【小夜子】

 5人一緒にいても、いつもひとりのような気がしていた。

 学校でもそうだ。

 教室クラスのみんなからは何かといじられ、自分は人気者のように教師たちに思われているようだが、実際はそんなんではない。

 それは、ただのいじめだった。


 ある時は──


「リナって、給食を食べるのが遅いよね」


 そう言って同級生の女子が、ほかの生徒たちもまだ食事中にもかかわらず、勝手に自分の給食をかたす。


 またある時は──


「おい誰だよ、こんなところにブラジャーと靴下を脱ぎっぱなしで置いてったヤツは!」

「えっ、やだぁ……こっちにはパンツが落ちてるよぉ。マジ、キモいんですけど」


 水泳の授業後、盗まれた下着が廊下にぶちまけられて散乱していた。いつもいじめてくる女子グループの誰かが犯人なのだろうが、それを言葉に出す勇気は小夜子には無かった。


 様々な嫌がらせやいじめは、数えだしたらきりがない。

 けれども小夜子は笑顔で、涙も見せずに、何も反発せずに、おとなしく対処してきた。

 下手に相手を刺激すれば、もっとやられる。先生は見て見ぬ振りをしていて助けてはくれない。親に相談すれば心配をかけるだろうし、例え転校したとしても、そこでも同じ目に合うかもしれない。


 我慢するしかないんだ。

 卒業まで、自分が我慢するしか……


 それが孤独な少女の出した答えだった。

 それでも、変えたかった。

 現状を、運命を、自分を──

 小夜子は、すべてを変えたかった。

 弱い自分のままでは、いつか心が壊れてしまうだろう。卒業するまで正気を保てる自信はない。

 以前、清掃活動中に男子生徒たちに囲まれて、汚れた体操着を脱がされそうになった事があった。

 性的な意味はなく、悪ふざけが過ぎた行為だったのかもしれないが、その場には女子も大勢いたのに、みんなは笑ってはやし立てるばかりで誰も助けようともしてはくれなかった。

 その時の教訓から、非力な自分でも身を守れるようにと、小夜子はカッターナイフを持ち歩くようにした。

 だが、理由はそれだけではない。


 いつか……いつの日か……


 自分をいじめてきた全員に、仕返しをしてやろうと思っていたからだ。



     *



 厨房の床にうつ伏せで倒れていた赤い背中がわずかに動き、カッターナイフを握る手にも力がこもる。


 頭が痛い。

 背中が痛い。


 ゆっくりと四つん這いの姿勢になった小夜子は、前髪の向こう側に見えた血溜りに沈む死体に気づくのと同時に、嘔吐した。

 肩で息をしながら、唇をもう片方の手でぬぐう。虚ろな視線の先で、血ぬられたカッターナイフの刃先があやしく輝いていた。


(ああ、そっか……〝御守り〟が助けてくれたんだ……)


 咳き込んで苦しみ、やがて微笑む。

 小夜子は、涙を流して感謝した。


「痛っ……! ん、ううっ……」


 頭痛と吐き気、背中の痛みにも耐えながら、火が揺らめくようにして立ち上がる。胸前まで伸びる黒髪は乱れ、返り血で頬や衣服にまだら模様ができていた。


(身体が重いよ……視界もぼやけて、水の中にいるみたい……)


 カチカチとカッターナイフのやいばを出し入れしながら、小夜子は厨房を後にする。


 ホールにはもう、誰もいない。

 オーク材の円卓のいくつかに、食べかけの料理が乗っているだけだ。

 転がる椅子を避けることなく、小夜子はぶつかっても気にせず、ゆっくりと進む。カチカチとカッターナイフの音だけがホールにだまする。

 カフェの出入り口に向かう途中、床から立てかけてある大きな鏡に自分が映り、何気なく横目で見た小夜子は、その姿に驚いて足を止めた。


「えっ……」


 お気に入りの形に整えられていた前髪は崩れ、頬は血で真っ赤に染まっている。そして、両目もなぜか赤黒く変色していた。

 小夜子は、生まれ変わったのだ。


「何これ……ウソ……やだやだやだ、やだやだやだやだよぉ!」


 だが、自分の目玉の色よりも前髪が気になるようで、急いでカッターナイフをショートデニムパンツの後ろポケットにしまいこむと、さらに慌てた様子で鏡の前に立ち、前髪を何度もぐしで忙しなく整え始める。


「やだやだやだやだ、ありえない、ありえない、ありえない、ありえないよ、こんなの……」


 その仕上がりに納得がいかないのか、表情がみるみる険しく変わり、獣が牙を剥くような顔になった小夜子は、店内に響き渡るほどの大きな奇声を発しながら、鏡を一撃で蹴り割った。


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