鳴り響くサイレン

【凛、麻琴(1)】

「うっぷ」

マコティ・・・・……大丈夫?」


 テーマパーク内のエリア間にあるベンチに腰掛け、はち切れそうなお腹とステーキ肉が今にも飛び出そうな唇を押さえながら苦しむ麻琴に、隣ですわる小夜子が心配そうに寄り添って声をかける。


「まったくもう! 食べ過ぎなのよ、朝も昼も。〝マコティ待ち〟してる時間はないから、わたしたちだけ先にジェットコースターへ行くね?」


 飽きれ顔で莉子がそう言えば、続けて彩夏が「行くよ、リナ」と顎先だけを動かして、小夜子について来いと合図する。


「えっ、わたしも?……うん」


 痺れをきらしたふたりが、小夜子も連れて別行動でジェットコースターへと向かっていく。時折、小夜子は何か言いたげに振り返っていたが、もちろん、目を閉じる麻琴はそれに気がつかなかった。


「すっかりマコティが浸透したね」


 ベンチで残された麻琴の隣に、今度は凛がすわった。


「うん……でも、時悠真以外には呼ばれたくない」

「あはははは。マコティ、マコティ、マコティ、マコティ、マコティ──」

「やめてよ、もう!」


 吐き気に苦しむ麻琴は、両目を閉じたままで隣の凛の太股を軽くはたく。すると、凛の身体が過剰に反応して、まるで逃げるようにビクンと強く横に跳ねた。


「えっ……ごめんね凛ちゃん、痛かった?」


 それに驚いた麻琴が、苦しむのを忘れて凛の様子を心配そうにうかがう。


「ううん、違うから。ありがとう……全然平気」


 空色のシャツワンピースの裾を正し終えた凛は、右サイドの乱れた髪を耳に掛けて青空を見上げた。

 遠くには、もくもくと白い大きな入道雲が育っている。どこを見ても、市街地のような電線の障害物はまるでない。

 そんな両手いっぱいの大空を、どこから飛んできたのか、一頭の綺麗な青い蝶がヒラヒラと宙を舞っている。

 やがてその青い蝶は、隣にすわる麻琴のキャスケットの上へと穏やかに止まった。


「あ、乙女チック」

「え?」

「マコ、ちょっと動かないで」


 その様子を画像に収めようと、凛がスマートフォンを取り出して顔を上げる。けれども、その時には青い蝶の姿は幻のように消えていた。


(あれ? おかしいな……)


 凛が不思議そうに辺りを見渡せば、今度は若苗色の丸い物体が、大型動物みたいにゆっくりと歩いてこちらに近づいてくるのが見えた。


「あっ、ヤバイヤバイ。ヤバイのが来ちゃったよ。ねえマコ、まだ歩けない?」

「うっぷ。どこに行くの?」

「どこって、とりあえず今は──」

「バァ~!」


 突然ふたりがすわるベンチの真後ろに、カリカチュアされた豚の顔が体の大半を占める、若苗色で丸くて大きなマスコットキャラクターが現れる。


「やあやあ、お嬢ちゃんたち! こんにちは、ボクの名前はケツバットン!」


 道化師ピエロのようにおどけながら、ケツバットンは丁寧にお辞儀をしてみせたかと思えば、自分のお腹を忙しなくこすり始める。


「ブヒッ、ブヒッ、ブヒブヒブヒィ~!」


 激しくこする手の中から、なかったはずの短いバットが出てくる。黒い光沢が、どこかグロテスクにも感じられた。


「うわ、手品? でも……なんか微妙」


 麻琴の酷評に、ケツバットンは「チッチッチ」と短くて太い人差し指を左右に振ってみせる。


「これからが本番だよぉー。あれを見てブゥ!」


 麻琴と凛は、ケツバットンが指差すほうを見てみる。

 芝生の広場で、親子連れが仲良くベンチにすわってソフトクリームを食べているだけだ。


「あっ、間違えた。こっちを見てブゥ!」


 しかたなくもう一度あらためて指差すほうを見ると、芝生の広場が視界に広がるだけで、やはり何も変わりはない。


「……で?」


 冷やかに凛が訊ねる。


「もっとよく見てブゥ! あるでしょ、ほら!」

「あるって言ったって──」


 麻琴はベンチから立ち上がって背伸びまでしていたが、まわりのどこをどう注意深く見ても、変わった様子を見つけられないでいた。


「……あのさあ、もしかしてケツバットン・ジョーク? マコ、もう行こうよ」


 麻琴の手を引いて凛が歩き出した、まさにその時だった。



     *



「──えっ? やだ、なに……地震?」

「揺れが大きいな」


 園内の客たちが騒ぎ始める。

 確かに、地面や建物が揺れていた。

 だが、スマートフォンの緊急地震速報は鳴ってはいない。


「あれっ? スマホが圏外になってる」

「本当だ。おかしいな、さっきまで使えてたのに」

「ちょっと……大丈夫なの、これ!?」


 人々が異変に気づき、不安の声が洩れる。

 やがて揺れが収まると、園内には非常事態を知らせるサイレンの音がけたたましく鳴り響いた。


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