポルドに腰を抱かれたイエルに向かって突進してきた。


マリエラはこんなにも気が強くはない。あまりやりすぎるとフィオレに偽物と気付かれる。

偽のマリエラには、”心の中ではレオポルドへの熱い想いを隠していた”様に見えるようにと伝えていたが、これなら上出来だろう。


本物のマリエラは、偽のマリエラを怖がってレオポルドを盾にする様に背に隠れた。変な動きをされると困るのだが、この反応はこの後の展開上1番助かる。


「イエルに何をする!」


レオポルドは不貞相手を害そうと走ってきた偽マリエラを振り払った。レオポルドの腕が当たった偽マリエラは派手な音を立てて倒れ込むと、血の流れている足を目立たせて大げさに痛がっている。

これは血糊ではない。後で怪我を確かめられることを想定し、直前に本当に怪我をしておくとようにとは言ったが、レオポルドが想定していたよりずっと広い範囲の怪我だ。

もちろん感謝もしてるが、偽マリエラの思い切りのよさに内心引いてしまう。


警備の騎士などがいるにも関わらず偽マリエラが怪我をしてしまったのは、レオポルドのすぐそばにカルリノがいたから。まさか、実力者のカルリノが対処できないなど誰も思わなかっただろう。


「兄上を、レオポルドを拘束しろ!城へ連れて行け、私もすぐに帰る。……校医はいるか?マリエラ嬢を治療してほしい」


アルフレードがレオポルドの拘束を指示したが、誰もがそれを当然だと思っているだろう。この国の未来のためだ。


ヴィルガ王国は、王太子レオポルドと、ルオポロ王国バルビ公爵の血縁のマリエラ・カファロが婚約していることで、安定してルオポロ王国から魔石を購入することができている。国内発掘の新しい魔石が見つかったとは言え、その魔石の正式な認可はまだされていない。

そんな状況で、病気により領地療養していたとはいえ、契約上では何の瑕疵のないマリエラ・カファロ公爵令嬢に、王太子レオポルドが婚約破棄を叩きつけるなど、ヴィルガ王国がルオポロ王国に魔石はいらないと宣言したに等しい。


しかも、この婚約は一夫一婦制のルオポロ王国に合わせていた契約になっている。それにも関わらず、浮気相手と婚約し直すためという理由での婚約破棄。二重三重の意味でルオポロ王国に喧嘩を売っている。


最悪なことに、レオポルドはマリエラを振り払い怪我をさせた。もう取り返しはつかない。


先の宣言の時点、レオポルドの廃太子どころか幽閉がほぼ決まっていた。レオポルドに罰を与えることで、これらは全てレオポルド個人の暴走であってヴィルガ王国としての意思ではないと示すためだ。

マリエラに怪我を負わせたことで、幽閉は確定。ルオポロ王国バルビ公爵の出方次第では毒杯もありえる。


魔石のことを抜きにしても、たった一人の王子のやらかしで隣国との関係にヒビを入れるなどありえない。まだ16歳とはいえ、立太子も済ませた立派な王族。その言葉、行動には重たい責任が伴う。


フィオレはレオポルドの婚約破棄宣言で、幽閉まで予想し、あの時点で腰を抜かしてしまったのだ。

何よりも誰よりも愛し、愛されたいと思っていたレオポルドから「お前と結婚するくらいなら一生幽閉の方がマシだ」と言われたに等しいのだから、無理もない。レオポルドだって、もしもマリエラにそう言われたら、膝から崩れ落ちてしまう自信がある。


今はアルフレードの横に座り込み、まるでこの世の終わりのような顔をしている。フィオレが早々に諦めてくれてこちらは助かった。


この場にいる人間でレオポルドを除いてフィオレより立場が強いものなど、学園長とカファロ公爵とアルフレードとニコラスの4人しかいないのだ。しかも、その内2人はフィオレの身内。

学園の教師、護衛の騎士、使用人は大人ではあるが、皆爵位は低い。その上学園の生徒を掌握しているフィオレなら、ラコーニ公爵家とカファロ公爵家の権威を使って足掻くことはできたはず。


レオポルドの自爆の目的、レオポルドが己の未来を捨てでも攻撃したい標的はフィオレなのだと、理解したのかもしれない。


自分を捕らえるため周囲の騎士たちが近づいてくるのを眺めながら、レオポルドはマリエラの顔を覗き込む。

マリエラはこのクリッとした丸い瞳が良い。驚いているせいで、いつもよりも丸いように感じる。赤い瞳もかわいかったが、願わくば、もう一度、あのアクアマリンのような水色の瞳を見たかった。


レオポルドは驚き固まっているマリエラの唇にキスを落とす。


それと同時、カルリノに腕を取られ、後ろ手に拘束された。魔力の流れが絶ったのを感じる。魔力封じも付けられたようだ。


「っレオポルド様!」


鼻にかけた様な甘いイエルの声ももちろん可愛かった。でも、やっぱり普通のマリエラの声の方がずっと良い。素のマリエラに名前を呼んでもらえてよかった。……キスもしたし。


これでレオポルドは王城の離宮へ生涯幽閉される。


アルフレードが王太子になり、フィオレと婚約し、マリエラが願った通りフィオレは王妃になる。マリエラは婚約破棄と先ほどの醜態で生涯をカファロ公爵の田舎の領地で過ごすことになる。イエルはルオポロ王立学園へ戻る。もちろん錠前魔導師になれる。


ヴィルガ王室、カファロ公爵、バルビ公爵が許すので今回の件はイエルへのお咎めは何もない。イエルが国内の令嬢だったなら処罰無しなど許されなかっただろうが、イエルはルオポロ王国の学園へ戻るため、処分がなかったことを隠すことができる。そして、ラコーニ公爵にはイエルを処罰する権利も理由もない。


レオポルドの突然の乱心に、どうしたら良いか分からずに様子を伺っていた生徒たちは、今はレオポルドを捉えて歩く騎士が通るために出口への道を開けている。


人は皆、行動に理由を欲しがるものだ。レオポルドのこの奇行は何が原因だと言われるのだろうか。

正解に近づくためには、どれだけ沢山の正しい情報を持っているか、手に入れれるかで変わる。イエルがマリエラだと気付けない者には、レオポルドの真意など絶対に分からない。


イエルとの恋に狂っただとか、破滅願望に抗えなかっただとか言われるのだろうか。カファロ公爵家を追い落としたい者はマリエラやフィオレが気に入らなかったのだと言い出すかもしれない。


この状況を嘆く訳でもなく穏やかにボーッとしているレオポルドを、カルリノは乱暴に馬車に押し込んだ。王子の時との扱いの差に思わず笑みがこぼれる。馬車は王城へ向かって走り出した。


「カルリノが隣に座る必要はなくない?俺、マリエラ意外と隣り合わせで座りたくない」


「これは決まりなので我慢してください。私だって、殿下よりマリエラ様の隣に座りたいです」


「は?座るなよ?」


フィオレからの誘拐や報復をふせぐため、カルリノは今後ルオポロ王国でイエルの護衛をするようにと頼んである。有り余るほどの剣の腕があるカルリノは元々ルオポロ王国出身なので、イエルを守るのにちょうど良いと思ったのだが、早まったかもしれない。

イエルの他に護衛として良い者はいないか考えているレオポルドの耳元で、カルリノが囁く


「……逃げちゃいます?」


今なら逃げれる。

今レオポルドに付けられている魔力封じは騎士が常備する簡易的なもの。掛かっている錠前魔法もカルリノなら魔封じごと物理で砕くことができる強さだ。それにカルリノならばレオポルドを連れたまま御者席に座っている騎士たちを倒し、並走している騎士を撒くことが余裕でできるだろう。


レオポルドはため息をついた。


「ほんとカルリノって良い性格してるよね。いやーな感じ。俺の決意を惑わせないでよ。………………逃げないよ」


憐憫の眼差しでこちらを見てくるカルリノを、レオポルドは睨み返した。


王城へ着いてからは予想通り。父、母、祖父、祖母、叔父など家族全員代わる代わるに怒られ呆れられた。

そして、後ろ手での拘束は外されたものの、素材も錠前魔法も強固な魔封じを両手につけられてしまった。これはカルリノは砕くことができないし、レオポルドも魔封じによって解除魔法陣を出せないため外すことはできない。

どんなに錠前魔法の知識がある人でも、自分につけられた魔封じを解除することはできないのだ。


バルビ公爵とカファロ公爵は、事前の約束通り、ヴィルガ王家からの謝罪を受け入れ、翌日に和解の連絡を入れてくれた。

レオポルドの個人資産は損害の補填や補償に使用するため全て国庫に奪われたのだが、その額の多さから刑を軽くしてはどうかと意見が出てしまった。慌ててレオポルドが強く生涯幽閉を望み、レオポルドは毒杯も処刑もなく、黒の離宮での生涯幽閉に決まった。


離宮へ移動する前、自分が在位している限りレオポルドの病死はないと、父がこっそりと耳打ちしてきた。

王位継承権を復活させたいと企む輩が出る前に殺し、病死として処置することは、王族の幽閉ではよくあること。

大きく期待を裏切ったレオポルドをまだ家族として愛し、幽閉とはいえ生かそうとしててくれる父。そんな父をまた裏切ることになる。レオポルドは心の中で父に謝るしかできない。


黒い離宮とは、広い城内の北西に位置し、林の真ん中にある、黒い壁が不気味な高い塔。レオポルドはその最上階に幽閉された。

どんな劣悪な環境でもと覚悟していたはずなのだが、実際の幽閉先は広くて清潔で快適な部屋だった。魔道具で空調は快適に保たれているし、カーテンがあるため陽の光を遮ることはできる。トイレやお風呂はちゃんと壁で別れた部屋になっていて、ドアの一部が鉄格子になっているだけで、割と死角が多く落ち着ける。自動で動く掃除魔道具まであるし、支給されるごはんも美味しい。

アルフレードに頼んで持ち運んでもらったレオポルドの宝物たちもちゃんとある。


レオポルドはその宝物の中からアルバムを取り出した。数冊ある中でたまたま手に取ったのは1番古い巻。

表紙を開くと、カファロ公爵と前カファロ公爵夫人の二人に左右から抱きしめられている6歳のマリエラの写真。カファロ公爵夫妻の左腕にはお揃いの青と水色のブレスレットが付けられている。

まだメガネを付けていないので、レオポルドがマリエラに初めてあった日のすぐの後に撮られたであろう写真だ。


「かわいい……」


レオポルドは写真に写る6歳のマリエラの頭を指で撫でた。


全ては、7歳のあの日、中庭の四阿で錠前魔法の本を一生懸命読んでいるマリエラに出会った日から始まったのだ。

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