【凛(4)】
「さぁーて、と!」
黒い金属バットを片手に、馬酔木を背にして大きく背の伸びをした雪平が、誰となく声を洩らす。
「お嬢ちゃんのお友達は、近くにいるのか?」
晴れ渡る青空に目を細めながら、続けざまに訊ねる。
そして想う。
美雨は──自分の恋人は、無事であろうかと。
「あの……あっちにあるケツバットン・マンションに、友達と親子連れが……ゴホッ、ゴホッ!」
「おい、大丈夫か?」
凛は咳き込みながらその場でしゃがみ込むと、そのまま膝を崩して嘔吐した。驚いた雪平が、すぐに駆け寄って背中をさする。
「しっかりしろ、お嬢ちゃん!」
すると、近くで人の気配を感じた雪平は、凛の背中をさすりながら顔を上げる。
10メートルほど先の舗道には、漆黒の長い髪を後頭部の高い位置で二つ結びにしたガスマスクの女を先頭にして、同じような黒い戦闘服を着たガスマスクの男たちが6名、横一列に並んで立っていた。
「……お嬢ちゃん、大丈夫か?」
不気味な存在感を放つガスマスクの集団を見つめながら、凛の背中をさすり続ける雪平。
『隊長、あのバットは……』
『ああ、わかってる。誰かあの男にやられたんだろう』
先頭に立つ女が何か合図をするわけでもなく、両側から屈強な男がひとりずつ前へと進む。黒い金属バットを握ったまま、ゆっくりと雪平たちを狙って近づいてくる。
「お嬢ちゃん、走れるか? 走れないなら、ここでじっとしてろよ」
凛の小さな肩をポンと一つ
雪平は中学生時代、高校と剣道の全国大会で県の代表として出場した事があるほどの腕前であった。
剣道を始めたきっかけは、素行が悪かった自分を更正させようと祖父から強制的にやらされたからなのだが、これまで幾多の場面で剣道には広い意味で助けられてきていた。
今回もそうなってくれるはずだと確信する雪平ではあったが、ここまで危機的状況に陥ったのは生まれて初めてだった。
「おまえたち……逃げるんなら今のうちだぞぉー」
間合いを詰めながら、一応は言葉でも威嚇してみる。もちろん、ガスマスクの男たちは無反応だ。
背筋をピンとさせてバットを中段に構える雪平を見た女は、『相手はケンドーの達人だ! 決して
(喋っているのは英語か? するとこいつらは〝組織〟直属の戦闘員……)
目の前の悪漢たちに注意を払いながら、雪平は敵の正体について考察していた。
『
戦闘員のひとりが突然駆け出し、片手で握っただけのバットを無防備に振り上げて殴りかかる。
『あのアホめ。言葉が通じないのか、アイツは』
静観していた女の顔が、ガスマスクの下で嫌悪にゆがむ。
迫る敵に臆することなく、雪平はバットの先端を全く動かさないで間合いを送り足で詰めていく。小さく刻まれた歩幅が迫っていったかと思えば、バットを振り上げる戦闘員の胴体に横一閃の太刀筋が見舞われた。
「でぃぃぃぃぃぃッ!」
『ぶぐぁッ!?』
そのまま前へ倒れる仲間を近くで見ていただけのガスマスクの男が、我に返ってバットを両手に握り直し、雄叫びをあげながら襲いかかる。
「──ッ!」
今度は右斜めの方角に素早く開き足をした雪平は、敵に身体を向け合う。
その刹那、周囲に響き渡る金属の快音。
敵が繰り出した高速度の攻撃を、雪平はバットの先端で相手の手首を的確に狙って弾く。
『なっ!?』
「でぃやああああああ!」
そして、上段構えからの気合いを入れた強烈な一撃で相手の頭部を叩き潰した。やがて戦闘員は虚空を見つめながら崩れ落ち、バットと共に転がった。
その光景に──雪平の強さに──どこか余裕をもった拍手で讃えたリーダー格の女は、装着しているガスマスクをゆっくりと外す。
『た、隊長……何を!?』
『大丈夫だ。元々、わたしにはこんなもの必要がない』
女は取り外したガスマスクを煉瓦の舗道に投げ捨てる。
均整のとれた東洋人の顔立ち……
雪のように白い肌……
そして、赤黒い両眼が
『長旅で身体が鈍っていたところだ。少しはいい運動になるだろう』
陽を浴びた濡羽色の二つ結びの長い髪が、細く括れた腰のそばで風に揺らぐ。数メートル先では、先ほどとは別の戦闘員たちが雪平と交戦していた。
女は大きく息を吸い込むと、両手を後ろに突き出した前のめりの体勢で勢いよく走りだす。
「でぃぃぃぃぃぃッ! りゃあああああ!」
先ほどとはまるで違う敵たちの波状攻撃に、金属バットを縦横無尽に振り回して応戦する雪平。
目の前の戦闘員が急に横へ逃げたかと思えば、死角になって見えなかったあの女が、雪平の顔面に両膝を突き立てて華麗に飛びかかる。
両膝を当てた女は、雪平の頭を抱え込んで自分の胸へと抱き寄せ、そのまま後ろへ引きずり込むようにして倒れた。
「──ぶあッ!?」
衝撃が顎を伝わり脳ミソを激しく揺らす。そして雪平は、勢いよく後方へと飛び跳ねるように仰け反って倒れ、さらに頭を地面に打ちつけて意識が半失神状態になった。
軽やかに飛び跳ねて起き上がった女は、二つ結びの右側の長い髪をサッと手の甲で撫でる。
『なんだ。もう終わりか……残念だな』
倒れる雪平と具合を悪くして動けない凛を捕獲するよう、女がほかの戦闘員に指示を出したその時──
東京ケツバット村にサイレンの音がもう一度けたたましく鳴り響いた。
『……誰だ、勝手にサイレンを鳴らしているのは?』
女は立ち止まったまま独り言のようにつぶやき、ゆっくりと周囲を見渡す。
『どうせ、誤作動か何かでしょう』
『ひょっとしたら、標的を全員確保した合図なのでは?』
『いやいや、おまえの母ちゃんの喘ぎ声だろ?』
それぞれが勝手に意見するなかで、女は何も喋らずに遠くの青空をただ見つめ続ける。
『……嫌な予感がする。〝穴〟に戻るぞ』
やって来た方角へと
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