四 怪異殺し
夕暗と克己が向かった先は東京の浅草。
実は怪異殺しで溢れかえる浅草だが、そのほとんどが殺し屋と言われることもある怪異殺しなお陰で、一般の怪異屋は浅草を避けることが多い。麒麟堂も浅草は基本的に避けていて、だからこそこの絵葉書きを見たときは驚いたのだった。
二人はガス
そんなことを考えていた夕暗の頭の横を、何かが掠める。ピッと伸びた赤い血。耳を傷つけられたと気づいたのはすぐ後のこと。
克己に頭を押さえつけられるが、そのときにはもう遅かった。
「貴方、よく避けましたなぁ」
聞こえてきたのはそんな渋い声。夕暗が思わずといった風にそちらを見ると、そこには黒い着物の男がいた。月と兎の描かれた長着はすらりと伸びていて、出た素足は奇麗な白色。上を見れば、黒色のちりちりした髪と闇よりも暗い瞳と目が合う。
「怪異屋、麒麟堂のお方と思われますが。わたくし、
まさかの自分から名乗りを上げてくれて、二人は警戒を強めた。それに彼は笑いながら言う。
「そう警戒しないでくださいよ。そうですなぁ、わたくしのことをちょいと説明させてもらいます」
「……構わん」
どちらの構わんなのか分からないが、克己は武器を取り出しながら言った。それに泣豪は
1
「わたくし、怪異殺しの連盟『
自分で言うのかと思いつつ、夕暗は烏天狗という言葉に生唾を飲み込んだ。夕暗のような大蛇では格が違う。まだ青龍に憑かれている克己の方が位が上だが、憑かれたばかりで印を結ぶのも下手で、さらに怪異の位としても低い夕暗には持て余してしまうだろう。
そんな相手に困っていると、泣豪は大根役者のように手を上げた。
「ああ、わたくしは怪異なんぞ汚れた存在に取り憑かれたのです。我々はそれを取り除くのが使命なんですよ」
「そうか。なら殺すだけだな」
「そうですね。怪異屋と怪異殺しは分かり合えないのが世の常ですから」
泣豪の背中から大きな翼が出てきた。
それは黒く烏のようであった。夕暗が驚いていると、彼は羽根を飛ばして攻撃をしてきた。
克己が落ち着いて夕暗ごと和傘で守る。それから傘を立てると印を結んだ。
「退怪の印『雨の嵐』」
克己の言葉で、その場が嵐に包まれる。通行人は突然の交戦に慌てた様子で逃げて行ったので、ここには三人しかいなかった。浅草はそんなことが多いのか、下手に警邏を呼ばれる様子もない。夕暗たちは安心して戦う事ができた。
雨に濡れた泣豪は、羽が重そうな仕草をした。それに勝機を見出したのか、克己はどんどんと畳みかけた。
「退怪の印『雨降って地固まる』」
雨は空中を遡っていき、そして泣豪が飛ばした羽根に絡まって固まった。お陰で飛んでくる羽根がなくなる。克己が夕暗に目配せをしたので、夕暗は克己の後ろから出て首に巻いていた大蛇に触れた。
「さすがに青龍は強いですね」
「ハッ、俺がやるまでもない」
「甘いですね……大蛇ごときに何が出来るのですか?」
「動きを封じるのは得意ですよ──」
夕暗はそう言って、大蛇に指示を出した。
「捕縛の印『帯締め』」
大蛇は帯のように真っ直ぐと伸びていき、そして泣豪の全身を絡めとった。それから彼の体を這って『跡』を付ける。彼の服の下は、蛇の鱗のような跡がびっしりと憑いている事だろう。そう考えていた夕暗だったが、彼が大蛇の首を捕まえて投げ捨てたことで「うっ」とうめき声を上げる。
「愚図はやっぱり使えないな」
「うるさいわね」
夕暗が憑かれているのは怪異『手負い蛇』だ。手負い蛇に憑かれた者は大蛇と痛覚を共有することになり、お陰で大蛇の怪我は夕暗に直結するのだ。
だからいつだって連れ歩いているのだが、戦闘時の傷はどうしようもない。慣れている事だから、と自分の心を落ち着かせつつ帰ってきた大蛇を拾い上げた。
「やはり、大蛇は大蛇ですね」
「……そうかもしれませんね。でも、それだけじゃないかも」
「何?」
大蛇は自分の尻尾に噛み付いた。途端に夕暗のつま先から血が噴き出る。だが、それだけじゃない。今は泣豪だって痛覚を共有しているのだ。だから、泣豪も同じように下駄の先から血を流した。
「ぐっ」
「さすが、なんだったか。マゾヒストの夕暗だな」
「うるさい」
「久しぶりに見たな」
「そりゃあ、御影くんについて簡単な依頼ばっかやってたんだもの」
だから克己と組むのは嫌なのだ、と思いつつ克己に目配せをした。彼は余裕の笑みを浮かべて、まるで大名行列を成すお大名のようにお膳立てされた状態で泣豪に向かって印を結んだ。
「退怪の印『雨の行く所』」
そう言って和傘を投げると、傘は泣豪を飲み込んだ。嵐は収束したが、一転して傘の中では大嵐が渦巻いているところだろう。泣豪が可哀想なぐらいだ。克己はパシュッと閉まった傘を回収しながら、振り返って言う。
「やっぱりお前と組むのは楽だな。
夕暗は呆れ返りながらも、ひとまずの難は去ったと安心した。
それから二人で絵葉書きの場所へ向かったが、そこには証拠も何もない。仕方がないので、泣豪を尋問するために一度、麒麟堂の本社へ帰ることになった。とはいえ距離があるので、二人は無駄足だったかもと話しながら歩く。
「泣豪ってやつは何も知らないかもな」
「そんな不吉なこと言わないで」
そう言って克己を睨みつけたところで、バンと誰かと肩がぶつかる。ちょうどけがをした耳の方で、夕暗は慌ててそちらを見た。
「すみません、お洋服を汚してませんか?」
「ああ、大丈夫ですよ」
そう言った男の顔には、大きな傷が付いていた。斜めに入った剥いたような傷はとても痛々しく、克己は眉をひそめた。一方で夕暗は苦しみ始める。だが克己は異変に気づかず、そのまま歩き去ってしまった。
「……どういうこと」
「すまないな。お嬢さん。私達は麒麟を
その言葉に衝撃を受けた夕暗だったが、だんだんと薄れていく意識に抗うことはできなかった。
2
目が覚めたとき、夕暗は全く知らない場所にいた。古風な家だ。部屋を出れば池があって、橋があって、それから白く高い
静かに欠伸をすると夕暗は家屋の中を歩き始めた。捕らえられたはずなのに枷が無いことは勿論気になるけど、夕暗は「運がよかった」程度に考えて脱出するために歩き続けた。
途中で池の中の鯉を眺めたり、松の木に登ってみたりして、どうにか脱出できないか考える。けれど、高い塀には到底近づけそうになかった。池の中に仕掛けがある訳でもなかった。
「……無限に続いてるわ」
そういう怪異の仕業だろう。この場合は家に憑いているのか。夕暗は一息つくとまた歩き出した。
どれだけ歩いても終わりが見えない。諦めて橋に
「だから、泣豪を助けなきゃで」
「どうかな。わたしはそこまで助けなくても構わないと思うが」
聞こえてきたのは先ほどの紳士の声。もう片方は若いが、知らない声だ。夕暗は眉を寄せつつ声のした方へ向かう。
「この宵闇のことが怪異屋たちにバレたら終わりですよ!」
「おや、泣豪のことは心配じゃないのかい?」
「そりゃ心配ですが……」
「大丈夫さ。宵闇のことはとっくにバレている。泣豪はそういうやつだからな」
「何が大丈夫なんですか!」
もう一人の男がそう言ったところで、こちらを向いた紳士と目が合った。ゆったりとした長着は泣豪と同じ月と兎のモチーフ。頭にはカンカン帽をかぶっていて、常に杖を突いている様はかっこよくもある。
『宵闇(月が隠れる夜)』なのにどうして月なのかなと夕暗が思っていると、紳士は話していた男をその場から遠ざけた。そして、彼女の元へ向かってくる。
「おはよう、お嬢さん」
まるでご近所さんへの挨拶と変わらない言葉だった。拍子抜けした夕暗は笑みを湛えながら言う。
「おはようございます。お嬢さんて歳でもないですよ」
「なら名前を教えてくれ」
「……戸隠 夕暗」
少し迷ったが、本当の名前を伝えた。すると紳士はいい笑顔で言う。
「戸隠か。信州の方にあったかな。良い名前だね」
自分の苗字の由来なんて考えたことなかった夕暗は、その言葉に驚いた。同時に紳士の名前が気になり、それを聞いてみる。
「なに、わたしは
茶目っ気にも片目を瞑った紳士……悪壬に、思わず笑みがこぼれた。だが彼は御影を殺そうとしているのよね? と警戒心のこもった目で見あげる。
「そう警戒しないでくれ。君とは敵同士だけど、君だって死にぞこないの麒麟の事は気になるだろう?」
気になると言われれば気になる。御影は夕暗に何も話してくれないし、もしかしたら嫌われているのかもと思えば胸がずきずきする。だが彼の目的が『怪異殺し』にある限り、分かり合えないのは必然だ。
「……怪異がお嫌いなんですか」
「そうだね。大嫌いかな。でもこれとそれは違う」
なんとなく聞いた言葉に帰ってきたのは、増悪を嫌悪感と一緒に煮詰めたような言葉だった。地雷を踏みぬいたような気持ちになりながらも、夕暗は悪壬に質問を続ける。
「宵闇は何をするためにいるんですか」
「もちろん怪異を殺すためさ」
「……怪異憑きなのに?」
その言葉に、悪壬は嫌な顔をしながらも「怪異には怪異でなければ対抗できない」と答えてくれた。それは怪異憑きになって怪異屋としての仕事を始めた夕暗にはぐっと刺さる言葉だった。
今まで、怪異に憑かれるまでは、怪異が出ても黙って見てることしかできなかった。時に騙されることや、職場が焼け落ちることもあった。それらは全て怪異の所為であったが、夕暗にはどうする事もできないままに、大切なものを失ってきた。
それを思い出していると、彼はそっと夕暗に囁いた。
「怪異殺し、なってみないか?」
それは囁いたように聞こえただけで、実際は世間話のように繰り出された言葉だった。どうにも気分の悪いことを言われて、思わず距離を取る。
「残念だ」
それだけで拒絶を感じ取ったのだろう。肩を竦めて言った悪壬だったが、一転して今までとは違った風に言った。
「それでも、麒麟を殺すことに変わりはない。いわば君は
ぞっとするほど恐ろしい声で言われた言葉だった。やはり彼の中には嫌悪感や増悪が渦巻いていて、どうにも夕暗は震えが止まらない。
きっと御影は来ない。克己が気づかず歩いて行ったところを見るに、誰も来てくれないはずだ。そう祈りながら去って行った悪仁の背中を見つめた。
(続)
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