五 約束と麒麟
「夕暗さんはどこだ?」
始まりは御影のその言葉だった。
帰ってきた克己を出迎えた麒麟堂の面々だったが、夕暗が居ないことに全く気付くことがない。なんなら享火なんかは「夕暗って誰?」と言う始末だ。あれだけ夕暗に懐いていたうざったいあの享火までもが忘れていることに御影は驚愕した。
「……いや、夕暗さんがおれだけを見るのにはちょうどいいか?」
そう言ってから、それでは駄目だと
御影はすでに半分麒麟を辞めている。半分は人間で出来ているのだ。人間の体というのは不便で、食べ物を食べなければ生きていけない。水分や妖力だけで生きていける怪異とは違った。
食べ物を食べるにはお金がいる。となると働かなければいけなくて、このまま二人で逃避行したところで夕暗に負担を強いるだけだと御影は理解していた。
……そもそもの話、夕暗は御影の事を嫌っているはずだ。それは少し前の言い合いで理解してしまった。
本当に不本意だが、夕暗は自分の事を見てくれていない。嫌だと叫びたい気持ちを抑えながら、彼はみんなの記憶を取り戻せる
なけなしの力を使って怪異化すると、麒麟の姿で空を駈ける。人々の視線が痛くて、きっと夕暗が見たら『こんな市街で怪異になるなんて!』と怒るだろう──そんな愛おしい気持ちが溢れかえる。
その気持ちに蓋をしながら、あいつの場所まで駈けた。
「おや、嫉妬深い死にぞこないじゃないか」
そいつは最も高い富士の山の天辺にいた。目の前にいるのは、あのとき御影がわざと逃がした獏だった。今は普段の御影のように人間と同じ姿をしていて、丸刈りの頭と首に掛けた大きな数珠は、修行僧のようにも見える。そんな獏に、麒麟の姿をした御影は頭を下げる。
「なんだ、傲慢なお前が頭を下げるなんて珍しい」
「どうしたんだ? 頭でもおかしくなったか」
『お願いだ。麒麟堂のやつらの封印された記憶を蘇らせてくれ』
やっとひねり出された言葉に、獏は考えを巡らせる。そうか、下界では夕暗の記憶が無くなる事件が起きているのか。そう納得したと同時に、獏は反対側に首をかしげた。
「私に頼むべきことか?」
『お前は夢を通して封じられた記憶を戻せるだろう』
獏は考えるように顎に手を当てると、にんまりと笑って言った。
「また見逃してくれるならな」
『……もちろんだ』
「それと、お前たちの子供には名前を付けさせておくれ」
獏の言葉に、御影は鼻息を荒くした。
そんな、子供だなんてまだ早いのに!!
と。どこまでも嫉妬深く、どこまでも純粋で、どこまでもあの灯火を愛しているんだなと獏は大笑いした。それに御影はぶすっとした顔をさらしたが、獏はしゅるしゅると獣の姿に戻って言う。
『私は麒麟堂の方へ向かう。お前は早くお嬢さんを助けてやりな』
『……感謝する』
御影はそう言うと駈けだした。そして富士の山を越えてずっとずっと降りていくと、東京の浅草が見えてきた。灯火の匂いが濃い場所を探して、まるで犬のように嗅ぎまわる。そしてついに、ある屋敷を見つけた。
『……ここか』
低い唸り声を上げた御影は、その
1
初夏だからかまだ暑さはなく、じめついた風はとっくに消えていた。そんな中で、夕暗は無限に続く屋敷の縁側に座って存分にくつろいでいた。
悪壬に捕まったはいいが、やることが無いのが現状だった。
大蛇はいつの間にか居ないし、それに気づいたのもつい先ほどのこと。恐らく術か印が結ばれているのだろう。
記憶に関する怪異はなんだったかと頭の中で数えていると、屋敷の中でも夕暗が立ち入れない方がにわかに騒がしくなった。
「なにごと……」
久し振りに騒ぎが起き、夕暗が嬉々として顔を覗かせると遠くで土埃が上がるのが見えた。その直後に何かが打ちあがって、そして夜の
夕暗はその光景に、夜逃げできるかもと考えて支度をはじめる。
その時、後ろにあった居間の
生き物は全身に傷を負っていて、それでも低い唸り声を上げながら暴れようとする。
「……御影くん?」
夕暗の言葉で、ぴくりと生き物は動きを止めた。それはあの時、夢の中で見た麒麟そのものだったのだ。反応したということは御影に間違いないだろう。夕暗は近づこうとしたのだが、その前に襖がシュッと開く。
続いて入ってきたのは、満身創痍の悪壬。二人は戦っていたのか、と納得する。同時に力は互角かと考えていれば、二人は戦いを再開した。
絡み合い、縺れ合い、お互いに同じような傷を作っている。これでは共倒れするだけだ。それはきっと悪壬にとって都合がいい終わり方。
それだけは許さないと、夕暗は神経を研ぎ澄ました。
「お願いします。私の愛する彼を助けるために」
もう夕暗の声も届いていない御影はただ、敵を倒すために低い唸り声と体当たりを繰り返す。
「祈り給え 願い給え 清き名を奉る 夕闇の暗がり、傷を背負う偉大なる大蛇に願い賜う」
祝詞を唱えた瞬間、夕暗を飲み込むように背後から大きな蛇が現れた。よかった、大蛇が来てくれたと安心して崩れ落ちた瞬間、大蛇は悪壬を飲み込んだ。
「ぐっ、ここまでか」
そう言い残して悪壬は飲み込まれた。克己が和傘に泣豪を封印したように、夕暗も大蛇の中に悪壬を閉じ込めたのだ。帰ってきた大蛇は丸々太っていて、それからけぷと息を漏らす。そんな大蛇を一瞥すると、夕暗は改めて麒麟に近づいた。
「……御影くん」
「がぐうううう……」
威嚇をされて躊躇ったが、夕暗はそっと彼に近づいた。それから彼の龍頭を抱えるように抱きしめると、「よかった……」という言葉を零した。
『夕暗さん……』
「御影くん、無茶したでしょ」
『うっ、ごめんなさい。貴女が心配で』
そう言われた夕暗は、磁器のような顔を真っ赤にさせる。そんな夕暗に頬ずりしながら、御影はよかったよかったと安心したように崩れ落ちた。
「だ、大丈夫?」
『ああ。夕暗さんを煩わせることはない』
そう言うと、青白い光を出した。御影が印を結ぶときに使う光だった。それは御影の周りをぐるぐると回ると、ピカッと光り一人と一頭を包み込んだ。
そうして二人は、灯火の約束をしたあの黄金の原っぱへと行った。
2
午後の三時ごろ、怪異屋『麒麟堂』の面々はすやすやと眠っていた。それは駆け付けた獏の仕業であり、獏はケタケタと笑いながら印を結ぶ。
『記憶の印『夢現』』
その瞬間、彼らは同僚を思い出した。まだ幼さの残る危なっかしい同僚。どうして忘れていたのかと茫然として、それからすぐにでも夢の世界から出ようとした。
「ちょっと! 夕暗ちゃんを助けに行けないじゃない!」
むきーっと怒ったのは進呉だった。獏に因縁を持っている彼は獏に手助けされたことにも怒っていそうだ。まあまあと享火が宥める中、克己は目の前の獏に向かって聞いた。
「なぜ俺達はあの愚図を忘れていた?」
『敵がそういう怪異を使ってるってことだよ』
「わたしたちは一刻も早く夕暗ちゃんと麒麟を助けないといけないの!」
進呉がそう言った瞬間、享火は不思議そうに口を開いた。
「でもさ、御影が麒麟にならなかった?」
彼女は御影が麒麟になって空を駈ける瞬間を見ていたのだ。それに沈黙が落ちる中、獏は大笑いをした。
『あいつが麒麟だって? もうあいつの時代じゃないんだよ。あいつはただの死にぞこない。人間と麒麟が半分半分に織り交ざっている。きっと人間と交われば麒麟の能力は全部消えるだろうさ』
克己は獏の言っている事が分からず、苛立ちげに聞く。
「結局、御影はなんなんだ」
『ああ、前代の麒麟さ。それが無理に生き延びたから、世界の調和が狂っている』
それをあのお嬢さんが知ったらどう思うか。そう獏がケタケタ笑っていると、麒麟堂の面々は困惑気味に獏を見上げた。
「……御影、殺されちゃうの?」
『おや、亡霊の君は心配するか。大丈夫さ、殺される予定なのはお前たちの予想通り、若い麒麟だ。もちろん、あいつも狙われてはいるがね。そう易々と死なないさ』
そう言うと、獏は偽りの空を見上げた。
夢の中の世界は不安定で、景色が
『ああ、お嬢さんは助けられたようだよ』
「本当!?」
進呉が嬉しそうに言い、獏に笑顔を見せてしまったことを恥じたのか咳払いをする。
「なら、問題は今代の麒麟だな」
克己が冷静に言う。
『なんなら、私がお前たちを浅草にある『宵闇』のアジトまで連れて行ってやろう』
「そんなことできるのか?」
『対価があればな』
その対価とは何か。
克己が聞けば、獏は一転して真剣な顔をして言った。
『死にぞこないと、お嬢さんを見届けるんだよ』
克己たちにはそれが何を意味するか分からなかった。だが、死にぞこないの麒麟を封印しようと頭の片隅で考えていたのは事実だ。
「……社長、御影のこと知ってて連れてきたのかな」
享火の言葉に克己は鼻で笑った。社長の考えは分からない。分からなくて当たり前なのだ。あの人は自分たちの一歩先を歩いているから。
そんな彼が連れてきたのだから、御影が害のある怪異ということはないだろう。そう考えを改めた克己は、挑発的な言葉を発する。
「仕方がないから、とろい麒麟を助けに行くか。獏、さっさと連れてけ」
獏は「こいつ、山に埋めてやろうか」と考えたが、その考えを振り払いながら印を結んだ。
『転移の印『夢渡り』』
三人はその言葉で、意識を失っていく。夢の中で意識を失うというのも不思議な話だが、意識を完全に失い……次に起きたときには御影が暴れた跡の残る屋敷へやって来ていた。
3
屋敷の中は混乱状態だ。なにせ一番偉かった悪壬がぱったり消えてしまったのだから。そんな屋敷の中をずんずんと進んでいく麒麟堂一行。
彼ら三人の先頭には、帯でぐるぐる巻きにされた泣豪がいる。克己の和傘に閉じ込められていた泣豪だったが、出番が来たとばかりに外に出された。
その着物は風でズタズタに切り裂かれ、そしてチリチリの髪もぐっちゃぐちゃだ。そんな彼には今、屋敷の中を案内をさせていた。
「わたくしだって知らないんですよ!?」
「いいからさっさと案内しろ、鈍感」
「鈍感ですと!?」
イラついた克己が蹴り上げようとしたところで、泣豪は慌てて屋敷の奥へ向かった。そこには小さな木製の檻があり、そこには絵葉書きに描かれていた麒麟と同じ姿の獣がいた。
「ぐうううう」とこちらに向かって威嚇しているそいつは、泣豪の姿を見て怯え始める。
「あんた、相当怖がられてるわね……麒麟ちゃん、わたしが代わりに成敗してやるから安心しなさい」
「ちょっと、わたくしを助けてくれるのではないのか!」
「うるさいよー」
「怪異屋と怪異殺しは分かり合えないのが世の常なんだよな?」
「ぐっ」
自分の言った言葉で返されて、泣豪は悔し涙を流した。そんな泣豪を克己が虐めている間に、享火と進呉で麒麟を助ける。
「大丈夫?」
亡霊である享火に、麒麟は興味を示したようだった。だが、麒麟の前足の
心を痛めた進呉が抱きあげようとしたが、麒麟はそれを拒否する。
「どうしましょう……」
「……享火に任せて」
享火はそう言うと、背負っていた瓢箪を取り出した。その中には火車が閉じ込められていて、火車の涙が享火の大好きな『
享火は火酒を口に含むと、いつもと違った静寂な声で祝詞を紡ぐ。
「祓い給え 祈り給え
そしてゴン! と瓢箪を地面に付くと、印を結んだ。
「譲渡の印『火車の通る道』」
そう言った瞬間、享火の体から妖力が抜けて、麒麟に渡される。すると麒麟はぐんぐんと大きくなった。だがそれと同時にどんどんと享火の妖力が無くなっていく。
「享火ちゃんっ」
「やばい、麒麟なめてた……」
二人の異常に、克己も気づく。
「どうした? 享火?」
「ごめん、やらかしたかも」
享火はそう言って、フッと消えてしまった。残ったのは大きな瓢箪と赤色の砂だけ。それを見て、進呉は顔を真っ青にした。
「うぐぐぐるおおおお!」
茫然とした二人なんてお構いなしに、元気になった麒麟は一声鳴いて駆け出していった。皮肉なことに、享火の有り余る妖力で成獣化してしまったのだ。
時刻は夕暮れ時。初夏はちょうど、麒麟が『幻影』を呼び出す時期だった。
空は帳ではなく、本物の闇に包まれる。
克己が赤い砂を小箱に入れて、進呉が瓢箪を背負う。とにかく帰らなければいけない。帰ればきっと、社長が、兄が、どうにかしてくれるはずだ……二人はそう考えながら浅草を出ることにした。
(続)
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