三 依頼人が死んだ
八馬 創作の家から帰ってきた夕暗たちを迎えてくれたのは、長身の男。茶髪の長い髪をセンターで別けていて、女性のように両手を合わせている。
彼こそが、東尾社長の弟──東尾
「進呉さん、ただ今帰りました」
「おかえりー夕暗ちゃん! あと享火ちゃんに克己ちゃん」
「進呉、気持ち悪い」
「相変わらず気持ち悪いな」
享火と克己は慣れたようにあしらうと、彼の脇をすり抜けて事務所に入って行く。御影もしれっと二人の後ろをついて行こうとしたが、進呉に抱きしめられる。
「お、か、え、り」
「……気持ち悪い」
「あらぁ、職場を紹介した仲じゃないのー!」
そういえば、御影を連れてきたのは進呉だったなと思い出す。それで仲がいいんだと納得した夕暗は彼を助けることなく自分のデスクへ向かった。御影は傷ついたような顔をしたが、進呉に頬ずりをされて慌てて逃げ出した。
「あーん、逃げないで」
彼はそう言ったが、追いかけることはしないで克己のデスクに向かった。そして彼に手を差し出す。
獏の石を出せという事だろう。進呉は怪異の封印を主にやっていて、彼ほど強い怪異憑きなら獏でも封印できるはずだ。
克己は白と黒の石を進呉の手に乗せると、しっしと退かすように手を動かす。その瞬間、ピカッと雷が鳴るような音と共に事務所内を強い光が包み込んだ。
「……は?」
最初に声を上げたのは、進呉だった。地声が漏れるぐらいに彼は驚いたようだ。現状が理解できない三人と事務員たちに変わって、彼はふるふると身体を揺らす。
「逃げたわ」
進呉はそう言うと、ムキーッと取り出したハンカチを噛む。どういうことか聞けば、怪異『獏』が逃げ出したらしい。夢の中でしか見る事ができない存在なので姿が見えなかったが、獏の石が無くなっている事がその事実を決定づけていた。
夕暗たちは責任を押し付け合うように目線を合わせた。悪いのは克己の攻撃が甘かったからじゃないか。いやいや獏を捕まえなかった夕暗も悪い。それよりついて回っただけの享火はどうなんだ。
そんな思惑が飛び交う中で、進呉が空きデスクに座ると、「獏を捕まえるまでここに居るわ」と言った。
そんなこと今まで経験したことがないと夕暗は目を丸くした。嬉しいような驚きのような百面相をする夕暗だったが、他の三人は揃ってげんなりしたような顔をした。
「最悪だ。どこかで麒麟が死んだか?」
「ええー進呉じゃなくて社長がいいー」
不満たらたらな二人。それから古くからいる事務員までもがため息を漏らした。それほどまでに進呉は相当歓迎されていないの? と夕暗はまた驚く。
「みんな歓迎してくれないなんて酷いわぁ」
「まずは身の振り方を見てから言え」
「進呉は可愛いのに、馬鹿みたいに強いから可愛くないんだよ」
まるで助言をするように毒を吐いた二人。どう嗜めようかと悩んでいたところ、事務所に雪崩れ込むように男が入ってきた。
「怪異屋、怪異屋はここか……!」
男は身なりの良い格好をしていたが、髪はボサボサで、爪の先からは血が垂れていた。明らかに異常な状態に、獏が逃げたどころではなくなった事務所。にわかに騒がしくなったところで、克己が目をかっぴらく。
「とりあえず治療をして談話室に……」
「待て、話を今聞こう」
克己の判断に、その場にいた全員が信じられないというような顔をした。否、御影だけは無表情で書類に向かっていた。
男は周りを見回し、ごくりと生唾を飲んだ。
「麒麟が死ぬぞ、麒麟が殺されるんだ!!」
彼の言葉に、全員が息を飲む。だが、夕暗だけは少し違う反応をした。
麒麟が死ぬ? 御影くんが死ぬわけ?
慌てて彼を見たが、平静を装って男を見ている。その男に視線をくれれば、彼は言い切ったことに満足したような顔をして、そしてもがき苦しみだした。
「なっ、克己ちゃん、助けなきゃ!」
「無駄だ。こいつは
克己の言葉に、今度こそ全員が驚愕した。
件。それは最悪を予言して死ぬと言われている人面牛の怪異。件が現れたときは悪いことが起きると言われている。
夢を食べるという獏、そしてなぜか死にぞこなった麒麟の御影、さらに件に取り憑かれた存在が出てくるなんて。豪勢なことだと驚く一方で、とても不吉な事が起きるんじゃないかと夕暗は震えた。
「……御影くんが死ぬの?」
口の中だけで言った言葉は、誰にも聞こえなかった。ただ、御影だけは夕暗をちらりと見る。
その御影、内心ではとても焦っていた。
自分が死ぬことは早々ない。事務所が爆破されない限り、夕暗を連れて逃げおおせるだろうと考えている。だが、自分の
萎んでいった男の死体を前に、夕暗たちは茫然とした。
これは大変なことになったと怖い顔をする克己だったが、事務員が吐き気を訴えたところでパンっと手を叩いた。
「お前ら、麒麟を探しに行くぞ。夕暗は他の怪異屋に報告を。くれぐれも
「分かってるわ」
「享火、お前は進呉と先に探しに行ってろ」
「嫌って言ってられないよね」
「当たり前だろ」
「享火ちゃん、頑張って麒麟と獏を探し出しましょうね!」
「獏は違うでしょ!?」
享火の突っ込みに、怪異憑きたちは少しだけ緊張を緩めた。それから克己は、御影に死体を片付けるように指示し、一人で事務所を飛び出す。
残った夕暗と御影は指示された通りの仕事をしていたが、死体を片付け終わった御影は手持ち無沙汰になったのか夕暗に近づいてきた。
「夕暗さん……」
「御影くん、手紙を送るから、手伝って……」
夕暗の声は震えて消え入りそうだった。彼女の異常にいち早く気づいた御影は、慌てて彼女の肩に手を添えた。目線を合わせると、眉を下げながら聞く。
「夕暗さん、獏に何を聞いた」
それどころじゃないと分かっていても、夕暗はその質問に頭を支配された。
彼は夕暗が獏に過去を教えられたことを知っていた。それなのに事情を説明するわけでもなく、ただ静観したんだ。
そう酷く傷ついたような考えを振り払って、御影に言う。
「御影くん、私はあなたが分かりません」
「……」
「仕事、手伝ってください」
「でも」
「今はそれどころじゃないの分かる?」
夕暗は御影を突き放した。
彼は何を言うでもなく、夕暗の指示で手紙を書き始めた。そんなところが気に入らないというのは夕暗の我が儘だろうか……?
1
ある怪異屋はその知らせを聞いて胃の中をひっくり返した。件の死を察知していた彼の憑き物である
嫌な予感はしていたんだ、と苦笑いをすると誰に言うでもなく口を開く。
「件に続いて麒麟が死んだらやばいな」
男は胃液まみれの口と着物を拭う。それから一人静かに片づけを始めると、他の怪異屋にも連絡を入れる。
夕暗の書いた『怪異殺しには伝えないこと』という文字を見落としたまま。
2
町中どころか、帝都の怪異屋も動き出した初夏。
夕暗たちは通常の仕事を受けることなく、死力を尽くして麒麟を探し回った。麒麟が居るとされるのは神聖な山奥や、空気が綺麗な場所。基本的には田舎町を中心に探し回り、その都度事務所に帰るという事をしていれば、いつのまにか夏が近づいていた。
思ったよりすぐの事じゃないわね?
なんて思っていたが、進呉からの情報で夕暗は考えを改めた。
「怪異殺しが関与してるみたいよ」
そう言って取り出したのは一枚の絵葉書きだ。書かれているのは小鹿のような獣。それは龍のような顔をしていて、ちょうど夢の中で見た麒麟とそっくりだった。思わず御影を見たが、彼は絵葉書きに夢中になっている。
「これは……」
「意地の悪いことに、怪異殺しから送られてきたわ」
進呉はその取り憑かれている怪異の性質上、どこに居たって手紙が届くし、どこにいたって駆けつける事ができる(と言っても一週間くらいはかかるが)。その能力を頼りに『怪異殺し』が送り付けてきたのだろう。
怪異殺しとは、その名の通り怪異を殺して回っている怪異憑きで、怪異屋の一派である。彼らは怪異を殺すことを目的としていて、今回の怪異『麒麟』を助けるという目的を持つ怪異屋とは真反対の考えを持っていた。
だから知られないようにと通達を入れていたのだが……
「もしかしたら、怪異殺したちが
進呉はそう言って絵葉書きの入っていた書簡を握りつぶした。享火がどうどうと宥める中、御影は眉を寄せながら、
「その怪異殺しとやらを突き止められないのか?」
と聞いた。
「無理よ。私の怪異ちゃんの能力はあくまでも受け身なの」
「逆探知はできないのか」
「ええ、そうよ」
進呉の言葉に全員は口を閉ざしたが、この絵葉書きの場所に行けば何か分かるかもしれないということで、夕暗と克己で向かうことになった。
「私より享火の方がいいんじゃないの?」
「享火には引き続き進呉と行動してもらう」
どうやら、克己には何か考えがあるらしい。克己と組むのは御影が来る前以来なので、久しぶりということになる。連携がうまく取れるかと不安になっていると、御影は口を開いた。
「おれはなにをすればいい」
珍しく意欲的な言葉だった。
全員が驚いたような顔をして、それから進呉は嬉しそうな笑顔を浮かべながら、御影に頬ずりした。
「偉くなっちゃって~」
「うるさい、気持ち悪い」
「御影は事務所で事務員たちに指示を。新人のお前に任せるのは嫌だが、この中で夕暗以外と連携が取れないお前は使えん」
そう言われて御影はむっとしたけど、事実、夕暗としか連携をしたことがない御影では猪突猛進な享火と組むことはできないだろう。
一方で進呉は上手く合わせてくれるだろうけど、そうなると地縛霊で見えない享火が事務所を仕切ることになる。
それはどう考えたって無理な話なのだから、この組み合わせは必然なのかもしれない。御影はそれ以上文句は言わないで、それを納得と受け取った四人は、それぞれ荷物を持って事務所を後にする。
3
一人残った御影は、静かに耳を澄ませていた。
『助けて……助けて、先代様』
幼い声で紡がれたSOSに御影は
苛立ちを覚える御影だったが、事務員に話しかけられた直後には、いつの間にか声が聞こえなくなっていた。
(続)
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