【金子敦士】
おかしい。絶対におかしい。
何もかもが、計画が、違い過ぎている。
十数メートル先の道には、防空壕のような大きな穴が開いていて、そのまわりをガスマスクをつけた黒い戦闘服の男たちが、黒いカラーリングの金属バットを片手に徘徊している。
すべては順調で、予定通りに進んでいた。
地震は想定外の出来事ではあったが、何よりも、黒装束集団の襲来は自分が感知するところではなく、何がどうしてこうなったのか、敦士にはまったく理解が出来ないでいた。
来園客数名を適当に選んで誘拐し、ケツバット村へと連れ去る──それが今回の計画だった。
だったのだが、来園客たちは奴らに次々と襲われ、あの穴から地下へと連れて行かれてしまった。
そもそも、この東京ケツバット村の地下にあんな穴の仕掛けがあることを敦士は知らなかった。〝組織〟から渡された設計図にも載ってはいなかったはずだ。とすれば、行き着く答えは一つしかない。
我々は、〝組織〟に裏切られたのだ。
長年続いた〝組織〟とケツバット村の蜜月が終わりを迎えたとすれば、場合によっては口封じで村人たちを──いや、村ごと壊滅させるのは時間の問題だろう。
そう考えた敦士は、炎天下だというのに寒気を感じて身震いをした。すると、穴の付近に立つ戦闘員たちがいつの間にやら増え始めて騒ぎだした。
何事かと敦士がのぞき込めば、長い黒髪が特徴的な、細身の黒い戦闘服の人物が──やはりガスマスクを装着しているが、後頭部の高い位置で二つ結いにした髪型とメリハリのある体つきから察するに、おそらく女だろう──ケツバットンを引き連れて、いまだに悲鳴が聞こえる正面ゲート側から歩いてやって来た。
(あれは……うちのマスコットキャラクターのケツバットンが、どうして奴らと一緒に?)
ケツバットンたちは穴の近くで立ち止まると、ガスマスクの女だけが数歩だけ前へ進む。
そして女は、その手前に立っていた背丈の高い男の側頭部に華奢な外見からは想像がつかないくらい強烈な上段回し蹴りを見舞った。
腰まで伸びる長い黒髪が華麗に宙を切り裂き、蹴られた男は、まるで魂が一気に抜け出たかのように崩れ落ちる。それに合わせて、丸い姿のケツバットンは身体全体を縮めてみせた。おそらく、下を見ようとして動いた結果であろう。
『バカ者が。〝逃げられました〟で済ませるとは、無能の極みだな』
ガスマスクの女は、蹴った時に食い込んでしまった
その指先を見つめながら、ケツバットンは静かに語りかける。
『どうするブゥ? いろいろと厄介なことになるブゥ』
『言われなくてもわかっている。必ず見つけだすさ。それよりも……おい、ブタ!』
ガスマスクの女は急に振り返り、目の前の若苗色の丸いマスコットの大きな顔面──着ぐるみの構造上の事で、正確には着用者の腹にあたる部位──に強烈な膝蹴りをめり込ませた。
『ブヒィィィィン!?』
ケツバットンはその勢いにあらがえず、後ろへ跳ねて転んで、また、跳ねる。
(どうやら仲間内で揉めているようだな……いいぞ、もっとやれ!)
敦士がいる距離からだと、話し声までは聞こえてこないが、今までの様子からして、何かしらトラブルが起きていると察しがついた。敦士は隠れているのを忘れて、さらに身を乗り出す。
『さっきから、わたしの尻ばかり見やがって……非常に不愉快だ。このまま殺すぞ!』
その場で大きく飛び上がった女は、折りたたんだ片膝を倒れるケツバットンの顔面へ、ふたたび狙いをさだめて襲いかかる。
『ブヒブヒ、ブヒィン!』
だが、寸前のところでケツバットンは横へと転がり、なんとか逃げた。
かわされた女も、それに素早く反応する。
地面ギリギリで身体を反転させ、綺麗な受け身を取って自爆を回避。そのまま起き上がり、横たわるケツバットンの側面を、サッカーボールのように何度も蹴りつけた。
(ああっ!? 60万円が!)
敦士は、争うふたりよりも着ぐるみの損傷の度合いが気にかかり、思わず声を上げそうになって口を手で塞ぐ。
『ブヒッ! ちょっと………ストップ、ストップ! やめてください! ごめんなさい、堪忍してえぇぇぇッッッ!』
ころころと笑い声を上げるガスマスクの女。とどめとばかりに、最後はケツバットンの顔面を渾身の力で容赦なく踏みつけた。
ケツバットンが動かなくなると、それを待ち構えていたガスマスクの戦闘員がひとり、足早で彼女へと近づいてくる。
『隊長、お楽しみのところを申し訳ありませんが、Bチームより連絡が入りました』
『なんだ? 構わん、報告しろ』
『ハッ!
『よし、わたしが合流する。ほかのチームは、そのまま感染者の捕獲と残りの標的の捜索を続けさせろ』
『イエス、マム!』
軍人の敬礼のようなポーズをした男は、それからすぐに穴の中へと走り去っていった。
(あの軍隊みたいな挨拶……やっぱりこいつら、〝組織〟の人間じゃないか!)
このままでは消される。
絶対に殺される。
そう確信した直後、敦士の背後で金属バットを野球選手のように構えていたガスマスクを被った大男が、ホームラン級の当たりを敦士の尻に
「ぎゃはあああぁぁああんんん?!」
ガスマスクの大男は、倒れて悶絶する敦士の背広の襟を掴むと、そのまま軽々と引きずって歩き、女の前へ突き出した。
『今度はなんだ。おや? おまえは確か、ケツバット村の……』
間近で話す女の言葉は、異国の言語だった。見下ろされたガスマスクのレンズに、怯える敦士の表情が反射する。
女は何かを思いついたのか、ほんの一瞬だけ目を細め、すわる敦士を立たせるよう、顎を動かしてすぐ近くの男に命じた。
「ひっ!? お、お助けぇぇぇぇ!」
強引に腕を掴まれて立たされる敦士。わけもわからず、ただ、恐怖に震えるばかりだ。
「おい、おまえ。命を助けてやる代わりに、わたしのために働いてもらうぞ。ただし──逆らえば容赦なく、殺す!」
女のその流暢な日本語に、敦士は瞬きも忘れて何度も激しく顔を上下させた。
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