【麻琴、アメリア(2)】

 設定温度を低くした温めのシャワーを浴びながら、麻琴は離ればなれになってしまった同級生なかまたちの事を考えていた。

 特に、たったひとりで北側ゲートへ向かった凛を心配した。何事もなければ、もう既にケツバットン・マンションへ戻ってきているはずだ。

 だが、そこには自分も白石親子もいない。

 今ごろ凛は、途方にくれながら、自分たちの帰りを待っているかもしれなかった。


(──早く戻らなきゃ!)


 シャワーを急いで止めた麻琴は、濡れた髪もそのままにバスタオル姿で飛び出すと、手当たり次第にロッカーの中を物色し始める。

 どのロッカーもほとんどが空っぽであったが、幸運なことに、未開封の透明なビニール袋に入った衣類がいくつか残されていた。

 ただし、自分と少女の着替えになりそうな物は、Tシャツとボーリングシャツ、男物メンズのボクサーパンツくらいだった。

 ちょうどアメリアもシャワーを浴び終えて出てきたので、麻琴は新品の衣類を手に取り「チェンジ、チェンジ!」と、話しかける。

 もちろん、〝着替えをしよう〟の意味ではあったのだが、急ぐ麻琴は、通じようが通じまいが、強引にその英単語だけで押し切ろうと連呼した。

 そんな熱意が通じたのか、新品の衣類が入ったビニール袋を受け取ったアメリアは、無言で開封して白地のTシャツを広げて眺める。胸もとには、縦書き二列の筆文字で〝東京じゃないって? 同じ日本だろ!〟と印字されていた。もちろん、アメリアは日本語がわからない。


『ねえ、なんて書いてあるのかしら?』


 手にしたTシャツを麻琴に向けて文字をみせる。

 その途端、目を見開いた麻琴の反応に一瞬不安を感じたアメリアだったが、麻琴が何度もうなずきながら親指を立ててみせたので、余計に困惑させられてしまった。

 Tシャツに書かれた日本語をまじまじとあらためて眺めてから、小首を傾げて袖を通すアメリア。そんな異国の少女に、麻琴は心の中で〝ごめんね〟と謝りつつ、自分は黒のボーリングシャツを羽織った。

 ボーリングシャツの着丈はボクサーパンツを隠してはくれなかったが、パンツは前閉じの、しかも、シャツと同系色だったのでパッと見は下着に見えなくもなかった。いや、見えなくもないと思うことにした。

 目の前では、着替えを終えたアメリアが律儀にロッカーの扉を閉めようとしている。

 その時に垣間見えた背中には、〝東京ケツバット村すたっふ〟と横書きの印字がされていたので、麻琴は複雑な気持ちになってしまったが、何よりも気になったのは、Tシャツの着丈が純白の下着ショーツをギリギリのところで隠しきれていないことであった。

 美しい白銀の長い髪と抜けるような白い肌も相まって、アメリアがまるで萌えアニメのキャラクターのように麻琴は思えてしまった。


(この格好のまま、この子は外に出るんだよね……絶対にヤバイじゃん)


 国際問題に発展しないことを祈りながら、麻琴もロッカーの扉をしっかりと閉める。

 着替えを終えてシャワー室を出ようとすると、洗面台の隅に黒い野球帽子が一つあるのに気づく。

 不自然に置いてあるので、おそらくは忘れ物なのであろうその帽子に、麻琴は見覚えがあった。正面ゲートの係員が被っていた物と同じデザインだったのだ。


「やったぁ! ラッキー♪」


 この際だから、貰えるものはなんでも貰おう。麻琴は、嬉しそうに野球帽子を被る。

 笑顔を上げれば、大きな鏡に映るふたりの姿は、何かのコスプレをしているような派手な格好であった。


「あっ、そうだ! あなたの名前は?」


 鏡越しに日本語で話しかけるが、当然アメリアは無反応だ。


「ユア、ネェイームゥ、ネェイームゥ。ムァイ、ネェイームゥ、イズ、麻琴。マコートぉ!」


 今度はちゃんと向き直って、自己紹介をする。

 さすがに麻琴の滅茶苦茶な英語力でも通じたようで、ずっと前に自己紹介を済ませていたアメリアは、頬っぺたを膨らませて両手のひらを少しだけ上げたかと思えば、すぐにまたそれを下げてため息を吐き、〝やれやれ〟と言った表情で天を仰いだ。


『よろしく、マコト。わたしはアメリアよ。今度こそ覚えてよね』


 あらためて自分のファーストネームを笑顔で名乗る。念のために、もう一度ゆっくり発音を強調して伝えてみた。


「アメリア……アメリア……よし、覚えた」


 小声で何度も少女の名前をつぶやきながら、麻琴は廊下へ続く扉のドアノブを握る。それと同時に、反対側で誰かも開けようとしているのがわかった。

 咄嗟に、両手でドアノブを全力で掴んでそれを阻止する。

 最初は、麻琴が何をしているのか理解が出来ないでいたアメリアだったが、扉がガタガタと動いているのに気づき、急いでサムターンのツマミを回して施錠をした。

 扉から後ずさって離れるふたり。

 ほかに出入口がないか麻琴は探してみるが、天井近くにある小さな通気口以外なさそうだ。

 静寂と緊張感の中で、ガチャガチャと空回りするドアノブがピタリと止まったかと思えば、今度は扉が激しく叩かれる。


「おい、誰だよ!? 開けろよ!」


 日本語で怒鳴りつける女性の声。その若々しさから、麻琴たちより、ほんの少しだけ年上かもしれない。

 ふたりは、顔を見合わせて扉を開けるべきか視線だけで相談する。アメリアはTシャツの胸の辺りを片手で掴み、ゆっくりうなずいてみせた。麻琴もうなずいてから、扉の前まで歩み寄る。


「あの……どちら様ですか?」


 念のため、声をかけてみた。すると、相手は黙り込んでしまい、ドアを叩かなければ返事もしない、まさに無反応となった。


「…………おまえこそ誰だよ? 名前を言えよ」


 やがて、先ほどとは違う冷静な声で逆に名前を訊かれるが、麻琴も警戒して答えなかった。

 自分も相手も、名乗らないまま時間だけが過ぎていく。

 そんな冷戦状態を破ったのは、アメリアだった。すたすたと扉まで歩いていき、躊躇うことなく施錠を解除したのだ。

 開かれた扉の向こうには、金髪の長い髪をした、麻琴と同じ黒いボーリングシャツを着ている高校生くらいの少女が立っていた。目もとや唇の退廃的な化粧は、ヴィジュアルロックかゴシックファッションの影響だろう。指の爪も、全て真っ黒に塗られていた。


「おい、おまえたち──」


 話しかけようとしたその少女の手を、アメリアがおもいっきり引っ張る。彼女が転ぶようにして中へ入ると、すかさず麻琴は扉を閉めてサムターンを回した。


 ダァァァァァァァン!


 と、同時に、外側からの凄まじい衝撃で扉がしなる。


「なっ……なんだよ、今の?」


 扉を見ながら、凍りつく金髪の少女。


「すぐ後ろに、ガスマスクの男が来ていたんです」


 麻琴も扉を見つめながら、アメリアの手を握る。けれども、不思議とその一撃だけで、ガスマスクの男はほかに何も仕掛けてくる様子がない。それがかえって不気味だった。


「そっ、そうか……で、うちの制服着てるけど、おまえたちって……いったい誰?」


 金髪の少女が、今度は不安げな眼差しと小声で訊ねる。今更ではあるが、狙われているので声をひそめたのだ。


「これは……その、ちょっとお借りしてます。わたし、麻琴っていいます。この子は、アメリアです」


 麻琴も同じく警戒をして、囁くような声で答える。


「……ふーん。まあ、いいけどね。あたしの名前は、瑠璃るりいろ

「え?」


 お互いにひそひそ声で話す中、扉の外でも男たちの話し声が聞こえた。もちろん英語なのだが、ドア越しなので、麻琴たちには言語の種類まではよく聞き取れなかった。やがてすぐに、男たちは駆け足で去っていった。


「いなく……なった……のかな?」


 そうつぶやく麻琴に、瑠璃色が声をかける。


「ねえ、その帽子さあ」


 言葉を続けようとした瑠璃色は、麻琴の隣に立つ白銀の長い髪の少女の姿に驚いて声を詰まらせる。


「えっ………………その子、なんでパンツが見えてんの? つか、おまえはパンツ丸出しじゃん!」

「実はそのう、わたしたち、着る服がなくって」


 申し訳なさそうに、恥ずかしそうにして話す麻琴。顔は耳まで真っ赤だ。


「服がないって……マジかよ?」


 あらためてアメリアを見てから、瑠璃色は、自分が穿いているクラッシュデニムのショートパンツに人知れずふれた。

 さすがに、これを脱いで渡せない。

 そんな瑠璃色に見つめられたアメリアは、理由わけもわからないまま笑顔を返す。


「あー、その……まあいいや。おまえたちは、どこへ逃げるつもり?」


 何か言うのを途中でやめた瑠璃色は、腰に片手をあてたまま、二人にこれからどうするのかを訊ねる。


「ケツバットン・マンションに友達がいるはずなんです。だから、わたしはそこへ──」



 ──でも、アメリアは?



 ふと、麻琴は疑問に思う。

 そもそも、アメリアは何者なのか?

 ガスマスクの戦闘員たちの正体が外国人であることをまだ知らない麻琴は、すぐにアメリアと結びつけることが出来なかった。

 純粋に今は、なぜ東京ケツバット村に白人の──性的虐待の被害を疑わせる肌着姿の少女がいるのか、どうしてもわからないでいた。ただ、アメリアをひとりにはできないし、するつもりもなかった。かといって、一緒に連れていっても良いものなのか……

 いろいろと迷ったが、ここにいても外に出ても、同じ危険なら一緒にそばにいようではないか。アメリアの純朴そうな横顔を見つめながら、麻琴はそう固く決心するのであった。


「へえ、そうなんだ。でも、ケツバットン・マンションは近づかないほうがいいよ」


 瑠璃色は続ける。


「あそこは、豚野郎・・・の家だからね。それでも行くの?」


 何か含みを持たせた言い方をしたが、麻琴は気づかないでいた。


「友達が待ってるんです。見捨てられません」

「……そっか」


 こめかみに両手の指先をあて、目を閉じた瑠璃色がしばし考える。そして──


「しゃーない、あたしも用事があるから、途中まで一緒に行くよ」


 そう言って濃い化粧が施された両目を開けてから、麻琴とアメリアの顔を交互に見つめた。


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