【雪平忍】
白く塗装された真新しい鉄柵が、ガスマスクの暴漢から運よく逃れられた大勢の来園客たちの行く手を無慈悲に阻む。
「助けてくれええええっ!」
「ここから出せよ、畜生!」
「お願い、開けてぇぇぇ!」
固く施錠された門扉。
常人の腕力では、どうしようもなかった。
「ううむ……」
そんな喧騒の中、
「無理だな、こりゃ」
優に4メートルはありそうな高さだった。
なんとか北側ゲートまでこれはしたが、さて、この先どうしたものか。
車があれば体当たりして抜けられるかも知れない。けれども、すぐに見つかった乗り物といえば、パンダやライオンの形をした子供用の小さな車だけ。どう考えても不可能な話で、柵を乗り越える踏み台にすらならない。
閉ざされた北側ゲートでは、混乱した大勢の来園客が波のように押し寄せている。人々が将棋倒しになるのも時間の問題だろう。
いずれにせよ、
雪平は近くのケッバットンの石像によじ登り、人混みの中に自分の恋人がいないか探した。
(
やはり、ここでも恋人はみつからない。
その代わり、黒い人影が数名こちらに走って近づいて来るのが見えた。手にはもちろん、バットを握って。
「やべぇなおい……みんな逃げろ! アイツらが来るぞ!」
雪平は叫ぶが、閉ざされて出られないにもかかわらず、我先に外へ出ようとする人々の耳には届かない。
「クソッ、勝手にしろ!」
舌打ちをしてからそう吐き捨て、石像から飛び降りる。
男たちがやって来る道とは別の方向へ逃げようと身構えた雪平だったが、そちらにも複数の黒い人影を見つけたので、さらに違う道を急いで探す。
だが、見渡せるどの道からも、ガスマスクを装着した謎の戦闘員たちが黒いバットを片手に走って近づいてきていた。
「八方塞がりかよ!」
逃げることを諦め、何か武器になりそうな物を探し始めたその矢先──来園客の群れの中から、ひとりの派手な髪型の若者が飛び出した。その若者は、雪平が最初に見つけた男たちに向かって、弾丸のように一直線で走っていく。
(なんだアイツは……気でも狂ったのか?)
案の定、すぐ囲まれてしまった若者ではあったが、襲いかかる尻へのバット攻撃を寸前でかわしながら──時折わざと挑発的な手招きをして──ほかの道からも次々とやって来る襲撃者たちの注意を自分に向けさせる。
それはまるで、人々が逃げだせるようにと、退路をつくっているようにも感じられた。
そんな様子や周囲から迫る敵の存在に、ようやく人々も気づく。やがて蜂の巣を突っついたように混乱し、今度は戦闘員たちから逃げようと騒ぎが大きくなる。
が、しかし──
「あれって時悠真じゃない!?」
そう誰かが大声を上げたのをきっかけに人々が足を止め、派手な髪型の若者を一斉に見た。
言われて若者をよく見てみれば、正面ゲート付近で撮影をしていた、最近売り出し中の人気俳優・時悠真に違いがなかった。
(どうして時悠真が、あいつらと戦ってるんだ?)
混乱する思考回路を正すかのように、散切り頭のようなボサボサ髪を片手で
すると誰かがまた、声を上げる。
「これって、実はテレビか映画の撮影なんじゃない?」
「えっ、〝ドッキリ〟とか?」
「だって時悠真だよ?」
瞬く間に、安堵のため息や声が広まってゆく。やがて人々は、スマートフォンを取り出して写真や動画すら撮り始める余裕までみせた。
「時悠真、がんばってー!」
暴漢たちとせめぎあう姿に、黄色い声援まで飛ぶ。もう誰も逃げようなどとは考えていない様子だ。
(違うぞ……違う……これは、撮影なんかじゃない。地面から現れた大きな穴や、来園客がバットで殴られて連れ去られるあの悲惨な姿……
雪平がそう考えた次の瞬間、彼は時悠真のもとへ走っていた。
もしこれが本当に撮影なら、部外者の雪平が邪魔をすることによって撮影は中断されるだろう。リアリティーショーだったとしても、売れっ子芸能人を守るために撮影スタッフが止めに入るはずだ。
コーヒーカップのアトラクション近くの広場では、時悠真と戦闘員たちが一進一退の攻防を繰り広げていた。
尻をめがけてフルスイングされた黒い金属バット。それをスレスレのところで華麗に身をひるがえして避けた時悠真は、戦闘員の背中に格闘家顔負けの中段廻し蹴りを放つ。
蹴られた戦闘員も一瞬よろけるが、バットを離さずに、すかさず次の尻攻撃へとテンポよく移る。
(ガスマスク野郎のあの動き……どこか手加減をしているな。それなら──)
雪平はそばまで追いつくと、減速せずにそのまま時悠真に飛びかかった。撮影ならば、絶対に止めに入る展開だ。
時悠真も走って近づいてくる雪平には気がついていたが、まさか加勢ではなく、自分を襲うとは考えてもいなかったようで、避けれずにふたりして煉瓦の地面に倒れ込んでしまった。
「痛ってぇ……オッサン、何すんだよ!」
「ああ? オレはまだオッサン呼ばわりされる歳じゃ──おあああああッ?!」
時悠真に覆い被さる雪平の尻を、黒い金属バットが横一閃に打ち抜く。
苦痛にゆがむ雪平の身体を時悠真は下から両肩を掴んで横へとずらし、体勢を素早く入れ替える。すぐに起き上がろうと四つん這いになった直後──
「がああああああッ!?」
今度は自分の尻を打ち抜かれた時悠真が、激痛と共に雪平に覆い被さった。
「何やってんだよ、おまえは!」
「オッサンこそ、なにしてくれてんだよ!」
ふたりのやり取りをよそに、時悠真の尻を目掛けてふたたび金属バットが襲いかかる。
そして回転が止まるのと同時に、ふたりは
『ブボッ!』『グフォ!?』
クリーンヒットを顎に喰らい、同時に崩れ落ちる戦闘員たち。何気に雪平と時悠真は、相性が良いコンビのように思えた。
「……言っとくけどな、男と抱き合う趣味はオレにはないからな」
「オッサンから抱きついといて、よく言うぜ」
地面に転がるバットを拾ったふたりは、残りの戦闘員に反撃を開始する。
「来いよ、ガスマスク野郎」
時悠真はまるでホームラン予告をする野球選手のような格好で、手にした金属バットを相手に向けながら近づく。
「そぉら、よっ! ほれっ、どうだ!」
その近くではガスマスクの頭部を狙い、雪平が容赦なく金属バットを振り回す。
そんなふたりの勇姿に、遠巻きで見ている来園客たちはさらに歓声を上げて見守った。
「シュッ!」
素早い動作でバットを振るう時悠真が、横目で来園客たちの様子をうかがう。その場のほとんど全員が、なぜか自分に笑顔とスマホを向けてじっとしている。
(なんでだ? どうしてみんな逃げない?)
「あの
そう言いながら、雪平は金属バットを黒い戦闘服の脇腹にフルスイングで豪快に当てた。
「なんだって!?」
驚いて気を逸らせた隙を突き、敵の金属バットが軸足の太股裏に当てられてしまう。
痛みと衝撃で膝から崩れた時悠真の視線の先には、北側ゲート付近で新たな黒装束集団に襲われる来園客たちの泣き叫ぶ姿があった。
様々な方角からやって来て合流したガスマスクの戦闘員たちが、ただの傍観者と化していた無防備な来園客たちを取り囲み、一網打尽にして襲いまくる。
無慈悲に尻へと振るわれるバット、バット、バット……
人々はサンドバッグのように無抵抗に叩かれては倒れ、引きずり起こされてはまた叩かれる。そんな地獄絵図が、時悠真たちの十数メートル先で繰り広げられていた。
『喰らえ! 糞日本人め!』
戦闘員が叫びながら、両手に握り構えて十分な溜めをつくったバットで片膝を着く時悠真の尻にとどめの一撃を見舞う。
「でぃぃぃぃぃぃ、やあッ!」
それをいつの間にか真横に立っていた雪平が、上段に構えたバットで見事に寸前のところで打ち落とす。
そしてそのまま返す刀で、相手の顔面に容赦なく叩きつけた。ガスマスクのレンズ部分は砕けてへこみ、その破片は鮮血と絡み合いながらキラキラと陽を浴びて飛び散ってゆく。雪平の強さは、圧倒的だった。
「大丈夫か、時悠真?」
「油断してつい……ありがとうオッサン」
「だから、まだオッサンじゃねえ。〝雪平さん〟と言え」
見上げた時悠真の目に映る雪平の姿は、真夏の強い逆光で後光が差しているように感じられた。
「立てるか?」
差し出された手を時悠真は無言で掴み立ち上がる。雪平は握られた手から伝わった彼の体温の低さに少し戸惑うと、北側ゲートの惨劇を眺めながら語りかける。
「全員は助けられんぞ。オレたちも逃げきれるかわからん」
遠くでは、尻を打ち抜かれた女性が身体を反転させて絶叫している。
「オッサンなら、ひとりで生き残れるよ。縁があったら、また会おうぜ」
額の汗もそのままに、時悠真は
どうやらこの芸能人は、人々に群がる黒装束集団を駆逐すべく、たったひとりで立ち向かうようだ。
それは決して、英雄気取りではない。
何か特別な使命感でも持っていなければ、こんな危機的状況下で、こんな決断ができるはずもないだろう。
走り去る時悠真の背中をしばらく見つめていた雪平は、見失ってしまった恋人を探すべく、園内の中心部へと戻っていった。
*
「はぁ……はぁ……はぁ……」
心臓が飛び出すのではないかと思うほど、時悠真の心拍数は高まっていた。
手にしている黒い金属製のバットの先端部からは、額の汗と同じように血が次々と滴り落ちている。汗は止めどなく流れ、先ほどからずっと肩で息をしていた。
鋭い目つきで周囲を見渡す。
北側ゲートに集まっていた来園客の何人かは無事に逃げ出せたかも知れないが、そのほとんどは後からやって来た数台の幌付きの軍用トラックに連れ去られていなくなっていた。
もうほかに誰もいないことを確認すると、時悠真は地べたに転がる戦闘員たちを避けながら、バットを片手に煉瓦で舗装された道を進んでいく。
コーヒカップのアトラクションへと続く道のど真ん中には、防空壕のような穴が地面を押しのけ大きな口を開けている。
その穴の前で、中へ入るべきか逡巡した時悠真は、瞳を閉じて鼻から大きく息を吸い込んだ。
次の瞬間──
辺りに響くほど大きな音で二酸化炭素を吐き出した彼の両目は、赤黒い狂気の色に染まっていた。
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