【凛、麻琴(2)】

「なに……あれ……」


 麻琴の手を引いたまま、凛は身動きがとれなかった。

 地震が起きたその直後、ケツバットンが指し示した芝生の広場の中央部分がゆっくりと盛り上がり、防空壕のような大きな穴が出現したのだ。


「ジャジャ~ン♪」


 凛の視界の片隅で、ケツバットンがおどけている姿が映る。


「凄い凄い! これって、なんのアトラクション?」


 麻琴は無邪気に瞳を輝かせて喜んでいるが、凛にはわかっていた。もちろん、この穴の事ではなく、これはアトラクションではない別の何か──とても不吉な、災いをもたらすモノである事を。


「えっ、やだ! なんなの、この穴……?」

「サイレンがめっちゃ鳴ってるけど、これってイベントかな?」


 穴のまわりに大勢の来園客たちが集まってくる。だが、誰からも危機感や警戒心は感じられない。場所が場所なだけあって、この異様な光景ですら、遊園地の催し物だと思っているのだろう。


「ブヒィ~! 東京ケツバット村のパレードが、始まるよぉ~♪」


 しかも、その穴の近くで、マスコット・キャラクターのケツバットンが短い手足を器用に動かして陽気に踊っているのだ。

 親子連れやカップルたちがそれを手拍子ではやし立てるのは、ごく自然の、あたりまえの反応だった。


「……マコ、走れる? 逃げよう」

「なんで? 今からパレードだって言ってるじゃん」

「逃げるよ!」


 凛は麻琴の手を強く引っ張り、人混みを掻き分けて全速力で走りだす。


「ブヒブヒブヒブヒ、ブヒィヒィヒィ、ヒィ~♪」


 手拍子のリズムに合わせて陽気に踊るケツバットン。それに呼応するように、穴の奥から靴音がわずかに響いて聞こえてくる。


「ブヒブヒブヒブヒ、ブヒィヒィ、ヒィ~♪」


 躍りを終えたケツバットンがピタリと止まれば、まわりの来園客たちが盛大な拍手をおくった。けれども、けたたましく鳴り響くサイレンで、そのほとんどは聞きとることができない。

 聞きとれなかったのは拍手だけでなく、穴から聞こえていたはずの靴音もそうであった。

 誰もがケツバットンに注目しているなか、穴からガスマスクを装着した黒い戦闘服の男たちがバットを片手に続々と現れ、来園客を取り囲んでいった。


「うわっ、ビビったぁ!」


 両耳にピアスをした若者が気づいて驚くと、ようやくほかの来園客たちも背後の男たちに気がついて不安の表情を浮かばせる。


 突如現れた謎の黒い戦闘員……


 その装いは、異様だった。

 全身が黒色だからではない。

 気温は真夏日だというのに、顔はガスマスクで下顎から額までが覆われていて表情がまるでわからなかったし、視線をそのまま下へと落とせば、軍用の手袋が装着された手には、いったい何に使うつもりなのか、黒いカラーリングのアルミ合金製バットが握られていたからだ。


「ねえ、パパ。今度は何が始まるの?」


 呆然と立ち尽くす父親にそう訊ねる小さな女の子の頭を、ケツバットンがやさしく撫でて、穏やかな口調でこう教える。


行進パレードが始まるんだよ」


 と、同時に、けたたましく鳴っていた園内のサイレンがピタリと止んだ。

 それを合図にして、戦闘員のひとりが手にしたバットを両手に握り直し、近くにいたピアスの若者の背後へと素早く移動する。

 そして、野球選手のようにバットを構えると、狙いをさだめた尻にフルスイングで叩きつけた。


「うわぁあああぁぁあああッ!?」


 激痛が走る尻を両手で押さえながら、ピアスの若者は海老反りの格好で膝から崩れ落ちる。

 ほかの戦闘員たちも、それぞれ近くにいる来園客の尻に狙いをさだめ、次から次へとバットで襲いかかっていった。


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